ずんだ入り白身魚の練り物、エビ、数の子のすだち添えだし浸し、鱧の唐揚げ
エビ添え 徳島のひじきと豆の炊いたん(蟹味噌を隠し味にしている・・・と思う)
ずいきの酢の物(酢は薄めの甘め)
翡翠鍋(ひすいなべ) (徳島の鱧→京都にも送っているらしい。生麩、おかひじき,豆腐、レタスなど)
翡翠鍋のベースは抹茶と昆布茶だったと思う。これは家でもできるよ。いっただき~!
平家の落人はんが食べはったという租谷そば。島根のぶくぶく茶?を思い浮かべるが、お味は全く違う。
租谷そばは、はっきり言っておいしい!
二つの共通点はいろいろなものを少し入れて食べるということか・・・。
小憎らしいこの椀にはそばのみ、あわおどり(鳥)、椎茸ほかがはいっている。
おながどり(鳥)から出ただしと 昆布だしが効いて、味ははっきりとしたお椀。
平家の落人のプライドを持った生き方が伺われる。
タコ、冬瓜、茄子、さやいんげんのたいたん
(お味は昆布だしが効いておいしい。味はしっかりとしている。くどくなく、辛くもない。私の好きな味)
お造り(イサキ、ホタテ、マグロ、甘えび、海糸)
海糸は海藻。こりこりとした透明の食感は、すこぶるうまい。
土産として購入したかったが、どの店でも見つからず、また時間もなかったため断念。
家人に、つくりのつまとして添えてあげたい。
ここで徳島の地酒を紹介。名は芳水。当然ながら、純米酒。
料理店の女将に進められるままに御願いした封切りの地酒だった。
アクセントが効いてうまかった。
値は訪ねてないが、そう高い酒でもないと思う。
女将は、
「お口に合わなかったら、他にもありますけん。変えますから、いくらでもいうて下さいね。」
と、親切。
当の私たちは酒には詳しくない。料理が、そして雰囲気がおいしければ、OKなのである。
女将は720mlの瓶を持ってこられ、
「多ければ、残して下さいね。」
といいながら、瓶の半分弱を冷やして下さった。
私たちでは真っ昼間からこの大きさの一瓶は飲みきれない。
女将の心使いが嬉しい。
天ぷら
エリンギの鯛巻き(この鯛が非常に身が厚く大きい。すこぶるうまい)
鮎(ほろ苦く、中はほくほく、外はかりかり。絶妙!私は鮎が好き)
いんげん
この天ぷらのお出汁はちょうどいい塩梅のお醤油よりの味。関西より少し甘め。このお味も好き。
あわおどり(鳥)のたたき (梅肉ソースがけ)
みょうがと一緒に食べると、ソースの甘酸っぱさと鳥本来の濃いお味が口の中で調和。
やまと鯛の焼いたん
表面は ぱりっぱり。中はしっとり。みは非常に甘く、引き締まっておいしい。
化粧塩は 多すぎない程度。
すだちやおだしも付いていたが、何もつけずに塩を落として食べるのが好き。
もちろん変化を求めてすだち等で味を付けてもおいしい。
つくりも焼き鯛もびっくりするほど甘くっておいしい。
四国や中国地方の人々はこんなにおいしい魚を食べておられるんだ!!!
ずるい!と内心思う私*^^*
ちりめん山椒のご飯
(徳島は山椒が有名らしい。また、徳島でもちりめん山椒はよく食べるそうだ。
ちりめん山椒は少し甘い目。山椒のインパクトは少し少なめ)
しじみのおつゆ
(しじみは徳島の大和川?だったかでとれるとのこと。徳島ではしじみもよく食べる食材。
味噌は赤出しではなく合わせ味噌。昆布だしがよく効いている。おいしい。)
香の物
白菜(薄味,隠し味にだしが効いていた)と おこうこ(いい具合に甘くておいしい)
デザート(二種)
ずいきとりんごを甘く炊いて刻んだものを、りんごゼリーで寄せ固めたもの(だと思う)
桃のりんごソース(だと思う)がけと みかん
今回私たちが頼んだのは、徳島の郷土料理。
女将に
「徳島の郷土料理が食べたいんですけれど・・・。」
と御願いすると、
「だったら、付和会席コースにしましょう。」
とお料理を決めて下さった。
実は私たちが徳島駅に着いたのは午後の二時。
駅前から当初から決めていた志津美さんに電話をすると、準備中の店をわざわざ開けて下さった。
私たちは小雨ということもあり駅前からタクシーに乗る。
ワンメーター580円で志津美さんのある富田町に付いた。
徳島の郷土料理はだし味がおいしい。
素材が新鮮でいいせいか、魚も甘い。
私は徳島のお味もすこぶる気に入る。
また行きたいという気持ちが大きい!!
阿波踊りと 徳島の郷土料理と 徳島の人柄が共鳴し合って、徳島は好きな所の一つになりそうだ。
ところでこの志津美さん。
部屋にひと品ずつ、お料理を運んで下さる。
部屋には箱庭風の石が置かれ、落ち着いた空間。
お値段も関西ではずいぶんするかもしれない。ここ志津美さんは、たいへんリーズナブルなお値段。
いやいや!比較できない!
関西ではこんなに魚がうまいとは滅多に感じない。
今回夫とではなく息子といったため、お部屋での御食事は嬉しかった。
やはり母と息子の組み合わせは気恥ずかしいきらいもある。
おいしかったので、次回は家人とともに行ってみたい。
8月13日 阿波踊りの日に
日本料理 志津美
富田町 088-626-3344
記録だけ 2009年度 114冊目
『写真の撮り方 これさえ知っていれば十分 AFコンパクトカメラの使い方』
福永一興 著
1990年5月15日 初版
日本実業出版
222ページ 780+税
8月15日3冊目は『写真の撮り方 これさえ知っていれば十分 AFコンパクトカメラの使い方』を読む。
この本も難しいが親切丁寧に書かれていた。
ただし1990年出版の古い本。
デジカメにおいては今は話は全く違うのかもしれない。
カメラを手に撮る基本がわかりやすい。
ソフトフィルターというものを使ってみたい。
ただしレンズ購入は難しいので、黒のストッキングを使ってみようかな。
車窓や陳列台等、ガラスを通しての撮影時はレンズをガラスに引っ付ける。または近づける。
観光地の記念写真は背景を入れる。
花火はコンパクトカメラでも撮れる。ただし三脚・・・。
113冊目の『上手になるための18のルール 花写真』でも書いたが、私はイラン以外では三脚を使ったことが無い。
出かけるときに三脚を持つ体力がないと言うのが理由。
能楽も手筒花火も夜だったが、手でもって撮影していた。
だからよけいにぶれていたんだな#^^#
そういうと・・・。
私の好きな写真を撮っておられる方のブログを拝見させていただくと、三脚の書き込みコメントがあったが、こういうことだったのか・・・。
何となく私には難しい話なので、その場を退散。
カメラのことは全くわからないが、今後は三脚も持つべきなのかなぁと感じ始めた。
人物→基本下から上がルール。
世の低い人を撮る場合は少しかがむ。
写真は『火振山古墳』
記録だけ 2009年度 113冊目
『上手になるための18のルール 花写真』
写真の学校 東京写真学園 監修
2002年3月23日 初版
雷鳥社
127ページ 1100+税
8月15日2冊目は『上手になるための18のルール 花写真』
3冊目に読んだ『写真の撮り方 これさえ知っていれば十分 AFコンパクトカメラの使い方』にはに転んだりよ今を向いてハプロは撮らない云々と書かれていたが、『上手になるための18のルール 花写真』には時にはしゃがんだり寝転んで撮ると良いと書かれていた。
適正露出が何かを理解した上で、わざとオーバー(或はアンダー)に撮る。
適正露出がわからない。
怖いのはピンぼけよりも手振れ。
暗いとき
高速シャッターが切れれば問題ない。
だめなら三脚。
あはは!今の今まで三脚という言葉すら忘れていた。
そういうと写真の上手な方は三脚をうまく使いこなされているのかもしれない。
私はイラン以外では使ったことが無い。
この本も知らないことと知らない言葉が多い。
被写界深度といわれてもわからない><;;
まぁ、そのうちに@^^@
とりあえずの泥縄勉強*^^*
記録だけ 2009年度 112冊目
『写真クラブ 花を撮る』
大貫茂 著
1997年4月30日 初版
誠文堂新光社
95ページ 1400+税
8月15日1冊目は『写真クラブ 花を撮る』を読む。
絞りや色々な決まりが私には難しい。
花の場合は
タイミング
時間、季節
光線
なども重要のようだ。
娘が旅から戻ってきた。
つい先ほどのこと。
青森から夜行の汽車に乗ったという。
飛行機で帰ればいいものを、乗りたいという理由で何度も問い合わせ、手に入れたチケット。
彼女は若い。
ご苦労なことである。
息子はまだ今日も奈良にいる。
今回はまるまるわが家に帰ってきてくれた。
そのうち、中高大学の友人と、四度出会う。
先日京都に行きルーブル展に行き、ケーキを食べた後も同様。
私と別れた後、友人と出会った。
彼は今日もこれから京都にお出かけらしい。
明日も同じ。
朝早くに出かけ、夜まで大学の仲間と会い、自分の寮に帰るとのこと。
多くの友人に囲まれ、彼は幸せものである。
今回、私を気遣い、法隆寺と京都と徳島に行ってくれた。
親孝行な彼。
今回長く帰ってきてはいたが、結構ハードなスケジュール。
その彼も、月曜からはまた普段の生活が始まる。
責任感と自覚を持って社会に挑む姿は、見ていて頼もしい。
家人は休みがあってないようなもの。
一年中毎日が仕事のようなもので、たいへん。
休日を線引きされた子どもたちがうらやましい。
13日の徳島を楽しみ、歩いた。
早朝出発。夜帰宅。
一日中仕事をしながら留守番をしていた家人。
一人残された夫は、気分転換に家の草を抜いてくれていた。
すっきりとした庭。
家人はへとへとの私たちのために風呂を入れ、鍋を温めて酒を用意してくれた。
13日夜、母子の帰宅の無事を祝って三人で祝杯。
ここ一週間は家人と私と息子で酒を酌み交わしていたが、明日からはまたもとの通り。
家人と私と娘の組み合わせ。
ただいまその娘は長旅の疲れのためか、眠りについた。
ただいま、午後二時の真っ昼間。
息子は猛スピードで京都に行く準備。
家人はソファーに座って、本を眺めている・・・。
乱鳥家の夏のある日か(爆)
余すところ こどもたちにとっては後一日の夏の休み。
おおむね、まぁ、こんな盆休みであった。
法隆寺 大宝蔵院
先日 法隆寺の大宝蔵院を時間をかけて楽しむ。
さらりと見るつもりが二時間程度。
博物館や美術館で時間がかかるのはいつものことである。
そもそも今回法隆寺に行った理由は、『玉虫厨子』と『百済観音』
子どもと雑談する途中『玉虫厨子』と『百済観音』が話題になったからだ。
『玉虫厨子』と『百済観音』は すばらしくもあり美しくもあった。
『玉虫厨子』の近くには金色の『しゃり鉢(呼び名が違うかもしれない)』や『しゃり箪笥』や『百万塔』等があった。
おそらく八十代と思われるご年配の二人づれの女性が金色の鉢にみとれられ、
「きれいやねぇ。」
と大きな声で話され、次に『しゃり箪笥』の前で、
「本当にきれいやねぇ。今でもすぐに使えそうやねぇ。」
などと話されていた。
私はそれらの言葉に、固まってしまった。
さらりと流せばいい。
だが、意味をうがってとらえるならば、ある意味 恐怖物語。
怖いような、ジョークのような複雑な心境で居心地が悪かった。
ちなみに『百万塔』は四方から見ることができ、神妙な気分になったものである。
『百済観音』は見とれ、その場を動けなくなるほどに感動した。
木造の弥勒菩薩である『百済観音』の壷を持った左手は、滑らかで美しく、愛を感じる。
穏やかなお顔の表情。
凛々しい胸板。
長身のお姿はまるで曼荼羅(宇宙)からあらわれたように感じてしまう。
天井に描かれた鳳凰は『百済観音』の回りで舞い、『百済観音』を守るように思えてしまう。
『百済観音』のいらっしゃる御部屋は一種独特の時空を超えた神聖な空間か・・・。
一歩その御部屋に足を踏み入れると自分の心さえも浄化されるようなありがたい錯覚に陥る。
法隆寺に行って良かったと思える瞬間である。
法隆寺というだけあって『聖徳太子絵伝』や『聖徳太子の掛け軸(呼び名が違うかもしれない)』等もある。
奈良では聖徳太子に関連した絵や像が多くの寺で見ることができる。
今回行った法隆寺の聖徳太子の前でも、手を合わされる人々の姿を何度か見ることができた。
人々の心の中には聖徳太子を愛する心が根づいているのだろう・・・。
木製の鳳凰があった。
これも美しい。
見事な彫りであった。
他、今回気になったのは鏑矢(かぶらや)。
仏像等も多く展示され、楽しい時間を過ごすことができた。
2009年8月 奈良県 斑鳩町 法隆寺にて
京の町家に作られた 並河靖之七宝記念館
先日 並河靖之七宝記念館にいく。
ここは京都の東山三条。
三条京阪から岡崎に向かい途中。
並河靖之七宝記念館は 七宝作家の並河靖之(1845~1927 江戸時代末誕生)の旧宅。
明治大正時代に活躍した七宝作家である。
並河靖之の作品は 欧米で絶大な人気を博したそうだ。
庭は小川治平衛作。民家に琵琶湖疎水を用いた最初の庭園。
こじんまりとして、居心地は良い。
並河靖之七宝記念館で説明をされていた男性は並河靖之に大してよほど誇りを持っておられると感じる。
丁寧な説明だが,プライドが高い。
私が、
「七宝焼き・・・。」
というと、畳み込んで
「七宝!!」
と気合いを入れて正すように話される。
結構不愉快。
ここでの小川治平衛の作品を七宝焼きと呼ばれるのは好まれないらしい。
窯元の親父さんが【器のことを茶碗と呼ぶ】のはアーチストとして格好良いが、【茶碗を器と呼んでくれ】と押し付けられると、すばらしい作品でさえも急に色あせてしまう。
ちなみに 七宝は元ヨーロッパでといった説明をされていたが、エナメル作品は元を正すと、中東までさかのぼる。
小川治平衛の作品は美しいが、説明は一般的で自慢話にとどまり、好ましくない。
七宝の作品つくりの過程を詳しく説明して下さったが、私は簡単な七宝焼なら高校の頃に 一時凝ったことがある。
東山の七宝焼の材料店で蚰薬やアクセサリの土台を大量に購入。
知人のお宅の釜で焼かせていただいた。
私は当時 薔薇等の輪郭をかたどり、蚰薬の液をといておいてみた。
どうも七宝焼特有の細かい細工は面白くない。
ピンセットで集中してはみたが、芸術的なほどの繊細な絵は描くことはできない。
所詮素人のお遊びなのである。
私は独自に、細い平べったい針金をくるくるとねじって模様を置き、そこに色を置いて焼いてみた。
七宝焼らしからぬ手法ではあったが、作品としては結構面白いのではないかと自負していた。
七宝焼は焼きのもと同じく私の肌には合っているが、自宅に釜を用意できず、両方断念。
まぁ、こんなものである。
当時 アクセサリーは友人に譲り、今手元に残るのはイヤリング一つきりである。
そいいった経緯で、私は七宝というよりも七宝焼の方が親しみを感じ好きな言葉であり、好きな部分を並河靖之七宝記念館の説明者によってけがされた感じがした。
今は京都には住んでないとはいえ、同じ京都人として、並河靖之七宝記念館の説明者のこの偏ったプライドは恥ずべきものと感じる。
並河靖之七宝記念館
〒605-0038
京都市東山区三条通北裏白川筋東入掘池町388
(京都市東山区三条通神宮道一筋目上る西入る)
電話 fax 075-752-3277
入館料 600円
開館時間 10:00 ~16:00
休館日月曜・木曜日
『ルーブル美術館展』京都市立美術館
先日、京都で開かれている『ルーブル美術館展』を楽しむ。
『ルーブル美術館展』は現在、大阪の中の島でも開催。
京都の『ルーブル美術館展』は17世紀、大阪中之島は子どもがテーマ。
娘の話では子どもテーマの中之島も楽しめたそうだ。
ルーブルといえば なさけないことに、私は『モナリザ』とゴヤの『裸のマハ』『着衣のマハ』くらいしか覚えていない。
これらは部屋のどの位置にあったかまで覚えているから不思議だ。
私はその頃 十代の感性を目一杯広げて、ゴヤの『裸のマハ』『着衣のマハ』を食い入るように見ていたことを覚えている。
今回の『ルーブル美術館展』、結構有名な絵がきていた。
数もそこそこあり、見るのに時間がかかる。
17世紀の風俗画、宗教絵画、静物画、人物画、風景画等盛りだくさんであったが、特に風俗や俗習を細やかに見ると面白みを感じることができる。
また宗教や神話を知っているとよりいっそうこの展覧会を楽しむことができると思う。
ただし私はキリスト教等、宗教のことはほとんど知らないのでお手上げ(笑み)
森で盗賊や殺しの場面がさらりと書かれる田園風景は鮮やかに私の心に残る。
ただし、作品名は忘れた。多分『襲撃』だと思うが、自信はない。
『大工ヨセフ』の実物をはじめてみた。
いや、以前見たのかもしれないが、意識下にない。
同行人は、『大工ヨセフ』は記憶に新しいという。
彼はナポレオン関係や有名絵画(『モナリザ』や『裸のマハ』『着衣のマハ』など)に加えて、『大工ヨセフ』も覚えているという。
何日もかけて見たルーブル美術館の作品は,印象が深かったのだろう・・・。
今回もヤーコプ・ファン・ライスダールの作品があった。
フェルメールの『レースを編む女』には観客は集中。
彼女のそばの聖書らしき書物が印象深い。
ハリスの『リュートを持つ道化師』の顔は見ているだけで笑いがこみ上げてくて、後には嫌な夢を見たような錯覚に陥る。
それだけ印象深い『リュートを持つ道化師』は赤(朱色)で見事に当時の飲酒や喫煙、喧嘩をする庶民の姿を巧みに描いているように感じる頃ができる。
酒になじんだリュートの調べが心地よくこちらに届いてきそうだ。
私はリュート音楽が好きなので、関心を持ってこの絵と遊んでいた。
レンブラントの『縁なし帽をかぶり、金の鎖をつけた自画像』は 若干私の思い描くレンブラントの表情と異なり、興味深い。
見られてよかった。
『ムール貝を食べる少年たち』のムール貝には子(卵)は無い純粋な貝だった。
私はイタリアの食堂で丼鉢に出てきた大衆のムール貝を思い浮かべ、同行人はフランスで食べたレストランの味を思い浮かべ、絵の前で笑っていた。
二十数年の時を隔てての、年代による旅のこの温度差は大きい。
私は学生時代は貧乏旅行だったとつくづく思う。
今回ヤン・ブリュ-ゲル(父)とその工房の『火』は好きだった。
一枚の絵にドラマが展開され、楽しい。
色彩も構図も巧みで、いたく感心した。
他にも神話に基づく絵で、龍や蛇やユニコーン風の聖獣が出てくるものもあり、楽しい。
神話も今年中にもう一度じっくりと楽しみたいと痛感した。
京都・岡崎『La Voiture』(ラ・ヴァチュール)
8月12日。
京都市美術館開催の『ルーブル美術館』を楽しんだ後、懐かしの La Voitureにいく。
この店は大学の頃、美術館の帰りに度々行った店。
今はカウンター席はないが、かって三十年近く前は、私は親父さんのファンでカウンター席ばかりに座っていた。
親父さんは心地の良い偏屈マスターであった。
みんなからは普段無口だと聞く親父さんであったが、行く度にとにかくよくしゃべる。
「タルトタタンは濃いブラックコーヒーで飲むものだ。」
とか、
「コーヒー二口にタルトタタン一口がベストだ。」
とか、
「タルトタタンは なしかりんごかどちらだと思うか?」
とか、好き放題だが紳士的な口調が魅力だった。
確かに、かなりこいコーヒーと甘いタルトタタンは口に中で調和し、うまかったものだ。
親父さんのタルトタタンの講釈は行く度に深さを増す。
特別に濃いコーヒー。
おかげでタルトタタンについてはバッチリかもしれない。
一時はおばさんもお年を召されて、タルトタタンもひとテーブルに一切れといった危機に陥ったことがある。
そうして時を隔て、次の世代におかしは受け継がれた。
私から伝授した La Voitureのタルトタタン。
息子は下宿先から自転車に乗り、美術館に行く度にタルトタタンを食べる。
もちろん飲み物はコーヒーだと、彼は言う。
息子にとっても、懐かしの味。
友人たちと歩いた道。
美術館から息子と歩く。
中学の頃から慣れ親しんだ懐かしの京都会館の楽屋の通りをまっすぐに行くと、小さな店は見える。
ドアを開けると軽快なJAZZ。
私の思い描く京都の一面。
学生の頃はタルトタタンとコーヒーがやっとだったが、今日は加えて くるみのタルトも注文。
大人になっての、プチ贅沢。
苦みを増したキャラメル。
ぶちぶちとした刻みクルミのミルクが口に広がる。
うまい!
あまくて少し香ばしいタルトタタン。
親父さんの苦みばしった知的な顔とアクセントの効いた話し振りがよみがえるようだ。
親父さんに指導を受けたように,タルトタタン一口、コーヒー二口で遊ぶ。
思い出の味。
休みだというのに家で仕事の夫に、タルトタタン一つとくるみのタルト二つを持ち帰る。
思いきり濃いめのコーヒーをたて、タルトタタン一口、コーヒー二口を伝授する。
夫は目をしばしばさせて、菓子とコーヒーを楽しんでいた。