乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

金々先生造化夢 14 十二丁裏 十三丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-22 | 山東京傳

 

 

 金々先生造化夢 14 十二丁裏 十三丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

十二丁裏 

さて何もかもできあがりければ

めしたきの仙人、下女の仙人で、つちの

仙人あつまりて、水をくみ、めしを

たき、けうのものをきり、ちや

をせんじ、ぜんだてをし、

さま/\しんくする、

さて、此めしたき

の仙人下女の

仙人で、つちの仙人

など/\いふもの

ハゑどく、しんく

するものなり、下女

だの、てつちだ

のとて、べつ

にうまるゝ

ものにあら

ず、そのみ

びんぼうに

生まれしゆへ、

ゝるしんく

の奉公も

するなり、

くれらもしや

ハせさへよけ

れバ、しん内

 

十三丁表

でハないが、

御しんそさんの

おくさんの

とにんにうやま

ひろつかれ、こへみぬ

わしでくらすけ

れど、ヤ

レ、三侠

 

十三丁表

ヤレ

おさ

んのヤレ

長松のとやすくされるハ

その身/\のつたなきくハ

ほうせんと思ひいつ

なる三度太夫もあ

ハれ、みつけふへきる

        なり、

 

十二丁裏 中

   くハうじんゟの

   のたハく「これ、長松仙人

   ちやのほうじやうがわるい

   ぞ、それでハゑんがゝない

   がつてんか、それ、おさん仙

   人、はやくかま

   の下のまきを

   ひけ、

   

十三丁表 中

   こげく

   さいぞ

   アヽ、せハのやける

   やつらだ、

 

十二丁裏 下

   此ときハ

   かまどのか

   み、くほうじん

   さまも男

   女、あいせう

   のほんを

 

十三丁表 下

   みりやう

      に

   さいえいを

   のち、たい所

   を守り

   給ふ、

 

十三丁表 中

  はしめに、よ

  ろ/\、中

  くハつ/\、

  え戸

  たる

  つて

  たるねぶりと

  いふかちと

  ふねをこ

  らふ、

  

 

三侠

 三侠五義(さんきょうごぎ)

 中国の小説。石玉崑作

 北宋時代に実在した名裁判官である包拯(ほうじょう)と侠客の活躍を描く。

 公安小説と武侠をあわせたような作品である。

 成立には『龍図公安』、あるいは『包公案』と呼ばれる公案などの影響が見られる。

 兪樾によってタイトルが『七侠五義』と変更されたのは、登場する侠客として南侠(展昭)・北侠(欧陽春)・双侠(丁兆蘭、丁兆蕙)をさして「三侠」としているが、丁兄弟の存在で実質が四人であることで計算が合わない。

 そこで、智化・艾虎・沈仲元の三人を加え「七侠」としたため。

 実際、「三」や「五」という数字は中国で慣用的に使われる数字であることから、そう深い意味はない。

 

 

 
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金々先生造化夢 13 十一丁裏 十二丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-22 | 山東京傳

 

 

 金々先生造化夢 13 十一丁裏 十二丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

十一丁裏 

かくてきん/\先生に
 
するちやづけめしのどう
 
ぐだて
 
あらまし、できあがり、
 
けれどもいまだめしをた
 
きにばな
 
をふるかんじんの
 
水がなし、それゆへ仙人の
 
おかしら、井
 
戸、ほかの
 
仙人にいひつけきう
 
に井戸をほらせる
 
これも 井戸
 
ほりあし、しろからすき
 
くわのたぐいのどうぐを
 
こしらへ、その志
 
んくいく、
 
万人のほね
 
おりか、そのさき/\
 
ハかぞへつくし
 
がたし、
 
 
十一丁裏 
 
「女仙人、井戸をホルをみに
 
 くる、これハ
 
 なにのた
 
 めにみに
 
 くるかきが
 
 しれず、し
 
 たがいつたい
 
 
十二丁表
 
 りう
 
 ぐう
 
 にて
 
 ハ
 
 此たび井戸をほる
 
 ときゝ、水をさづけん
 
 と、龍王みずからたち
 
 いでゝ、おほくのうちくずに
 
 そのよういを申つける、これ、また、きん/\
 
 せんせい一人のために、龍宮までの
 
 ほねをり、のべがたし、
 
 龍王の水をさずける所かん
 
 むりがへどをはくやう
 
         なり、
 
 
十一丁裏
 
 ことハざに水ハほう
 
 いんのうつハものに
 
 ほういんの うつハものは、さしづめ、ほらの
 
 かいなり、それゆへ、りう
 
 ぐうでも、水をさづける、
 
 てつだい
 
 ハほら
 
 の か
 
 い
 
 が
 
 つと
 
 める
 
 なり、
 
 
十一丁裏  下
 
此本
 
に女
 
がす
 
けな
 
きゆへ
 
ゑぐみ
 
 
 
 
 
 
 
 
みに
 
 
たと
 
みへ
 
る、
 
 
十二丁表 下
 
こんだのちやづ
 
けめしのさいが、
 
ひものでなく
 
て、しやりせ□□□(擦れ)だと
 
おいらもろうして
 
 
いら
 
 
れぬ、
 
 
茶漬け
 
 江戸時代では、茶漬けをメインに出す『茶漬け屋』が存在していた。
 
 江戸時代は旅でもサラサラと食べられる茶漬けがブームになっていた。
 
 奈良茶飯もその一つだという。
 
 
 
 
 
 
 
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金々先生造化夢 12 十丁裏 十一丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-21 | 山東京傳

 

 

 金々先生造化夢 12 十丁裏 十一丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

十丁裏 

おけや

の仙人

井戸

がハを

こしらへ

る、これ

ハめし

をたい

たり

ちやを

にたり

する水の

用ゐまてへつに井戸を

ほるつもりなり、その木の

あまりにて、手をけこめ

かしをけなどをこしらへる、

「仙人のおかしらとやう

 面につけて、いち/\

 いろかづをそろへる

 まだ かうのものを

 きる まないたと

 こめあげざる日、

 ふき所とひうちばこ

 がてきないまきとすみ

 ハたいていできあがりだな

 どゝ、かほみせまへのしばゐの

 

十一丁表

 ごとく、おおさわぎなり、

「ひもじいせいか

 わしがにハいし

 やのげんのうが

 さつまいの

 やうにみつる 

    やつさ

 

 さくわん 

 やの

 御人

 へつ

 たいを

 ぬる、

 

「べつついの

 うハぬりハはぢ

 のうハぬりをするよう、

 なだらのはいれで

      ござる、

 

「うちハやの仙人しち

 りんの下をあふぐしぶ

 うちはをこしらへる、これ

 もやぶより竹をきりいだし

 て、うちめにはり山よりしぶを

 とりきたりて、うへにひくうちわ

 

十丁裏 下

   いしやの

   仙人ちや

   づけのに

   ばなをにる

   いしの七輪を

   こし

    らへる

 

十一丁表 下

   ぞうりもその

   さき/″\を

   恩人ばいく

   万人の手に

   かゝる事 

     やら

   しれぬなり、

 

へつたい

 へったい  (へっつい)竃(かまど)

〔「竈(かま)処(ど)」の意〕
 ①鍋や釜をかけ,下から火をたいて煮たきする設備。
  周りを土や石や粘土やセメントなどで築き,焚(た)き口をもうけ、上に鍋(なべ)・釜(かま)をかける穴をあける。
  かま。へっつい。
 ②〔竈の数を家一世帯の単位,課税の単位としたことから〕 独立生活を行う一家。
 
 
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『Along with the Gods: The Two Worlds 神と共に 第一章:罪と罰』2017 韓国 140分

2020-08-20 | 映画

 

 

  『Along with the Gods: The Two Worlds 神と共に 第一章:罪と罰』2017 韓国 140分

 

神と共に 第一章:罪と罰

  • 原題/Along with the Gods: The Two Worlds
  • 制作年/2017
  • 制作国/韓国
  • 内容時間/140分

韓国で大ヒットしたスペクタクルアクションファンタジー大作2部作の前編。

死者たちの魂が7つの地獄を突破しなければ新しい人生を迎えられない死後の世界で大冒険が展開。

 

 久しぶりに映画を見ました。

 家事があったので 二日に分けて見たが、楽しい時間を過ごせたと思います。

 2部作の前編という事なので、後日、後編を見ることにします。

 

 今回も簡単な記録のみにて失礼申し上げます。

 

 

 

 

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金々先生造化夢 11 九丁裏 十丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-20 | 山東京傳

 

 

  本当は可愛かったピグモンちゃん

 『猫 夏祭浪花鏡』風に撮ってみたもの。

 

 

    

 

 

 

 金々先生造化夢 11 九丁裏 十丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

九丁裏 

しほくみ

の仙

女ハ

かの

ちや

づけめ

しの

さいに

なる

けうの

もの

をつける

しほを

くむ、

此しほくみといふもの、お

どりやきやうげんでみ

てハ、松かぜ、村さめなどゝ

て、しごくらくそうにみや

れども、しやう、うつしのしほ

くみハ、ことのほか、ほねのおれる

ものにて、しほになるまでハ

なまやさしき事にあらず、

そのしんく、あはれむべし、

 

九丁裏 

「むかしハ村さめだの、松かぜだの、

 とてだけかしやのしろ物をみる

 やうな、きいたふうな名とついて、かうまんな かほしたときいたが ▲

 

九丁裏 中

   ▲わがやうな うつく

    しい しほくみ、あるものか、

    今 時行二十さんが

    いさんしよなら

    あつ

    ち

    から

 

九丁裏 下

      すへぜんでござん

      しやうなどゝ

      しほくみだけ

      つがもなく

      しほや

      をいふ

 

九丁裏

石しやうの仙人、しんくして

かうのものにする大こんを

つくりしほくみの仙女し

ほをこしらへわたししけれバ、

ぬりやの仙人、ぬかをうり

にきたりたる、かいの仙人

たるをうりにきたりけれバ、

なにもかもそろいて、つけもの

やの仙人、かの大こんをたく、

あんにつける、これみな、きん/\

せんせいにくハするちやづけめ

しのためなり、かうのものば

かりもたいていや、大かたのしん

くにハあらず、

つきやの仙人ちやづけめしに

なるこめをつく、これもつきやの

ひるめしのさいになるさんまの

ひものからみちをき

かれた時、あせを

ふくてぬぐいま

でそれ/\  ユ入

用の品をつくりいだす

こと、そのさき/\ハ、か

ぞへてつくしがたし、

 

九丁裏 下 

     「あをむいて

      つきやさん

      まをふつり

      くいとハ

      川柳の

      名

      句

      で

      あ

      つた、

しほくみ

 潮汲み、汐汲み

 塩を作るために海水をくむこと。また、その人。
 
 歌舞伎(舞踊)では、『汐汲み』
 
『汐汲み』『村松風二人汐汲』など、30分舞踊。
 
 映画でも七世尾上梅幸で上演されている。

『<映画>汐汲』七世尾上梅幸/ 『京鹿子娘道成寺』芝翫 十七世中村勘三郎 中村勘九郎(十八世勘三郎 東蔵

此しほくみといふもの、お

どりやきやうげんでみ

てハ、松かぜ、村さめなどゝ

て、しごくらくそうにみや

れども、しやう、うつしのしほ

くみハ、ことのほか、ほねのおれる

ものにて、しほになるまでハ

なまやさしき事にあらず、

そのしんく、あはれむべし、

 此の『汐汲』と云うものは、踊りや狂言で見ては、『松風』『村雨』などとて、至極楽そうに見やれども、仕様、写しの『汐汲』は、事の他 骨の折れる物にて、塩に成るまでは、生易しき事にあらず、その辛苦、憐れむべし。

 ほほう^^
 なかなか、深い!
 
 
北上時行  (ブリタニカ国際大百科辞典)
 [生]?
 [没]正平8=文和2(1353).5.20. 鎌倉
 鎌倉時代末期,南北朝時代初期の武将。
 鎌倉幕府の執権高時の子。
 通称は相模二郎。鎌倉幕府が滅亡したとき,信濃の諏訪氏のもとに逃れ,建武2 (1335) 年京都の西園寺氏とはかって兵を起し,足利直義の軍を破って鎌倉を占領。
 一時北条氏を復興したが,足利尊氏に敗れた。
 のち南朝に投じて,北畠顕家,新田義興らに従い,鎌倉に攻め入ったが,義興が敗れると,足利氏に捕えられ殺された。
 
 

今 時行二十さんが

いさんしよなら

 北上時行  (ウィキペディア)
 北条氏復興のため、鎌倉幕府の残党を糾合して中先代の乱を引き起こし、鎌倉を奪還するが、わずか20日で尊氏に逐われた。
 
 

なにもかもそろいて、つけもの

やの仙人、かの大こんをたく、

あんにつける、これみな、きん/\

せんせいにくハするちやづけめ

しのためなり

 かの大こんやら、漬物やら、さぞかし臭い演じ手の役者をもじっていることであろう。

 本書の初めには江戸時代の役者名も出てきて、その時も悪態をついていたので、逆にその役者に引っかかりと愛着心を持っていたのかもしれぬとほくそえむ。

 

 

 
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金々先生造化夢 10 八丁裏 九丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-20 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 10 八丁裏 九丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

八丁裏 

ぢのしたハ

しつけが

おほ

いか

つい

たち

十五日、廿

八日にハ

そうじゆつ

をたく

なり、それ

だから

地神た

ちハ、ついた

地、十五日

の礼にを

そう

じつ

の御

しうぎや

上ます

いふ、

 

八丁裏 下

   天ぢよくでばかり、ほねをおるかとおもへハ、地の

   下にても地神といふものあつて、おほく

   の手下の地神

   をあ

   つめ

   に

   ひを

   さかせ

   たり、みを

   いらせ

   たり

   する、か

   らく

   り

   の

   いと

   を

   ひき

   給ふ、

   

八丁裏 中

  此所竹田の

  しばいのゑん

  の下のごとし

  どこぞのだるま

  のぢぐらの

  ようだ、

 

八丁裏 中

  まづわせのいとかき

  きゝひきやれ

 

八丁裏 中

  これ又きん/\

  せんせいにくハする

  ちゃづけめしの

  ために、かくしん/\

  志給ふなりされバ、

  かゝるてんちのをんをあだに思ふものハ、

  もくぜんにばちもあたるはづなり、

 

九丁表

天地のめぐみにていね

にみいりけれバ、百しやう

の仙人、これをうり

とりて、もみを

うすでひい

たり、からさ

ほでうつたり、

なにやかやして、やう/\こめ

になる、これまでのしん/\、いか

ばかり ならんや、よく/\感

がへ思ふべきなり、

 

「きん/\先生、だい所へなり

 のぼりにいつたやうに

 此亭をみて、でき、

 あきのみのりとほめる、

 

九丁表

いなかそだちの仙女

すゞむ 手のづけの

くしに、ぎんなかしの

かんざし、手とり

もめんのやなぎ

に、けまり、ぐつと

はづんだ いでたち

と、みへる、

 

九丁表 下

   からさほと

   うつハいゝが

   ものまへに

   ざぶを

   かさね

   やうに

   せい

   だし

   たが

   いゝ

此所竹田の

しばいのゑん

の下のごとし

どこぞのだるま

のぢぐらの

ようだ、

竹田のしばい(竹田の芝居)  (日本国語大辞典)

 江戸時代、大坂道頓堀、太佐衛門橋南詰東入ル浜側に創設されたからくり人形芝居。

 寛文二年(一六六二)竹田近江が開場したもので、からくり専門の芝居としては日本最古のもの。

 人形、屋台、道具の類が、機械仕掛けで動くようにした見せ物。

 のち類焼で移転し、小芝居の歌舞伎となったが、劇場は明治九年(一八七六)まで存続した。

 竹田の座。

 竹田のからくり。

 竹田の細工。

竹田のしばい(竹田の芝居) (大辞林)

  江戸時代、大坂で興行されたからくり芝居。

 1662年、竹田近江(?~1704)が創始。

 初期はからくりのみ見せたが、のちには子供芝居を加えた。

 人形浄瑠璃芝居とは異なる。

 

 

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体フリフリ

2020-08-19 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

イラン アビアネ

 

 

今日はヘラヘラヘラヘラ 体フリフリ

ズンバやらジャズやらヒップホップやらストレッチやら、

ハードロックやらグラムロックやらなんやらかんやら、

 

挙句の果ては映画半ばまで

ヒラヒラドタバタ踊っていた。

おかげで夕刻には、体重が0,5キロも減っていたよ。

 

ウヒャヒャウヒョヒョ

肩こりは治るは、ストレスは発散できるは!

こりゃ!お得感、満点だわん!

 

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金々先生造化夢 9 七丁裏 八丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-19 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 9 七丁裏 八丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

七丁裏 

百しやうの仙人、いねをう

ゑ、つけたん/\ そ

ざつに したがいてん

ぢよくにても、かみな

りかせのけに、十日の

あり、又、日のかぜををふ

かせて、いねにみ

をいハひんとほね

をおる、こ

れ、みな きん/\

先生らに

くハする左たいちぜん

のちやつけめ

しのために尺

ぢよくまでか大さ

ハぎ、そのしんく、また

いかな

らん

 

七丁裏 

これハあめ

をふらせる

しかけなり、からていねい

にかいて、おとねハとしめ

なわと、みるやつさ、

 

八丁表 

かみなりの女房ほどせ

ハしなきものハなし、

わた入ものをしかけて

いなつまとひからせる、これを

おもへバ人げんの女ぼう

がゑよう

ぐひしたり、こたつに

くびつきりはいつていたり

するはあつぶてき

なり

 

八丁表 

「もはやそろ/\

 あきの風をふ

 かせよう、し

 たが、にんげん

 がめにハ

 さやり候に

 みへね

 ども、かぜのお

 とにぞ、おどろ

 かれぬるほどゝ

 みかハりに しづめておいた

 あ長谷の事を思ひ

 いたすであらふ、

 

八丁表 

「これでちやうど五十か

 くんだどうだのちつとしめりが

 ゆきわたつたかの

 

七丁裏 下

    わたしがみ

    ふりハしゆん

    くわんの

    おやすと

    きて、いやす、

 

八丁表 下 

   「たいこにつゞいて 

    ふいた/\ 

 

八丁表 中

  かみなりの

  太こハはごろ/\ 

  なるが、何の

  かりてはるか

  しらん、大方

  ひきうすの

  かわかつらの

  かわではる

  だろふ、

 

わたしがみ

ふりハしゆん

くわんの

おやすと

きて、いやす、

 渡し神の振りは俊寛のおやすときていやす、

 そういえば、此の一、二年で『俊寛僧都物語』(影印)を読んだな。

『俊寛』か。

 今一度、片岡仁左衛門丈か、吉右衛門か、三代目猿之助(二代目猿翁)で『俊寛』を見たいという衝動にかられる。

 それぞれの役者の『俊寛』は見応えがあったわいな。

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金々先生造化夢 8 六丁裏 七丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-18 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 8 六丁裏 七丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

六丁裏 

きん/\せんせいにくハすべき

ちやづけのとうぐ、まつ

大ていソロいけれども、まだ

たい一のこめかなけれバ

ひやくしやうの仙人まつ

田へタネをおろす、これ

こめをくるまゝ、あき

のじよ、ひらきけり、

「此たねまきハすぎし

 ころと百しやうが

 かとうぶしても

    あるまい

「仙人のおやかた、きん/\

 せんせいとともなハ此

 ていを見せる、

「あれ、かたき

 まに くらせる

 ちやづけのめしに

 なるのだ、

 きん/\先生曰、

「もはやわたくしも

 おまへかたのきのながさに

 ハ あきれかへつて、はらが

 ヘリとをして もう へい

 きでこさります、しる

 し まだ ひもじいきのせい

 

七丁表

 かして、わたしがめにハおまへ

 のころもが、この先、せんへいの

         やうにみへ

            ます

 

七丁表

それ

より

女房

仙人

かゝあ

仙人

よめ

仙人、ば

ばあ仙

人、うちま

じり、田を

かへる、これ

までの

しんく

/\

ひつしに

のべがたし、

はいかいし

ていはといへるか、勺に

「さおとめの よるもそろへて

 いひきかな

といへるも、ひるのくさ、ひれし

さまみへて、まことそのしんく思ひやらる也

 

六丁裏 下

   仙人のおやかた

   にハざよらく

   がもんのやう

   子しる

   し

   と

   つ

   け

   て

   お

   かねバ

   たゞの

   仙人と

   まち

   がふ

   やつ

   さ

「此たねまきハすぎし

 ころと百しやうが

 かとうぶしても

    あるまい

 「此の種蒔きは過ぎし頃と、百姓が河東節でも有るまいに。」

河東節

 河東節(かとうぶし)は浄瑠璃の一種。

 また古曲の一つ。重要無形文化財(1993年4月15日指定)。

 歌舞伎で河東節(かとうぶし)を使うのは、『助六所縁江戸櫻』

河東節 

 江戸浄瑠璃の一派で享保年間に十寸見河東(ますみかとう)が創始、江戸節とも呼ばれて鷹揚で華麗、江戸気分豊かな曲想が特長ですが、文化文政期以降は常磐津、富本、清元といった豊後節系浄瑠璃に押され衰退してゆきました。

 現在も数十曲が伝えられていますが、芝居に関連して使われるのは市川團十郎家が『歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』を上演する際、助六の花道出端のところで舞台正面御簾内で語られるのみです。

 その際「河東節十寸見会御連中」として日替わりで並びますが、主に他の邦楽の心得がある旦那衆や奥様方が中心となっています。(金田栄一)(歌舞伎様案内より)

 

 勺は、尺貫法の体積の単位である。 合の10分の1、升の100分の1と定義される。

 日本では1升=約1.8039リットルであるので、1勺は約18.039ミリリットル、中国では1升=1リットルであるので、1勺は10ミリリットルとなる。

 

 

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金々先生造化夢 7 五丁裏 六丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-18 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 7 五丁裏 六丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

五丁裏 

ひやくしやうの仙人、いちやづけめしの

さいになる、けうの おの大こんをつくらん

と、まづ大こんのたねをまゝ、此たね

をまゝまでにも、はたけをかない

こやしをかけ、大こんになるまでのしん

くハさらにたとへがたし、

 

五丁裏 

又、ちゃつみの仙人ハちやづけのに

ばなになるちやをつむ、これも

ちやになるまでのしんくいか

ばかりか、しれず

 

五丁裏

「ちやつみの女中にみとれて

 おもハずちやの木にだき

 ついた そゞろな人さん

 じや チンツ チャン/\

 などゝちや

 つみの仙

 女、ごう

 せへに

 かく

 

五丁裏

「はやく

 こつちへ

 きせん

 ほうし

 わがいほハ

 

六丁表 

  みやこの

  ちやつみ

 しるぞ

 すな

 よう

 うち/\と

 らち

 のあ

 かぬこ、

 たぞ

 じれつ

 てへそ

  よウ

 

六丁表  

「おさる 

  さん、

 かんぶつ

 のちつたま

 めぞうを

 こるやうに

 ざるを

 もつて

  まご/\

  しなさんな

 

五丁裏 中

   「たねから大こを

    とらヤァ/\

    なむこう

    たんのうと

    にんげんに

    きこへれ

    ば、いく

       が

 

けうの おの大こん

 京の小野大根か?

 

「はやく

 こつちへ

 きせん

 ほうし

 

 「早くこっちへ喜撰法師」

 「早くこっちへ来せん法師」

 きせん(掛詞)

 

  喜撰法師

 伝不詳。宇治山に住んだ僧ということ以外、確かなことは判らない。

 いわゆる六歌仙の一人で、古今集仮名序には

「ことばかすかにして、はじめ、をはり、たしかならず。いはば、秋の月を見るに、あかつきのくもにあへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれこれをかよはして、よくしらず」

と評されている。

『元亨釈書』には「窺仙」なる僧が宇治山に住んで密咒をなし、長生を求めて仙薬を服し、あるとき雲に乗って去って行った旨書かれている。

 また『孫姫式』には「基泉」の作が載るという(『古今和歌集目録』)が、いずれも喜撰と同一人物かどうか判らない。

 歌は古今集の一首以外たしかなものは伝わらない。

 歌学書『喜撰式』の著者と永く信じられていたが、今日この書は平安中期の偽書とみる説が有力視されている。

   題しらず   喜撰法師

   わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり(古今983)

 喜撰法師は宇治山に住んだ僧であり、『金々先生造化夢』のここでは、茶摘みの話と挿絵を用いている。

 宇治は現在も有名茶所で、黒い風通しの良い布で直射日光を遮って茶を育て、玉露を作っている。

 

 

 

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2020. この夏のももちゃん (5枚)

2020-08-18 | ヨーキなモモちゃん

 

 2020. この夏のももちゃん (5枚)

 毎日、7回程 パパさんに連れられて、シィシィ。

 短いお散歩以外、モモは、お家にいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暑いので、ほぼ全部の写真、舌を出しています^^

 

 

 

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金々先生造化夢 6 四丁裏 五丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-17 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 6 四丁裏 五丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

四丁裏 

きぢやの仙人、ちゃづけのぜんのしたぢ

をこしらへて、ぬしやの仙人にわた

す ぬしやの仙人、かしやの仙

人より、うるしをかいとうて、かの

ぜんをしやんげいにぬる、これやも

まだ、しやんけい、したぢのくちな

しを山からとつてだす仙人も

あつぬしやの

仙人のつ

かふはけ 

をこし

らへる、

仙人も

ありその

さき/″\

をくハ

しく

まん

人の

くん

か かぞへ

てし

がた

し、

 

五丁表

やく

しごとをしまつて、あつ

がんを一ツ

はいせ

しめ、うるしと

 でかけたい、

 

ほしやの仙人、ちやづけ

めしをくふはしを こ

しらへる、此はしやの

ごとく みぢかき きにて

かくばしのころんだ事

にも はらをたち、ひつ

さきばしのふうふ

げんくわ ぞうにば

しのふとじるし

などゝと、人をハ ぞう

ばしのごとく、おひつかい、

すぎばしのあげおろし

にやりました、

  仙人なり、

 

「道とをりの女仙

 人、なかにハ つがもな

 くひじろくものあり、

 これらもふよりの人

 にあらず、かような△

 

五丁表 下

うつくしき

仙人を天から

みくだして通り、

すがいにもこの

やうなほねを

おるは、よく人

のめをよろ

こばせ給う

   なり

 

四丁裏 下

  「うるしやの仙人ハちやづけの

   ぜんへぬるうるしを

   こしらへる、これも山

   からうるしをとり

   きたり、うるしやの

   仙人のてんわたる

   までにハ おゝく

   の仙人の手に

   かゝる事なり、

   そのしんく

   のべつくし

   がたし

 

四丁裏 下

  「オット、めくら

   仙人、つゑの

   ほう/\

   これで けふも

   五たび しりを

   つゝつかれるうるしやハはく

   たくとひらめが、うら

   やましい せなかに

   めが

   ある

   から

 

四丁裏 下

  「めくら

   仙人ゑて、うるしや

五丁表 下

   のしりを ほつつく

        もの

        なり

 

しやんげい しやんけい

 上芸か?

 

うるしをかいとうて、かの

ぜんをしやんげいにぬる、これやも

まだ、しやんけい、したぢのくちな

しを山からとつてだす仙人も

 漆を買いとうて、彼(か)の膳を しゃんげい(上芸か?)に塗る、此れやも、まだ、しやんけい(上芸か?)、下地の梔子(くちなし)を山から取って出す仙人も

 

したぢのくちなし

 したぢとして梔を塗り、黄色味をおびさせてから上塗りをしたのだろう。

 正月のおせちや料理で、梔子(くちなし)の花を使って黄色に着色する。

 日本の伝統食の一つで、染色にも使われた。梔子色の帯揚げや着物の裾に少し使うと、華やぎがありそうだが、翫雀時代の中村鴈治郎が全身梔子色の麻呂風着物姿で「ぼっちぃ〜!」と自分の事を指さす(新 歌舞伎『蜷川十二夜』)と、さぞや楽しい舞台になるであろう。 ああ!芝居が見たい!!!

梔子色(くちなしいろ、支子色)

支子色(くちなしいろ)

 

ひつ

さきばしのふうふ

げんくわ ぞうにば

しのふとじるし

などゝ

 ひっ裂き橋の夫婦喧嘩、雑煮の麩とじ汁品等と

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Sunazawa Bikky 砂澤ビッキ

2020-08-17 | 乱鳥徒然 Rancho's room.

 

 Sunazawa Bikky 砂澤ビッキ

 1931-1989

 北海道出身の彫刻家

 

 確か三回生か四回生だった頃、一人で北海道に行ったことがある。

 旅も終わりに差し掛かり、真昼間のすすきのを歩いていた時の事。

 粗彫りの立体造形の並んだ店が目に入る。

 そこは造りこそ違うが、京都丸善の『檸檬』(梶井喜次郎)の様な静けさの店であった。

 

 作品は一瞬にして私の心を捉え、かなり長い時間楽しませていただいた。

 店のスタッフが、二階に大作があると案内して下さった。

 そこには、ビッキの芸術作品が所狭しと胸を張っていた。

 大きな作品群にはビッキの息吹と威厳を感じた。

 

 私は、ビッキに魅了されたが、芸術作品には手を出すことはできない。

 ビッキの「幸福の鳥」という名の土産を購入。

 学生としては分不相応な値段ではあったが、どうしても欲しかった。

 今も幸福の鳥を時々眺めては、乱鳥、ニンマリと笑う。

 

 先日、たまたま『開運!なんでも探偵団』で砂澤ビッキの作品を見て、そんな事を思い出した。

 

 

 Sunazawa Bikky 砂澤ビッキ

 

 

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金々先生造化夢 5 三丁裏 四丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-17 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 5 三丁裏 四丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

三丁裏 

かくての仙人のおかしらお北の

このは、仙人に申つけきん/\せんせい

にくハするちやづけめしのしたく

をするどろぼうをみつけて

なわをなうより もちつと

じれつてへよゥと申

    しざいなり

仙人のおかしらきん/\

せんせいを同道して

びていをみせる、

 

三丁裏 中

  そまの仙人山へ

  いりちやづけの

  ぜんにこしらへる

  木をきり

  いだす、

 

三丁裏 中

  「すみやきの

   仙人ちやづけに か

   すみをこし

   らへんと中

   にてあら

   ぶきゑだ

   をあつ

   める

 

三丁裏 右下

    ひだるいもとをり、ぬ

    けるとよい

    ものにして

    ど

    う

    に

    こらへ

    よく

    なり

    ました、

 

四丁表

「おい

 らが

 しやう

 バイハ

 やらうの

 きてきと

 きている、

 

四丁表

「こびきの仙人、そまの

 仙人がきり(かぎり)いだせし

 たいぼくをひきわり、

 いたわしてぜんをこし

 らへる、仙人にわたす、

ずいこう/\、ずいこうハさいきん

のかへりみず、此くらい わるい

ぢぐちハにんげんの

ほうにハ

なし、

 

四丁表  中

  「まだめしとちや

   と しかける水をくむ

   井戸がハになる木と

   つるべと手をけになる木

   とかうのものを きるまな

   いた、かまのふたとへ、つたいの

   かハほうテウのゑになる木まで

   切らねバならぬ、

   

四丁表  下

     きこりの

     仙人

 

三丁表  下

     ちやづけ

     のめしを

     たく

     まきを

     あつ

     める

びてい

 尾骶(尾骶骨)か

ずいこう

 随行(《名・ス自》目上の人のともをし、つき従って行くこと。また、そのともの者。)

 

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金々先生造化夢 4 二丁裏 三丁表 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-17 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 4 二丁裏 三丁表 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

二丁裏 

きん/\せんせい、ゆめのうち

に、一人のとうじにいさなハ

れ、いづこともわかぬ しんざん

にきたりとみてあれば、

しきのそうくわさきみ

だれぬ きやうもにくんじ

けれバ、又ゑいぐハのゆめの

二はんめでハないか、ちと うつとう

しいぞと思ふをり、うち一人の仙人

あらハれ、きん/\先生にしめして

いろ/\なんちさきにゑいぐわの

ゆめをみて、よりうき世の事ハ

みなゆめなりとさとり、これと

いふ世わたりのわきをせす、これ

ざいのいきすきにて さとらバ、

ときにハおとりなり、なんぼさ

とつても、めしをくハねバ いきて

ゐられす、すでに

古終にもつねの

さんなきハつね

のこゝろなしと

いへり、よしだの

けんろうも みづ

から むしろを

おりて、よわたり

 

二丁表

ことせしなり、まづしバ

らく此山にこうりう

すべし、なんじがな

まだとりのあや

まち、みづから

がてんゆくべし

と、仙人長口上

のうち、きん/\

せんせいハひだ

るくても、どうも

ならず、どうぞ

おちやづけをさら/\

とやらかしてから、

おしめをかけまし

たうござりますと、

こぞ申ける、

仙人曰、

「なんぢうへにのぞみたるよし

 何ぞしよくもつをあたふべ

 きなれと仙人ハ玉のくづ

 をくらい、かすみやきりを

 のんでしよくもつをなす

 ゆへ、にんげんにくハする物

 なし、しバらく待て、おし

 つけちやづけをふるまふべ

          しと

 

二丁表 中

   さて/\

    仙人ハ

    きの長き

    ものなり

    きん/\

    先生が

    はらのかげん、お

    もひやられて

    あハれなり

 

二丁裏 下

      「さてハあなたハお仙人

       さまでございまする、

       わたくしハ又ばいやく

       店のどうにんぎやう

       かと、そんじました、

    

二丁裏 下

    これハ

    たしかに

    ゆめで

    ござりませう

    なぜと申すにあ

    なたの おうほが

    ぶしつけながら

    ぼたもちの

    やうだからさ、

    アハヽ/\/\

       /\/\

    かならず

 

二丁表 下

    おきにさへ

    られまする、

   「玉や

    きりと

    のむと

    おつ

    しやれぞ

    どうか

    てづま

    つかいの

    やうだ、

一人のとうしに

 一人の同士に

いさなハれ、

 誘う

ゑいぐハのゆめ

 栄華の夢

古終

 古代の終わり

 終古(歳月のきわまりないこと。長い年月。永遠。)

 

わたくしハ又ばいやく

店のどうにんぎやう

かと、そんじました、

 私は又売薬店の同業人かと、存じました。

 

おうほ 応報(おうほう)

 (したことに対する)むくい。果報。

 

 

 

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