2011年9月3日(土)
肝高の阿麻和利9月公演、初日。
響ホール。
「世界のウチナーンチュ大会」のアトラクションにも出演することになったらしい
肝高の阿麻和利メンバー。
今日は去年度の卒業公演以来?の、
ダイナミック琉球も観ることもできましたよ(ラッキー☆)
(Teamシンカヌチャーのとはまたちょっと違うのです)
ウチナーンチュ大会も、楽しんでがんばって下さいね~!
というわけで、毎度おなじみのマニアックレビューです
≪今日の賢雄コーナー≫
ああっ、ドウシヨウ!!
望月按司妃の印象が強烈すぎたのか
決して悪くはないんだけど、ワタシの中でイメージのズレがあるのか
どうもしっくりこない……
と、前半はちょっともやもやしてたんですが…
前 言 撤 回 。
最後に魅せてくれました
もう、周りのみんなが阿麻和利の最期に涙しているさなかに、
「にやり」が止まりませんでした(笑)
阿麻和利最期のシーンでの賢雄、
さぁ、どうするかな~?と見てましたら、
(絶対賢雄見てるワタシ(笑))
いやはや、
お見事でした
仕草、振りで賢雄の心情の移り変わり、
武将として気丈であろうとする姿やそれでも隠せない動揺や葛藤、
自分の行いを後悔するそのきっかけ、
全部伝わりました!!
それにしても、最近の賢雄は皆かぶりものしないのね…。
結構好きなんだけどな。あのかぶりもの有りの賢雄…。
(男の子が演じるときはかぶるのかなー?)
≪唐か明か≫
「おお、唐の、カナーとでも呼んでくれ」
「海賊達に拾われて、明国へ渡った」
「海の向こうには唐がある、大和がある」
「唐から来たか、南蛮から来たか」
「唐渡りの石火矢と申す物…」
etc…
明と唐の混在で、「明国」に統一か?と思われた前回の舞台でしたが、
あら、コレまで通りのセリフ回しに戻りましたね。
やっぱりアレかな?
前回レビューのコメント欄でJohn Doeさんからあったように、
唐は必ずしも一王朝(時代)の意味だけではなく
中国の地域を時代に関係なく「唐」と総称していた、
というスタンスでこれまで通りにするということかな?
個人的には唐のほうが聞き慣れているので
唐のほうがしっくりくるんですけどね
≪歴女な肝子!?≫
おいおい、
グスクコレクションって(笑)
グスクや御嶽(拝所)の石や植物を持ち帰ってはいけません(笑)
グスクに興味をもっている歴女な肝子っていうのも面白いね。
でもクライマックスでは
「私、グスクのこと何も知らなかった。ううん、知ろうとしなかった」
って、おい、グスクコレクションするほど興味もってたんじゃなかったのかぃ
はい。これはツッコんじゃダメですね(笑)
≪その他徒然≫
百十踏揚の白の打ちかけ、ステキステキ
神女っぽいし、いつものピンク衣装より大人っぽく見える~
(ちなみに琉球の神女は全身白装束の印象がありあすが、
ボス格は結構華やかな色柄つきの衣装もつけているのです)
百十踏揚、エイサーの後に不吉な予感がして振り返る、というのは前々からありましたが、
今日その後もずっと目で追ってみたらかなり細かいトコまで演じてましたね
不吉な予感がして振り返るけれど、阿麻和利に声かけられて向き直り、
不安を打ち消すかのように首を振り、
でもやっぱり気になって阿麻和利に声をかけようとするけど、
酒を飲み干す阿麻和利に言い切れず、
なんでもないのだと自分に言い聞かせ、
無理に笑顔作って阿麻和利の話にのる、
みたいな、ね!
こういういわゆる“背景”での各キャラの仕草って面白い
だから何度見ても見るところがいくらでもあって飽きないのかも
背景での仕草といえば、
前半のクライマックス、あまわり誕生の後でみんながハケるシーン、
ジラーたち(ジラーと南風原?)、なんかやってたなぁ。。。
何してたんだ?
そしてジラーといえば、変なじらぁ~のくだり、
4名それぞれ芸が細かかったですね(笑)
南風原、なんか爆笑してるし。
ジラー。大丈夫。自分の顔触ってみても何も変わらないから(笑)
個人的には阿麻和利が仲間に入ることを容認しないジラーに向かって
「よぉ!まぁ仲良くなろうじゃないか」という感じで手を挙げた阿麻和利に、
ジラーがぷいっと横を向いたとき、あふぁ~じら~して挙げた手を所在無さげにさげる阿麻和利君がツボでした(笑)
(前も書いたっけ?)
長者の大主のソロ演舞で祈るしぐさが丸々なくなってたり、
首里の場面で三つ巴の人たちがなくなってたりしたのはちょっと残念だったかも…。
前半の三つ巴の演舞で上から垂れ幕がバッと降りてくる演出がなかったのはホールが違うからしょうがないけど
やっぱりアレがないのは派手さが変わりますね ←ハデ好き
そういえば、阿麻和利君の羽織の赤い装飾品(通称ふさふさ)どこ行っちゃった?
金丸がグレーヘア~だったのもなかなか老けて見えて新鮮でした
(ちなみに金丸は尚泰久と同い年です。演者さんのことじゃないよ。歴史的に。)
響ホールはきむたかホールよりも大きいので
舞台に立てるメンバー(特に女サン)もほぼ全員だったのでは?
(最後のお辞儀、3列だったり縦の客通路にも並んでたくらいだものね!)
それだけの大人数での「肝高の詩」は
女サンのパーランクー部隊も加わってさすがに圧巻の一言でした。
最後の最後の決めポーズでは、きむたかバンドも全員手挙げて、
男サンはグスクや段の上に登って段差つけて、
全体的により迫力のある決めポーズになってて迫力倍増でした!!
≪うーん…≫
さて、ただ今回の舞台はちょっとだけ気になった点が…。
書こうかどうか迷ったけど、やっぱり「うーん…」ってなったので書いときます。
あくまでもワタシ個人の印象、感想として。
笑いのシーンは物語に緩急つけるために必要だと思います。
今までも色んなパターンに笑い、楽しませてもらいました。
でもね。
物語の進行をさえぎる、
つまり話のメインになっている人物達と無関係に、
いつまでもそこだけで盛り上がってるキャラクターってのはどうかなぁ…
主役を邪魔しないっていうのも端役の大切な役割だと思うんだけどな。
いや、みんな上手いのよ。
上手いからこそメインそっちのけにしてそこに意識が「盗られちゃう」の。
登場の時はいいと思うのよ?
その時は“メイン”だから思いっきり遊んで注目を引いて笑いを取るのもいいと思う。
でも物語が進行していく中で、“メイン”の人物が他に移ったら、少し押さえることも必要で。
人数も多かったので今回はちょっとヤリすぎかなぁ…って思いました
あと、これは別シーンですが。
既存のお笑い芸人のネタをそのままコピーするっていうのも…
ちょっと気になります…。
(エッセンスをちょっとだけ、ならいいんだけど…)
ワタシが古いのか?
なんかどうも内輪ウケっぽい雰囲気がするんですよね…。
(笑える人が限られてくるっていうか)
中高生だけのお客さんならいいかもしれませんが
一般の公演となると色んな世代がいるわけで
ウケやノリのギャップがかなりあると思うんだ。
だから意味分からなくて「?」な人もいたかもしれないし、
人によっては引いちゃう場合もあるかも。
今が旬の、今しか使えない(ウケない)ネタを引用するのも今しかできないことだから!
っていう考え方も、もちろんあるかも知れませんが…。
でも個人的には、コピーじゃなくて
自分達で作り出したモノで笑いをとってほしいな~と思ったりします。
せっかくアレだけ上手いんだから。
誰かのものをコピーしなくたって十分に笑える演技もいけると思うのですヨ。
ってちょっと、肝高の阿麻和利にはめずらしく辛口意見を書いてみました。。。
なんか、今回はすこ~し「あれ?」って思ったので…。
でも明日の公演はまた今日よりもレベルアップしているんだろうな~。
やっぱり、明日の公演も観たいわ。
…でもやっぱり行けないけど
歴史ブログ 琉球・沖縄史
写真は今日参ってきた阿麻和利の墓。
勝連グスクには寄れなかったです…。
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