がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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テンペスト最終回 and more…!?

2011年09月18日 | ・『テンペスト』徒然

ドラマ・テンペスト全10話、
今日無事に完結しましたね

たった10話であの壮大なドラマがおさまるものかと心配していましたが、
なんとかかんとか、
スーパージェットコースター並ではありましたが
ウマく収まりましたね(笑)

毎回毎回、

はぁ~、なるほど、こうもってきたかぁ~

と感心しておりました。

(↑あれ?なんか上から目線?(笑))

 

寧温と真鶴の二面性と、琉球の二面性を重ね合わせた徐丁垓のセリフ、
阿片事件での女官大勢頭部の去り際、
八重山での女官大勢頭部との再会や、
ペリーとの対決でこれから琉球の在り方を述べるシーン
先に真鶴が首里天加那志に正体を明かす所なんかが
原作とは違ったアレンジになってて印象に残っています。

(ペリー対決での寧温君の論は、原作では科試受験前に麻先生に対して述べた持論として出てきます☆
この論に打たれた麻先生は寧温君の科試受験を許可します

 

 

 

で、必ず1話に1回は激しいツッコミが入るのもまたドラマならではか(笑)

 

ツッコミランキング

1番のツッコミは問答無用で
「蜘蛛の糸」(5話)

2位が
「ぬわんじゃこりゃ~!」(7話)

3位は、
津波古が買ってきた簪(笑)(9話)
↑マジで本気で「ちゃっちぃ~!!(`Д´) 」って叫んだ。
勾玉といいコレといい、なんであんなに質感がおもちゃなの?

 

で、今日のツッコミは尚泰王の「命どぅ宝」でした(笑)

いや、セリフじゃなくて、言い方。

…軽…っ(´Д`;)

みたいな。

…いや…、まぁ、若いし、沖縄人でもないんだから難しいよね…。
(沖縄人にとってこれほど重い一言はないのだよ)

でも今は見ることができない御内原や、
衣装、小道具(火矢とか(笑))、キレイな琉球の風景が
映像として見ることができてとても楽しかったです

よりイメージが広がった感じ

ドラマをみて、また首里城に行ったら
またより楽しめるんだろうな

(あー、テンペストガイド卒業以来、首里城1回も行けてないなぁ…

 

また各キャラの年齢設定、
原作よりドラマのほうがリアルでしたね。

明、今日のドラマでは二十歳だったけど、
ワタシのテンペスト年表でも二十歳なの。
(ちなみに真鶴は50代半ば)

でも原作ではもっと幼いっぽい(笑)

「うわぁ、これが王宮?すっごいなぁ」
「テンペスト(下) P418-」

…これは二十歳の男子のセリフじゃないもんね(笑)
小学生くらい?(笑)

 

 ちなみに成長した孫明が朝倉に似てると思ったのは私だけ?

同じ系統の顔っぽくない?

…きゃー!真鶴ったらもしかして…!!

…なんてね(笑)

(今日は尚泰に何かと同情

 

 

ということで、結論は一つ。

ドラマでテンペストを楽しんだ皆様。

今度は是非「原作」へ!

寧温や真鶴が奮闘したドラマの数々が、
もっと深く深く楽しめますよ~!

 

そして怒涛のテンペストムーブメント、

 

次はなんと、映画化だそうです。

しかも3D

しかも引き続き仲間由紀恵。

 

 


…いかん、

 

コレが最大のツッコミかもしれん。

(いや、舞台化の発表の時よりはマシか?)

ドラマのアフターストーリーとかアナザーストーリーとかなら分かるけど…。

どうなんだろう…(ノ_-;

 

 

 

*おまけ*

今日の最終回で嗣勇兄ちゃんが演じた
組踊「執心鐘入」コチラからどうぞ☆
(嗣勇兄ちゃんが演じたの。若松じゃなくて、鬼女のほうだったか~(笑))

 

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台風15号

2011年09月18日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

すげぇ。

こんなん、初めて見た(゜д゜;

 

丸2日間暴風域ヒット予想だったのに、

いつの間にかヒットなしになってるし…。

 

台風15号、進路予想の変遷。

こうなって、

こうなってから~の、

こう。

もう、わけわかりません

 

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喜屋武グスクと鬼大城

2011年09月18日 | ・琉球史散策/第一尚氏

久々のグスク散策記事

うるま市にあります、喜屋武(きゃん)グスク

去年まで普通に生活圏エリアにあったグスクだったのですが、
近すぎるとかえって後回しになるいういい例です(笑)

9月3日に、響ホールであった肝高の阿麻和利公演に行くついでに
やっと寄る事ができました。


↑左に見えるかまぼこ屋根の建物が響ホール

今は喜屋武マーブ公園として整備されていて、
展望台とか芝生の広場とか遊具とか隣にはテニスコートとかがありました。

「喜屋武グスク(城跡)」という標識や案内板も見つけることができず(ないのか?)
「グスク」らしい面影は全く見当たらない…。

…って、そんなはずはあるまい!!!

グスクらしい御嶽とかお墓とか遺構とか、探してやる!!!

と、ワタシの史跡センサー感度MAX!

キーポイントは

ひと気のない“裏”&“藪の中”

行ける所までは行く!
(あまりマネしないほうがいいかも…

ほら、みーっけ!

…トゥンヌ神?

火ヌ神(ひぬかん)もありました。

シードーガー。

…カー(湧き水/井戸)?

帰ってみらべて見たら石組みとかあったっぽいですねぇ。

この藪の中にあったのかな。

さすがにこの藪の中には入らなかったので
気付かなかったです(…チッ) 

でも1番探したかったのはこういうのじゃなくて…

喜屋武グスクといえば、

アレがなきゃ…。

草ぼーぼーの階段や整備途中?の小路を

登ったり降りたりとうろうろ…。

怪しい岩場発見!

…あった!!!

喜屋武按司の墓!
(トップ写真も)

やっぱり、他のエリアとは違った雰囲気でスゴイ

(ワタシはうろうろとかなり遠回りの末にたどり着きましたが、
展望台のある広場から左に降りればすぐでした

はい、ここで喜屋武グスク&喜屋武按司講座~!

喜屋武グスクは、鬼大城賢雄ゆかりのグスクなんです

伝承によると賢雄はここで生まれ幼少を過ごしますが、
幼くして父親が他界。

幼い賢雄と弟2人の3人を連れた母親は知花の大城家を頼ります。

故に“大城”らしいです。

賢雄は知花の大城家で成長し、
もしかしたら隣の越来グスク、当時王子として一帯を管轄していた尚泰久のに仕えたのかもしれません。

全く別の驚きの説もありますが(笑))

というわけで、この喜屋武按司の墓は、

もしかしたら賢雄の父ちゃん、または爺ちゃん、曾爺ちゃんのお墓

なのかもしれません。

ウートートー。

 

一帯は階段などかなり広範囲に渡ってしっかり作られているけど
いかんせん、草ぼーぼーすぎて
普通の人が気軽に利用できるお散歩コースにはなっていないのがもったいない

この階段を降りてきて、右手に続く藪の中(写真左)は……

さすがにちょっと入るのやめておこうかな。

そのかわりにこっち!

道はないけど、奥になんかありそう…。

あった…!

なんともなんとも古めかしい石の御嶽。

先に紹介した火の神とは違って、

標識も何もなく、

また、ここまでの道すらもなかった場所にあったこの拝所。

ただの御嶽じゃなさそう…。

こういうのに歴史を感じます。

 

散策させていただきありがとうございました。

お邪魔しましたm(_ _)m

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今日、テンペスト最終回!

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 *おまけ*

何この台風。

本当に

今現在、沖縄本島、普通にいい天気。

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