ドラマ・テンペスト放映後は、
テンペスト関連のアクセスや訪問者数がガンとあがります。
(特に寧温モデル記事と、テンペスト年表記事へのアクセスが異常に高い(笑))
回数を重ねるごとに劣るどころかどんどんあがっていくので
ドラマの影響が強いことが伺え知れて嬉しいです
ドラマも残すところ後2回です。
さて、去った第8回では、
主人公が孫寧温という男性と、真鶴という女性の
2つの性を行き来する名シーンが再現。
その、2つの性をつなぐ舞台となるのが、
暗シン御門(くらしんうじょう)。
ドラマではこの名前は出てきませんでしたが、
原作ではがっつり出てきます。
さて、その暗シン御門の存在、
絶対フィクション!!
って思ってましたが、
実はコレ、
本当に首里城にあったのです(!!)
それがこちら!!
……と言っても、中央の暗いがりの部分ではありません
(中央は正殿内見学への入り口です)
役人の格好したスタッフさんの手前、
柱と柱の間に透明のビニールがかかっている部分、
この左右を横断するような空間。
右手は御内原。
テンペストで言えば「裏の世界」
左側が御庭。
テンペストで言えば「表の世界」
裏(右手)と表(左手)をつなぐ通路。
ここに、かつて本当に暗シン御門があったのです!
別名、左掖門(さえきもん)
暗シン御門があったであろう場所に立って、
御内原をみた光景。
かつてはブルーシートがあった場所に、
王妃が管轄する黄金御殿(くがにうどぅん)がありました。
暗シン御門はこの黄金御殿の1階部分にありました。
写真は半年前のものですが、
今も御内原は修復作業中。
残念ながら入ることはまだできません。
でも、奥にある白銀門や二階御殿を覗きみることはできますよ。
そしてこちらが、
暗シン御門があったであろう場所に立って、
表の世界を見た光景。
正殿、御庭のすぐそこ。
写真左手に見えるのは白木造りの日本様式の南殿です。
そんな、御庭横に出るとか、
人目ありすぎて忍んで行き来するとか無理だろ!!
って思えますが…
ドラマでは御庭が見えないように、
(御庭から暗シン御門の入り口が全く見えないように)
南殿と正殿の境目に壁ができてましたね。
振り返った光景はこう。
右手が南殿。
左手が御内原エリア。
原作では、御内原から暗シン御門を通って表に出たら、
この南殿の裏をぐるっと回って表のエリアに入りなおす、
ということになってます。
*
暗シン御門は、「門」とついていますが、
その形式は守礼門のような門ではなく、
広福門や奉神門(有料エリアのチケット切るトコロ)のような、
建物の1階部分に空間を作った形式の門です。
ただ、暗シン御門が不思議なのは、
まっすぐの通路ではなく、
クランク状に捻じ曲がっている通路だということ。
故に光が入らず、昼間でも暗い空間であったようです。
原作を読んでの印象は、
地下通路のような、鍾乳洞のような、
じめじめとした暗くて古くて狭くて長い通路をイメージしてましたが
本当の暗シン御門のイメージはトップ写真のような、
周りを壁(たぶん朱漆?)で囲まれた暗い空間、となります。
(しかもきっとそんなに長くない)
現在、暗シン御門は復元されておりませんので、
当時の姿は想像していただくしかありません。
(ただ戦前の首里城正殿の写真には暗シン御門の空間があるのがはっきり分かります。
詳しくは、コチラからジャンプして下さい)
しかし、「暗シン御門の内部ってこんな感じ」という
似た雰囲気を味わえるのが、トップ写真の場所です。
(これはまっすぐ通路ですが、これがクランク状になっていると思ってください)
首里城に行った際は、ここがどこにあるのか是非探してみてくださいネ
(ヒント*正殿の中です)
では最後に原作、テンペストより引用です。
■テンペスト行脚~首里城/暗シン御門~■
「あごむしられ様、人目につかぬようお早く」
意を決して飛び込んだ暗シン御門はその名の通り全く光の差さない空間だった。
人口の空間なのに鍾乳洞のように湿度が高い。
屋根裏部屋のような饐えた匂いがあまり人が使っていない通路だと伝えていた。
真鶴は暗シン御門を壁伝いに歩いていく。
「本当にここは王宮なのかしら?」
「テンペスト(下) 198-」より (池上永一著/角川書店)
歴史ブログ 琉球・沖縄史
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