テンペストでも首里城を象徴するモチーフとして登場していた琉球の龍。
首里城にはたくさんの龍の造形を見ることができますが、
その指の秘密については以前も記事にした通り。
中国皇帝を象徴する中国(側)の龍は5本指。
琉球はそれを考慮して、一本引いての4本指。
………でも、 ホ ン ト に ?
この間、琉球の衣装や装飾品のデザインについて
じっくり調べる(観察する?)機会があったのですが、
…あれっ、琉球の衣装、装飾品なのに、
5本指の龍、結構あるよ?
たとえば、この王冠。
簪部分に龍のレリーフがあるのですが
(写真では分からないですね~)
その龍が5本指なのです。
それから、現在首里城で催される様々な再現儀式で
王様が召しているこの衣装の龍も5本指。
これは写真でも確認できるかな?↓
ちなみに代々の琉球王の肖像を描いた御後絵でも、
13代尚敬王からあとの王様の衣装の龍も5本指であることが確認できます。
衣装に関しては、中国側からもらった反物で衣装に仕立てることもあっただろうということで、
made by chinaといことで5本指の龍。
うん、まぁ、それは分かる。
でも中国側は別に指の数とか気にしてなかったのかなぁ~
琉球側は中国への献上品を作るときは5本指の龍で作ったりしてますが、
中国側は琉球へあげる反物だからと4本指で作ることはなかったということ?
更に面白いのは王冠。
今に残る王冠は中国からもらったものではなく、
琉球側で作ったもの。
本来なら宝珠は7列でなければならなかったものを、
中国が明から清へ変わったどさくさにまぎれて勝手に12列で自作しちゃった、
というのはテンペスト行脚~王冠~をどうぞ。
それは知ってたんですが、
その簪の龍までもが5本指で作っちゃった、となると……。
…これってヤバくない?
中国皇帝とか冊封使とかにバレなかったのかなぁ。
それとも清王朝は龍とかあんまり執着なかったのかな。
とことんしたたかな琉球が見えてくる気がします
(…はっ、今改めて御後絵を確認したら、11代の尚貞の龍は4本指!
尚貞王の時代は既に清国ですが、なるほど、清国になってすぐにではなく、
ある程度ほとぼりが冷めてから5本指で自作したんですね(笑)
ちなみにそれより以前の御後絵の衣装は無地なので龍は確認できません)
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先日の中秋の宴でまた新しい王様決まったはず…。
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