がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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沖縄の“アカ”

2012年04月26日 | ・琉球歴史/文化風景

プロジェクトX 挑戦者たち~炎を見ろ 赤き城の伝説

見た。

このエピソードは文章化されたのは読んでたけど
実際にプロジェクトXとして見たのは初めてだった。

やっぱり、こだわりや執念はすごかった…。
(そして学生時代の高良先生、すさまじすぎ!)

この番組が放送されたのは今から10年前、
そして首里城が復元されて、今年で20年になるのか…。

 


大学の時、

ルーム(ゼミ)の先生(色彩学・デザイン専門)が、

「沖縄は“アカ”が違う」

って言っていたのを思い出した。

 

首里城のアカは、晴れた日がもっとも映える。

 

…けど、

実は沖縄の快晴の日数って結構少ないらしい。

 

あー。

晴れた日に首里城行きたい…。

(行くタイミングは何度かあるんですが、曇りとかばかりで結局ヤメてることが多い…)

 

 

   
写真は過去のものから再掲載。
スキッと晴れた日に首里城写真をとれたのはごく一部なのだ。

コメント (2)
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テンペスト行脚~末吉宮~

2012年04月26日 | ・『テンペスト』行脚

木曜日なのでテンペスト記事。
(その前に「プロジェクトX」ですけどね!!)

末吉の森にある遍照寺については前回書きました。

末吉の森にある、もう一つのお寺が「末吉宮」

テンペストでは「末吉宮」との単語が出るのはたぶんここだけなので
引用箇所は前回の遍照寺とかぶってしまいましたが…
(遍照寺の引用箇所、他のところにすればよかったな

 

■末吉宮■


原生林に覆われた森は王都の民がもっとも身近に感じる自然である。

森は人を寄せ付けない強靭な意志が備わっていて、
この森はしばしば怪異の舞台ともなる。

この森は人を阻んでいるが、流刑地ほど隔絶しているわけではない。

近くにある末吉宮の丘に立つと、赤い王宮の屋根が見える。

真美那や朝薫、思戸や多嘉良の毎日を遠目に見るのが
真鶴の慰めだった。

 

「テンペスト(下) 348-」(池上永一著/角川書店)

 

 

では、末吉宮についての説明を案内板より。

末吉宮は「末吉社壇」の名で沖縄県民に親しまれたお宮で、室町時代中期に建立されたものです。
波上、沖、安里八幡、識名、普天間、金武、天久と共に
琉球八社の一つにあげられている近くの万寿寺(現遍照寺)の鎮守として熊野権現を祀ってあります。
 
本殿は沖縄の地方色をよくあらわしている三間社流造本殿として
昭和11年国宝に指定されましたが、第二次大戦で砲撃を受け
建物の礎石と柱二本と虹梁(頭貫)を残したのみで飛散しました。

現在の建物はこれら残った礎石と資材を基に昭和47年に復元修理をしたものです

もうひとつは、参道の案内板より。

末吉宮は、かっての琉球八社の一つで、俗に「社壇」と呼ばれている。
尚泰久王代の1456年頃、天界寺住持鶴翁和尚が熊野三社権現を勧請して奉祀したのにはじまるという。
本殿は三間社流造り本瓦葺きで、前面に向拝を付している。
磴道は、参道を登りつめたところから祭場までの8段、
祭場から拝殿跡までの21段および拝殿跡から本殿までの7段の一連の石造階段部分をいう。

本殿と祭場はそれぞれ別の岩盤の上にあり、両間は切石積みの石造単拱橋(アーチ橋)で継いでいる。
なお、磴道は昭和46年に修理され、本殿は昭和47年に復元された。

(後略)

裏のほうには、なんとお花に囲まれた小道が!

まぁ、まるで絵本の世界のよう

末吉宮に至るまでの道のりがうっそうとした山道という雰囲気だったので
このエリアだけなんだか別世界のような印象を持ちました(笑)

 

   
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