久米村散歩記事その2。
↑は久米大通の入口にある
久米村についての案内板[現況図 2009年5月]。
この図には3人の偉人のおうち跡が記入されています。
(※薄赤マーク→和々)
ではこの地図を頼りに、Let's go→
写真真ん中の車が止まってるあたり、
魏士哲(ぎ してつ)旧宅跡。
魏士哲、またの名を高嶺徳明(たかみねとくめい)。
このブログでも以前もちらっと触れたことあるんですが
日本で麻酔が使われる115年も前に
全身麻酔を成功させた人。
詳しくは7/14のりゅうPONをどうぞ(笑)
ちょっと前に反対側からのアングルで写真を載せましたが
おなじみ、程順則の生家跡。
碑か何か建ってるかな?と思ってましたが
全くなにもナッシング。
(なので初めて久米村散策した時は見つけられなかったです…)
面影が1mmも無いのはしょうがないとしても
京都とか土佐みたいに
碑と案内版くらいあってもいいのにな…。
*
もうお一人の鄭嘉訓(てい かくん)生家跡地は
写真失敗につき掲載ナシゴメンナサイ。
鄭嘉訓は書家で久米村のボス(総理唐栄司)にもなった人。
島津候の招聘を受け藩士の指導にもあたったため
鹿児島にもたくさん書が残ってるそうです。
ちなみに琉球戦国列伝でも描いた鄭義才(ていぎさい)を祖とする
鄭一族(門中)の一人だそうです。
ってことは謝名親方とも関係あるってことで。
みんなクニンダンチュ(久米村人)だしネ。
何かと繋がるのも納得。
鄭義才を描いたときのビジュアルイメージは「保育園の園長先生」でした(笑)
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