がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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立秋

2013年08月07日 | ・徒然日記

(本日二投目)

 

ここ数日、
日の入りの時間帯の空がとってもキレイ。

でもベランダからの眺めがイマイチなのが残念…。

海か山に夕日を見に行きたいなぁ。

 

そう言えば今日は立秋らしい。

マジか…(゜口゜;)

 


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有名クニンダンチュのおうち跡

2013年08月07日 | ・琉球史散策/第二尚氏

久米村散歩記事その2。

↑は久米大通の入口にある
久米村についての案内板[現況図 2009年5月]。

この図には3人の偉人のおうち跡が記入されています。
(※薄赤マーク→和々)

ではこの地図を頼りに、Let's go

写真真ん中の車が止まってるあたり、
魏士哲(ぎ してつ)旧宅跡。

魏士哲、またの名を高嶺徳明(たかみねとくめい)。

このブログでも以前もちらっと触れたことあるんですが
日本で麻酔が使われる115年も前に
全身麻酔を成功させた人。

詳しくは7/14のりゅうPONをどうぞ(笑)

ちょっと前に反対側からのアングルで写真を載せましたが
おなじみ、程順則の生家跡。

碑か何か建ってるかな?と思ってましたが
全くなにもナッシング。

(なので初めて久米村散策した時は見つけられなかったです…)

面影が1mmも無いのはしょうがないとしても
京都とか土佐みたいに
碑と案内版くらいあってもいいのにな…。

 

 

もうお一人の鄭嘉訓(てい かくん)生家跡地は
写真失敗につき掲載ナシゴメンナサイ。

鄭嘉訓は書家で久米村のボス(総理唐栄司)にもなった人。

島津候の招聘を受け藩士の指導にもあたったため
鹿児島にもたくさん書が残ってるそうです。

ちなみに琉球戦国列伝でも描いた鄭義才(ていぎさい)を祖とする
鄭一族(門中)の一人だそうです。

ってことは謝名親方とも関係あるってことで。

みんなクニンダンチュ(久米村人)だしネ。

何かと繋がるのも納得。


参/鄭氏会ブログより  wikipedeia

 


鄭義才を描いたときのビジュアルイメージは「保育園の園長先生」でした(笑)
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