久米島を支配した伊敷索(いしきなわ・ちはな)按司の居城、
伊敷索グスク。
久米島博物館の向かいにあります。
伝承によると伊敷索按司は
英祖王統4代目の玉城按司の妾の子で、
久米島の地を与えられてこのグスクを築いたとか。
伊敷索按司は息子たちに久米島の各地域に配置して
実質的に伊敷索一族が久米島を支配します。
ここがその本拠地、父ちゃんのグスクです。
玉城按司が1336年ごろに死んでるってことは
1300年半ばほどに築城、
1511年に尚真王の久米島討伐で落城と考えると、
だいたい伊敷索グスクは150年ほど
という感じでしょうか。
伊敷索按司も数代は続いたのでしょうね。
でも、思ったよりは大きくない。
伊敷索よりも息子たちの、具志川や宇江城の方が
立地や規模、構造など立派な感じ
一の郭に立派な石積みがありましたが
草が茂ってて見通しは悪かったです
確認はできなかったのですが
本にあった見取り図によると琉球のグスクには珍しく
曲線ではなく、直線で築かれているようです。
せっかく博物館前にあるグスクだから
(&県指定史跡)
定期的に草刈&整備ができたらいいはずー
参「三山とグスク」(座間味栄議著)
でもこの直後の乗ったタクシーの運転手さんが
荒れ放題だった伊敷索グスクの草刈りをした人だったー。
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