がじゅまるの樹の下で。

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【人ものがたり】玉城朝薫、裏話

2013年08月11日 | ・琉球史散策/第二尚氏

本日のりゅうPONは玉城朝薫。

ワタシが担当した回はいつもラフを載せているのですが
今回はラフの描きかけ…

いつもなら清書する前にラフを描いて、
それを新報の担当者と執筆担当の先生に送って
絵や文字をチェックしてもらうのですが
今回はあらかじめラフを描いて送る時間もなく
ギリギリの制作になってしまいました

なのでラフも方向性だけ定まった段階で
ストップしてしまったので↑の状態です。

今回は玉城朝薫自身というより組踊の紹介みたいな
イラストになってしまいました。

本当は「組踊を作った玉城朝薫」自身を現す絵が描きたかったんだけど
どうもその方向だとイメージが固まらなくて…。

ラフ6パターンくらい描いた。
でも前回の程順則と似た感じになっちゃったり、
絵としてイマイチ収まらなかったり…。
敏腕プロデューサーじらーでも描いてみたんだけどさ。

朝薫自身もエリートな人だから
人間臭いトコってないしな…。
一応幼い時に両親と死に別れてるけど
それでも健気にがんばって結果を出して出世するって
やっぱでぃきやーです。スゴスギ。

なのでイラストとしての面白さは
執心鐘入の鬼女さんにおまかせすることにしました。

描いてて楽しかったッス(笑)

これでもかわいく抑えたほうデス。

 

本物はコレ↓

 

 

イラストでは遊んで描きましたが、

鬼と化してしまうほどの怒りと悲しみ。

お見事でした。

執心鐘入についての記事はこちらから
あらすじ→ 
テンペスト行脚(執心鐘入)→ 

 

ちなみにこの執心鐘入の初演は1719年。
尚敬王の冊封の年です。
尚敬は13歳で王になりましたが、
冊封は19歳の時。

尚敬、ちょいと若く(まるく)描き過ぎたかなぁ?

 

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