久米島には10以上のグスクがあります。
(「琉球のグスク研究(當眞嗣一著)」によると15か所以上(!)だとか)
しかも、ただの盛(森)や拝所だけのグスクではなく
堅牢な石積みを持ったグスクもいくつか。
ってことは、どういうことか。
久米島の中でも按司たちの攻防譚があった
ってことですね。
調べてみたらなかなか面白い
各登場人物もなかなかキャラ立ちしそう!
特に登武那覇グスクの笠末若茶良
って思ってたら、しっかり現代版組踊デビューするみたい!?
っていうのは既に書いたした通り。
例にもれず古琉球の出来事なので
諸説様々あるようですが、
「三山とグスク」(座間味栄議著)
「沖縄戦国時代の謎」(比嘉朝進著)
「沖縄のグスクめぐり」(当真嗣一監修)
などの本から久米島興亡説を読んで、
図でまとめてみたのが↑コレ。
(自分用として書いたんでちょっと分かりにくい所もあるかもですが)
久米島の主な勢力は大きく分けて2つ。
伊敷索(いしきなわ・ちなは)按司一族
と
真達勃(まだふつ)按司の一族。
説によるとどちらも沖縄本島から渡ってきた様子。
真達勃(まだふつ)按司は具志川グスクを。
伊敷索(いしきなわ・ちなは)按司一族は伊敷索グスク、
そして息子たちがそれぞれ
宇江城グスク、登武那覇グスクの按司となり、
そして具志川グスクも乗っ取り、
結果として伊敷索一族が久米島を支配することになります。
久米島興亡説の舞台となったこの4つのグスクを
今回は巡ってきましたよ
(つづく)
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ちなみに、
久米島にも「具志川グスク」があり、「奥武島」があります。
奥武島に行く橋からの風景↑
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ああ、おいしいウチナーてんぷら食べたい…。