山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

必要な護岸工事とそうでないものと

2007-05-08 | 山里

4月27日のれんげの記事へのコメントに私がコメントしたものを、ここに再掲します。これについては、水田貯留という考え方があり、一部で始められています。友人のサイト http://hoerumedaka.seesaa.net/article/40885233.html#trackback

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昨年植生調査を行った河川は、最近越流したため堤防を拡幅するということでした。流域に住む人の命や生活がまず大切です。農村のほ場整備もそこを耕す人が必要としているなら石積みの美云々の情緒的なことばかり言っていてはいけない。林道もなければ木材は搬出できず、ミクロでは自然破壊でも大きく見れば環境保全である。
しかし、どうしてここに護岸工事が必要なのか、あるいは、どうしてこんな形で工事しなければならないのか理解できないものが多々あるのも事実です。また、すべてを完璧に整備しきるのではなく、越流が起こってもいい部分を作って折り合いをつけることが必要だと思います。日本ではこの辺りの考え方が遅れていると聞きます。土砂崩れ、山腹崩壊も、起こっても人の暮らしに支障がないところでは仕方ないとみなさないといけないし、人間の歓びのためにそれを完璧に止めようと莫大な手間や費用をかけ続けることは驕りだと思います。
日本など先進国の人間は、もっと自然を畏れ、自然を改変して生きることではなく、自然をできるだけ改変しなくても生きられるよう知恵を絞り努力すべきだと私は考えます。近代になって、また化石燃料を手に入れて、力づくで何でもできるようになり、逆に知恵を絞ることを忘れてしまいつつあるのではないでしょうか。
また、環境教育の場でも同じことですが、主催者(実施主体)の責任を問われないようにするため、過剰な手当てや警告を行うということによって、失うものもまた多いと思います。