名古屋までJRで行った。
多治見まではまだまだ桜や花桃の景色。多治見あたりでは、山桜の混じる新緑が始まっている。緑というより白に近い淡い色で始まり、日に日に緑があざやかになっていく。向こう1週間ぐらいは日々色が変わる。私の住む中津川では、それがこれから始まる。
中津川、多治見、名古屋、と1週間ぐらいずつ季節がずれていて、1時間の短い電車旅の間に、2週間ぐらいの時間差のある景色が見られる。
中津川から多治見を過ぎるところまで、いつも車窓の景色は見逃せない。
電車に乗って景色を見ていると、シアワセな気分になる。
景色をしっかり見ておかなくては。
記憶にとどめておかなくては。
と思う。
いつ見られなくなるのか分からないのだから。
せっかくこの世に生きているので、
このきれいな景色をしっかり見ておきたいと思う。
美しいものは、その瞬間だけのもので、目を閉じれば消えてしまうし
一体それが現実に存在するものであるのかどうかも、
本当は分からない。
そんなものが次々に目の前に立ち現れるのは不思議で
人間の力の及ばない神的な大きなものからの贈り物なのだと思う。
美をつくっているのは、何ものなのだろう。
多治見まではまだまだ桜や花桃の景色。多治見あたりでは、山桜の混じる新緑が始まっている。緑というより白に近い淡い色で始まり、日に日に緑があざやかになっていく。向こう1週間ぐらいは日々色が変わる。私の住む中津川では、それがこれから始まる。
中津川、多治見、名古屋、と1週間ぐらいずつ季節がずれていて、1時間の短い電車旅の間に、2週間ぐらいの時間差のある景色が見られる。
中津川から多治見を過ぎるところまで、いつも車窓の景色は見逃せない。
電車に乗って景色を見ていると、シアワセな気分になる。
景色をしっかり見ておかなくては。
記憶にとどめておかなくては。
と思う。
いつ見られなくなるのか分からないのだから。
せっかくこの世に生きているので、
このきれいな景色をしっかり見ておきたいと思う。
美しいものは、その瞬間だけのもので、目を閉じれば消えてしまうし
一体それが現実に存在するものであるのかどうかも、
本当は分からない。
そんなものが次々に目の前に立ち現れるのは不思議で
人間の力の及ばない神的な大きなものからの贈り物なのだと思う。
美をつくっているのは、何ものなのだろう。