山里ひぐらしの小径

木曽路の入り口、岐阜県中津川市から
人と自然とのかかわりをテーマに、山里、植物、離島など。

東南アジアの漂海民 モーケンとバジャウ

2012-01-18 | 
ミャンマーの西側に小島がたくさんあって、そのあたりの海を漂って暮らしている人たちがいる。モーケンという民族で、最後の漂海民と言われている。
先日見直したのは、この人たちを描いたドキュメンタリー。
この人たちは、舟を住みかとして、家族で舟で暮らしている。

実は日本にもそういう人たちがいるのだが……。
東南アジアには、ほかにも舟に住む人たちがいて、有名なのはフィリピンからインドネシアの海にかけて暮らしているバジャウ族である。

1年ぐらい前にバジャウ族の人の本を読んだのがきっかけで、漂海民の人たちに強く興味を持った。一生を舟で暮らすわけだから、持ち物はきわめて少ない。というか、ほとんどない。なるべく物を持たないようにして暮らしている。
そして、漁をする能力だけでなく、真っ暗闇の、星もない中でほかの島まで正確に行き着く能力や、数日前から嵐を察知する能力を持ち、どの島にどんな入り江がありどこに泉があるかを知り尽くし、海の上を縦横無尽に旅をしている。獲った魚を干して保存用にして売る。多くは中国系の商人が買い取っているようだ。それらは高級食材として、香港などのレストランで供されている。フカのひれや、ナマコ、ツバメの巣などもそうだ。

インドネシア政府は、定住化政策で躍起になってバジャウ人たちを定住させようとした結果、今では、本当に一生を舟で暮らす人はほとんど絶滅してしまったようだ。
定住化させることによって、さまざまな知恵を失わせているといえる。
政府のやることは、どうしてどこでもいつでも、こんなふうに不毛なのだろう。
というか、まあそれが国家の政府というものの宿命なのかもしれない。

もともとバジャウの人たちは海に住んでいたわけで、どこの国家の人でもない。フィリピンでもインドネシアでもなかったわけだが、今は無理やりどこかの国家に組み入れられてしまおうとしているというわけだ。

モーケンは、国でいえばミャンマーだけでなく、シンガポールやマレーシアなどにも属している。ミャンマー以外の国では早々に定住化を勧めたので、現在はミャンマー沖だけにモーケンの人が残っているということらしい。
しかし、ミャンマーもまた、今では、彼らの定住化政策を強力に進めているということだ。

かつて世界中に、定住しない人たちがいた。
日本の山では木地師という人たちが、山から山へと渡り歩いて働く暮らしをしていたが、日本はやはり定住化を進めて、今ではそういう人はいない。住所不定は許されなくなってしまったのだ。
ジプシーなどの遊牧民族の人たちも今は定住したが、迫害もされていた。
漂泊する人達は、定住していた人たちから見下されたり差別されたり扱いをされてきたことが多いが、実はものすごい知恵の持ち主で職業に強いプロ意識と誇りを持った尊敬すべき人たちである。

テレビでは、定住化を勧められているモーケンの人たちが、陸で集まってテレビを見ている光景が映し出されていた。
テレビを通して、都市の様子を知り、やがて影響を受けていくだろう。

私はテレビを通して山村や離島の人たちの知恵から多くのことを学んでいる。
彼らは自分たちが学びの対象になっているなどとは思いもしないだろう。

モーケンの人の暮らしは、常に危険や飢餓と隣り合わせで、質素で厳しいものである。
だから、楽な暮らしをしようと、陸に上がる人も多い。
しかし、番組の最後に、取材された一家の主の男性が言った。

いつまでも家族一緒に舟に乗り、自由な暮らしがしたいです。

と。「自由」な暮らし、このフレーズに衝撃を受けた。
彼らは、結果的にはたから見て自由な暮らしになっちゃっているわけでなく、自由を大切にしているのだ。
自由な暮らしをすること、それが、彼らの考える、生きる尊厳なのだと思う。
そして、家族が一緒にいられることが、とても大事なことなのだ。

日本ではいつのまにか、会社勤めをせっせとすることが一番立派なことだと考えられるようになってきたが、その歴史は意外に浅いということも忘れてはならないだろう。
少し前までは、質素でも、家族一緒に田畑で働き、誰にも雇われず自由であることが、多くの人の目指す暮らしだったのだ。一時的に人に雇われて給料をもらうのは、「金稼ぎ」とか「賃取り」といわれていた。

モーケンの人の息子の青年は言った。
お嫁さんをもらって自分の舟を持ち、父や兄弟と船団を組んで魚を獲りたいです。
獲った魚の半分は父にあげ、半分はお嫁さんにあげます。
と。
答えるのに、何の迷いもなかった。

こんな清らかな心で生きていられる人たちと、
私たちはなんと離れてしまったことだろう。
私達の歩んできた道は、「進歩」だったのだろうか。