猫の社会も、人の社会も厳しさに違いはなさそうだ
2月6日中国新聞のこだま欄に97才の松井千鶴子さんの文章が掲載されていた。ほのぼのとした、印象に強く残るものだったので、左記にメモして残すことにした。
ある日、裏戸を開けたら白と黒の毛糸を丸めたような子猫がいた。生まれて間もないので、つい牛乳を与えた。
何カ月か過ぎた。次にその猫が来た時、驚くほどスリムな美青年に成長していた。長い尾の先がL字形に曲がっていたので「エルジ」と名付けた。以来、再々訪ねてきた。
私が歩くと、じゃれついてきた。だが体には触れさせない。手を出すと、身をかわした。餌もねだらない。私にはそんな野生も好ましかった。
いつだったか、裏戸のところでエルジが前足を立てて座り、神妙な顔で私を見上げてきた。薄茶色のふっくらした雌猫が隣にいた。彼女が出来て幸せだったのだろう。
しかし日を置かずエルジは去った。体が倍近い灰色の雄猫と闘って敗れた。私は彼を「悪役」と呼んだ。悪役は、声を掛けると「げおっ」とどすの効いた低音で答えた。ただ、決して私の顔を見ようとはしなかった。
バス停へ行く途中、左手に草むらがある。ある昼、その奥で「げおっ」と声がした。悪役がゆっくり現れた。体中から流血していた。ハンカチを出すと、後ずさりして初めて私の顔をまともに見て、奥へ引き返した。そして二度と姿を見せなかった。
呉の里山の一軒家に暮らした何十年も昔の記憶である。野生の誇りと厳しさ、強く生きることを教えられた。
強く生きることを教えられたと結ばれている。97才とは私と30年弱の年齢差がある。大正生まれの方だ。さぞ、強く生きることを意識して過ごしてこられたろう、と目をつむり天井を見上げた。
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