4月17日(土)、曇り。
昨日の続き、「将棋馬日記」を補足します。
13年間の水無瀬家の駒づくりを記録する「将棋馬日記」は、およそ60ページあり、先ずは、その冒頭のページ、天正18年の記録。
「庚寅」の年号に続いて「小将棋駒」の行き先名が上下2段に書かれています。冒頭は「師法印」、その下は「中小路甚八」と読めます。11番目は「滝本坊」、その二つ右は「道休」。これは足利15代将軍義昭です。
この道休は、昨日の象牙駒にも見られる、水無瀬駒のリピーターの一人だったことが分かります。
映像、下は2ページ目。右端の一行は、1ページの続きで、この年、小将棋駒は26組作られたことが分かります。
続いて「中将棋」とあり、9組が作られています。
その冒頭に「上」。
武家の上様は、将軍やお殿様なのですが、水無瀬家はお公家ですので、「上」は天皇を指しています。
時間が無くなりました、この続きは、また明日以降に。