熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。
送料込み5000円。
残部僅少ながら、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

3月22日

2009-03-22 08:44:34 | 文章
3月22日(日)、雨。

昨日は梅田の読売文化センターで「駒サロン」のあと、出席者の内、時間がある田中さん、釜浦さん、塩井さんの4人で近くの居酒屋に席を移しました。
「駒」の続きをわいわいがやがやしている内に、いつの間にか3時間近く長居して2度目の解散。大阪駅へ。

これから能登に帰る塩井さんに「帰りの列車は何時か」と訊ねると、「まだ少し時間がとれる」とのことで、駅前ビルの上の方で夕食しながら話を続けることにしました。

片道4時間以上5時間近くかけて、わざわざ大阪に通ってくれる塩井さんには、本当に頭が下がります。
ほかの将棋イベントを含め、少なくとも年間15日から20日近く大阪方面に通ってこられるのですが、大阪に来ない日は家庭サービスを十分しているので奥様の許可が出るのでしょうね。
それにしても、脱帽です。

この間も、電話で「駒づくり教室に来たい」と言うことでした。
多分、集まりがいまいちと言うことでの気遣いだと思います。「その気持ちは有難いが、それでは毎週日曜日に大阪へ来ることになり、家庭サービスが出来なくなる。奥様や子供たちに申し訳ないので、・・」と、丁重にお断りしました。

その塩井さんから、昨日、江戸時代の古い「俊則筆」の書き駒をお預かりしました。
許可が出れば、写真に撮ってご紹介したいと思っています。


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駒サロン

2009-03-21 21:31:16 | 文章
3月21日(土)、晴れ。

8時現在の気温は4℃。空気が冷たい朝でした。
昨日盛上げを始めた結果を見る。思いどおりの状態で先ずは安心。

田中さんから頼まれた「寿」と「棋道」の根付駒。
「棋道」の方は既に朱漆で書いて完成しているが、黒檀の「寿」は、昨日、白漆で書いたばかりで、乾く具合が気になるところ。
田中さんには今日会うので、大阪へ持って行きたいが、果たして持ってゆけるかどうかだ。

案の定、芯まで乾ききっていないが、小さな箱を作って中に入れ、両面テープで固定して、そっーと持って行けば何とかなると、今日、持参することに。

残り時間は、4本足の駒台は昨日に引き続いて再度研磨するも、出発時刻が近づいたので切り上げる。

写真は、今日の「駒サロン」で配布した資料です。
「島本町文化財審議会、水無瀬駒関連の決定資料」、「大商大・古作登さんによる水無瀬駒(中将棋駒)のレポート」、「奈良大学による水無瀬駒の科学的分析結果報告書」、昭和34年島本町文化財保存協会発行の「水無瀬駒」。
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明日は駒サロン

2009-03-20 18:26:13 | 文章
3月20日(金)、晴。

(てにをは」が乱れたままでした。失礼、修正しました。)

久しぶりに、漆盛上げに着手しています。
他にしたいこともいろいろあるのですが、気温も漆によい暖かさで、むずむずと漆仕事がしたくなり、今日は、落ち着いてやることにしました。

とはいえ、ラジオはいつものとおり点けっ放しですが、NHKラジオを、途中で民放テレビの音声に切り替えて、淡々(?)とWBCの実況中継を聞きながらの作業でした。
侍ジャパンは、期待通りの勝利。大変結構でした。
あと2試合、頑張ってください。


ところで、昨日は春というより初夏のようで、上着を脱いでも汗が出てくる有様でした。
14時前に乗車したJRの列車内は、何と暖房がon。
「これでは堪らん」と先客の誰かがスライドの窓を開けているほどでした。
乗務員が通ったら「暖房を切ったらどうか」と言おうと待ち構えていましたが、そのうちに大阪に到着しました。

乗務員が余程の寒がり屋か。それとも、暑さ寒さに無感覚な人だったのかもしれません。あるいは、「3月は暖房」のマニュアルに余程忠実な人だったのでしょうか。

マニュアルに、そう決められているということならば、「気温が15度を超えるときは除外・・」などという、改善に向けた現場の意見を具申して欲しいものです。
温暖化で状況は変化してる訳ですから、問題点はほっておかないで「改善」するとか、「臨機応変」にする柔軟さが欲しいです。

昨日のことは、ホンの一例ですが、敢えて書かせていただきました。


さて、明日は「駒サロン」です。
「駒サロン」は駒づくりの事のみならず、「駒」のことを広く深く、その時々に柔軟にテーマについて考えたり話したり、みんなと話し合おうという集まりです。

参加者は、小生を合わせて~8人ですが、5時間かけて参加してくれる人も居ます。

次は何をテーマにするかですが、当日までにいろいろ考えて、準備しています。
回数を重ねると、中々思いつくのが大変ですが、同じようなテーマや内容では皆さんに申し訳ないので、新しく思いついたテーマと手持ちの資料を探しながら、無い知恵をひねり出しています。

明日のテーマと資料は、今日決めました。
原紙の準備は済みました。皆さんに配布する資料のコピーはこれからですが、当日のことは、それをもとに「臨機応変」で進めます。
「臨機応変」には、それなりの準備が必要でもあると思うのです。

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駒台

2009-03-19 22:13:45 | 文章
塗装を漆拭きにし直す途中の駒台です。
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関西囲碁将棋記者会

2009-03-19 19:52:31 | 文章
3月19日(木)、晴れのち雨。

午前中は、記者会にて配布する資料の作成をする。
1つは「駒づくり教室」の関係。
もう1つは、ホットなニュースとして、島本町で文化財決定された「水無瀬駒」資料。

13時55分発の電車で加茂を出発。15時30分関西将棋会館に着。
将棋グッズ販売店が休みのせいか、玄関辺りが暗い。反対側の盤や駒が並んでいるショウケースにも明かりがないのは、どうしたものか。

記者会の開始は16時から。少し時間がある。
3階に上がって皆さんに挨拶していると、珍しく読売新聞の西條さんと、週刊将棋の内田さんの顔も。

只今5階では、竜王戦・谷川対森下戦の真っ只中。奥の部屋のテレビモニターにはそれが映っているが、形勢は分からない。
内藤先生も居られて、ご挨拶する。
新四段の大石さんには「おめでとう」と祝福する。

記者会の出席者は、およそ20人。
議事が進んで、小生の番。5分以内と言うことで、あらかじめ配っていた資料を示しながら、教室のPRのお願いやら、説明を手早くさせていただきました。

工房帰着は19時。
数分もしないうちに雨が降ってきました。

これで1日は終わりました。

写真は関西将棋会館入り口のショウウインドウに展示されている「武者人形駒」。
今日、撮影しました。
この中に、去年、小生が修復した2つの駒が混じっています。
どれだか、分かりますでしょうか。
正解は、向こう側向かって左の「金将」と、こちら側右の「香車」です。


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記者会

2009-03-19 03:24:10 | 文章
3月19日(木)、多分晴れ。

只今夜中です。午前3時のBSニュースを見たあと、今日はあれとこれとしなければと考えていて、やにわにというか、いきなり起きてパソコンに向かっています。
特にそれ以上の理由はありません。ふと、そうしているだけです。

忘れないで午前中にしなければいけないのは「記者会」でお渡しするパンフレットの作成です。
記者会は「関西囲碁将棋記者会」。一般紙など報道各社の将棋囲碁担当記者が大勢集まられます。
これが午後、関西将棋会館で開かれます。5分ほど時間を頂戴して「駒づくり教室」について説明しPRすることになっています。

出来れば各紙で「駒づくり教室」を取り上げていただければ、と願っているところです。

この続きは夜にでも。
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春うらら

2009-03-18 18:00:59 | 文章
3月18日(水)、晴れ。

周りの山は春霞。今風に言えば黄砂霞。
気温は21度もあります。セーターどころか朝から上着のシャツも脱いで、肌シャツ一枚で野外での仕事に取り掛かりました。

先ずは「古水無瀬」。埋め終わっての研磨と面取りは昨日の続きです。
次は「源兵衛清安」。
こちらは既に盛り上げる直前にまでにして、漆の状態が良くなる暖かい春が来るのを待っていました。
気温も上昇。そろそろ盛り上げようと思い、その前に磨き直しすることに。
磨きは何回やっても、やっただけの効果があります。手間を掛けるべきところは、しっかりと掛けなければいけません。


駒づくり以外のことも少し。
昭和初期に作られたと思われる古い「島桑・4本足の駒台」が手に入ったので、拭き漆でリフレッシュすることに。
今日は少し痛んでいたところを直しながら、塗られたシェラックニスをサンドペーパーで落すところまでやりました。

日の暮れるのが遅くなりました。
冬は16時頃には薄暗くなっていたのですが、今は18時を過ぎても明るい太陽が残っています。
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追伸

2009-03-18 00:50:50 | 文章
今日(正確に言うと、昨日)、塩井さんからご連絡いただきました。

新潟での棋王戦に5組の駒が用意されて、その中から「原田泰夫書」の駒が使われたとのことです。

そのことは、小生も「週刊将棋」を読んでいたのですが、新潟は、原田先生の出身地。その新潟で原田先生の駒が使われたことに、意義があると思っています。

所蔵者の板谷さんは、新潟の原田先生の後援会の確か役員をなさっていて、10年ほど前に東京でお目にかかり、そのときご注文をいただいてお作りしたと記憶しています。
原田先生の筆跡による駒が、タイトル戦に使われたのは、今まで聞いたことがないので、おそらく初めてではないかと思っています。

なお、原田先生の駒文字は、2通りあります。
1つは、先生が70歳少し前の筆跡による文字。
もう1つは、小生がプロ宣言するときに、お願いして書いてもらった文字。
今回の駒はこちら。先生が72歳の筆跡による駒です。
確か、近代将棋にも掲載させていただきました。

さらに追伸
森信雄門下の澤田・大石両君が揃って四段に上りました。
凄いですね。おめでとうございます。
祝賀会が楽しみです。

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修理屋

2009-03-17 07:01:53 | 文章
3月17日(火)、快晴。

朝から春の陽射しは暖か。
戸外での作業が最適。
やりたいことは、2つ。

1つは漆を埋め終わっている「古水無瀬」の整形研磨。
もう1つは車の修理。といってもメカではなくボデイの修理です。

実は、昨日の夜、ある店の駐車場の柱の下の方に出っ張ったコンクリートの部分に、後ろのドアとフレームをゴリゴリと引っ掛けてしまいました。

ドアに長さ15センチほどの引っかき傷。
フレームもひどく痛んでいて、傷を中心に周りが眼にも分かるほど凹んでしまいました。
ちょっとほかの事に気をとられての不注意で、がっかりです。

やってしまったものは仕方がなく「まあ、これも経験」と、帰りがけに修理用の材料を買って帰りました。

今朝、明るいところで見たキズは結構なものでした。
ドアの引っかき傷は深く、おまけに0.何ミリかが凹んでいる。
フレームも少し変形して、普通なら板金加工というところかも知れないなと思いながら、幸いなことに、うまくやれば何とかなるのではと修理をはじめました。

さて、何からやるかです。
タイヤハウジング側のフレームの方立てが少し捩れているので、先ずは歪んでいるフレームの修正。
板金加工の道具はトンカチと桐の棒。
フレームに桐の棒を当てがって、トンカチで叩いて元通りに直すのです。
軟らかい桐なら、板金に余分な力が懸からない。硬い木なら、叩きどころが悪いと、ボデイが変形するから要注意と考えたわけです。

これはうまく直りました。
しかし、フレームは凹んだままです。
これを元通りにするには、タイヤを外して中から叩かなくては直りません。それはおおごとです。
代わりに、フレームの凹んだところは、樹脂で埋めればいい。駒作りなら「彫り駒を、彫り埋めに」する要領です。
こんなところに、駒づくりのノウハウが役に立つなんてびっくりですね。

埋めるのはエポキシ樹脂。昨日、オートバックスで買いました。
埋める前は、油分とか汚れの除去と下地作り。
それに使うサンドペーパーは、エポキシ樹脂についていますが、100番という荒いものだけ。それでは駄目です。メーカーは不親切ですね。

ペーパーは、駒づくりでいつも使っている320番とか、600番とか、1500番を使い分けることが肝要です。

先ずは100番か320番。傷の部分とその周りをサンドペーパーでこすって素地を出すのですが、その前にすることがありました。
汚れの除去です。
油は水洗いでは取れないので、シンナーを含ませた布できれいに拭いておきます。

そしてもう1つしておくことがありました。養生です。
周りの余分なところにキズやエポキシ樹脂が付かないように養生テープを貼っておくことが肝要で、手持ちの幅広の透明テープを利用しました。
普通の養生テープは、厚過ぎます。
荷づくり用のガムテープもいけません。糊より紙の方が弱いので、剥がすときに破れて面倒です。
テープを貼る位置はキズよりほんの少し広め。あまり広すぎると意味が薄れます。

エポキシ樹脂はプラスチックの箆が付いているので、これで2つの樹脂を混ぜ合わせます。そして手早くキズや凹んだところに箆で塗り込みます。
15分すると固まってしまいます。
深く凹んだところは、一度でなく、前に塗りこんだところが硬くなってから繰り返します。
2度3度と、塗り込んで埋めてゆくわけですが、今回は、5~6回やりました。
ここも、駒づくりと同じ理屈ですね。

このとき、ちょっとしたコツがあります。
埋め終わりが近づいたら、凸凹が出来るだけ少ないように均します。
普通は箆で擦るのですが、ほかに何かいいものはないかと考えていると、思いつきました。
紙製のガムテープです。ガムテープのツルツル面は、樹脂が引っ付かないのです。
平たい板などにガムテープを貼って、それで押さえつけたりしごいたり。これが思いのほか中々の道具で、樹脂の表面がツルツルになります。
素人でもOK。ひょっとすると、プロでも箆よりガムテープが巧くいくかもしれません。

エポキシ樹脂が固まる15分は、丁度いい間合い。駒づくりが出来ます。
「古水無瀬」を整形研磨しながら、車修理です。


さて、埋め終わってから余分なところを削って平らにします。
20センチぐらいの板に両面テープでサンドペーパーを貼り付け、これで余分な樹脂をすり落とします。

最初は100番。次に320番。最後は1500番。水研ぎが能率的です。
このとき、最初に貼った薄い養生テープが効果を発揮します。

研磨が進めば、養生テープを剥がします。
すると、段差が付いています。養生テープは薄いようですが、0.何ミリかあるわけで結構厚いのです。
用心深くその段差がなくなるまでサンドペーパーですり落とします。

この下地調整は、1時間くらい経って樹脂が十分に固まってからが良い。
この間に「駒」に精を出す訳です。

次に塗装ですが、その前に、新聞紙で養生をします。
これは余計なところに塗料が付かないようにすることですが、塗装する部分と周りに塗りムラが出ないようにすることにも配慮します。
コツは、塗る部分の周りの新聞紙をボデイに密着させないで、3センチほど浮かしておくこと。これは大事なことです。
新聞紙をボデイから浮かすことで、境界線がボヤケるのですね。

塗装はオートバックスで買ったスプレイ。コツは、やや遠くから」、控えめに短時間」、乾いてから重ね塗り」、乾いてからもう一度重ね塗り」。
これを何回も繰り返えすのが、コツ。
最後に、透明色スプレイでコーテイング。これで作業は終了です。

修理後の写真を掲載します。
問題の箇所は写真の中央部分。ボデイの下から10センチくらいのところです。
上の方の筋模様は周りの反射です。

どうですか。我ながら、見事に元通りになりました。
費用は、しめて2000円ほど。

今日は、車のボデイのキズ修理のノウハウでした。
皆さんも、若しこのような局面になったときは、お試しください。
錆びが出ないうちに早くすることです。

では、また明日。
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島本町文化財諮問委員会

2009-03-16 19:20:23 | 文章
夕刻に、島本町から帰ってきました。

審議会の結果ですが、水無瀬兼成筆の小将棋と中将棋の各1組、中将棋の残欠4枚の「水無瀬駒」と「将棋図」が、同町の文化財第1号に諮問されました。

最終的には、本日の諮問結果を受けて、今月か来月の議会において承認されて、正式認定となります。
それが決まれば、町として展示会やその他の記念イベントが企画されることでしょう。小生としても、7項目ほどの提案書を持参し、教育長に手渡しておきました。

帰りに、水無瀬神宮に立ち寄ってごあいさつ。あいにく宮司さんは外出とのことで、ご長男の権禰宜さんに、そのことを報告しておきました。

ところで、「桜井の別れ」をご存知でしょうか。
歌に「青葉茂れる桜井の里のわたりの夕間暮れ(ゆうまぐれ)・・」と歌われましたが、今、この歌が歌える人は、何パーセントいるのでしょうか。
この歌は、戦前戦中には良く歌われたそうです。昭和18年生まれの小生も、その名残でしょうか、戦後、小さい頃にはよく耳にしたものです。

歌詞を記憶を辿って、先ほどの[1番]の続きを思い出してみます。

「・・木(こ)の下蔭に駒止めて世の行く末をつくづくと、
忍ぶ鎧の袖の上(え)に散るは涙かはた露か」。
[2番]
「正成(まさしげ)涙を打ち払い我が子正行(まさつら)呼び寄せて、
父は兵庫へ赴かん、彼方の浦にて討ち死せん、・・」。

あとは良く覚えておりませんが、話は南北朝時代14世紀前半の昔に遡ります。
南朝方の武将・楠木正成と正行親子が、桜井の里で足利尊氏方との湊川の戦を控えて、正成が子・正行に「汝は母親の元に帰れ」と諭す「太平記」に出てくる有名な(今は有名とは言えないのかもしれませんね)シーンを歌ったものです。

前置きが長くなりましたが、島本町にその桜井の里があります。
水無瀬神宮のある水無瀬の里は、この隣。
古戦場として有名な山崎や天王山もこのそば。
歴史の町・島本町のシンボルマークは、楠正成の家紋・菊水が使われています。

話が違った方向に行ってしまいました。

今日はこれまで、ではまた明日。

「追伸」
島本町出身の棋士(囲碁と将棋で一人ずつ)が居るそうです。
それが誰だか、名前を確認できないまま、帰って来ました。
調べて分かり次第書くことにします。
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駒の写真集

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