熊澤良尊の将棋駒三昧

生涯2冊目の本「駒と歩む」。ペンクラブ大賞受賞。送料込み5000円。
残部僅少、注文受付中。

目次

作品 文章 写真 販売品

文化財

2009-03-16 06:06:27 | 文章
3月16日(月)、晴れ。

今日は水無瀬神宮のある大阪府島本町へ行きます。
午後からは、神宮に遺されている「水無瀬駒」の文化財諮問審議会が開かれ、小生も審議委員委員の一人として出席します。

対象の品は、「兼成筆八十二才の駒」のほか、「八十六才の中将棋駒」「象戯図(将棋図)」も歴史的文化財として認定するかどうかについてです。
この中に「将棊馬日記(将棋駒日記)」がまだ見つからず、所在不明のままで認定できない状況になっていることが非常に残念です。

ところで4年位前のことですが、文化庁に「国の文化財として認定を検討」を要請すべく、関連資料を携えて、尾本恵一東大名誉教授と二人で出向きました。

そのときの文化庁の文化財担当者は、「いきなり国の文化財とするのは難しい。先ずは地元で認定するところからやってもらいたい」との回答でした。
多分、前例がないということだったんでしょうね。

まず下から持ち上げて、国(文化庁)では主体的に何も考えようとしない態度に、「やっぱり」と思い、がっかりしました。

今回の町の文化財指定の動きは、たまたまこの町で、文化財に眼を向けようということで、「寺社の仏像」とともに「水無瀬駒」が、候補として浮上しました。

今回のことは、これ自体大変良いことであります。
しかしながら、島本町は今から50年ほど前に、文化財として「水無瀬駒」という立派な小冊子を、町が発行していているのです。
にもかかわらず、そのあとはいつの間にか、地元でも忘れ去られていたのです。

小生にとっては、「今ごろ、、、」という思いが多少あったので、前回の審議会では実物の小冊子を示して、皆さんにそのことを申し上げました。

いずれにしても今回のことは歓迎すべきことですので、小生もうれしい訳です。
どうやら、候補として挙がっている仏像などをさし置いて、文化財第1号として「水無瀬駒」が認定されるところまで進んだのも、水無瀬駒を30年間思い続けてきた小生には嬉しいことです。

おそらくは、今日決定されるのではないかと思って出席します。
帰りましたら、またレポートいたします。








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.錦旗

2009-03-15 08:03:42 | 作品
もうすぐ出来あがる予定です。
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先ほど帰りました

2009-03-14 21:40:36 | 文章
3月14日(土)、雨後曇り。

午後から、「関西駒の会支部・将棋大会」に出席しました。
参加者は20人弱。
戦績ですか、阪神クリーンアップの打率と較べてという程度です。
優勝は諏訪景子さん。男性陣は形無し、昨年に続いての連覇でした。

夜は、いつものホテル阪神の地下「トラの穴」。
小生は、半ばで失礼して、先ほど帰りました。
今日は夜になって、すごく冷えてきました。しびれるほどです。
本日の駒づくり、出かけるまでの2時間、「錦旗」を何枚か磨きました。

では、また。
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雨でした

2009-03-13 19:01:39 | 文章
3月13日(金)、雨。

午前中は、盛上げが済んだ「錦旗」2組の磨きを少し。
10時過ぎに車で隣町まで外出し、昼前に帰宅。
昼食後に磨きを続行する。

途中、手紙を書くのを思い出して、1通はワープロ、1通は万年筆。
家内が包丁が切れなくなったと言うので、包丁2本と彫刻刀4本を研ぐ。
今日は雨なので日暮れが早い。「錦旗」の磨きが完了しないまま日が暮れてゆく。

ところで、只今、小生は減量中です。
半月ほど前、肋骨の奥のわき腹に痛みが続いたので、以前の膵炎かと思って10年数年ぶりに医者に行くと、「あと2~3日ほどで痛みは直るだろう。薬は出さない」とのこと。

薬は出さないとは、中々の名医と見た。
わざわざ以前住んでいた奈良の郡山まで来ただけのことがあると思った。

ところが、「それより減量せよ」との御宣託である。
普段は素っ裸で64キロと少し。自分ながら腹は少々出っ張っているのは分かっている。これは若い頃から慣れ親しんだ体形なのです。
どうするかと思ったが、従うことにした。
理想は「58キロ」とのこと。

ということで、「この際少しスリムになるのも悪くはない。昔のズボンも穿けるようになるのはいいこと」なので、減量を始めました。
ただし、58キロは痩せすぎ。60キロくらいでいいと思っている。

只今は62キロぐらい。
摂取カロリーを「腹八分目」に抑えて、もちろん、朝昼晩の三度三度はきっちりと、今までどおりの米食。
ベルトが少し余り気味というところです。


写真は、我が家の「錦魚」ならぬメタボな「金魚」です。
7年前と5年ぐらい前に、孫が近所のお祭りの金魚掬いで、持って帰ってきた5匹のうち、生き残っている4匹。
小さなところに入って、3センチか4センチぐらいが、今では22センチになっています。
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すっきりとしました

2009-03-12 20:15:34 | 文章
3月12日(木)、晴れ。

確定申告を終えました。
「早くしなければ」と毎日気になっていたのが、提出してすっきりしました。

とはいえ、溜まっていた手紙や返事書きなどで、今日も時間が流れてゆきました。
明日は腰を落ち着けて、久しぶりに「駒づくり」をしなければと思っています。

しかし、夕方に電話があって、あすの午前中に「碁」の関係で、1件外出する用事が出来ました。
小生は「碁」は全くやりませんが、とにかく「碁」の用事です。

あさっては「関西駒の支部」将棋大会が将棋会館であるので、それに参加します。

来週の月曜日16日は午後、水無瀬神宮のある島本町の文化財審議委員会に出席します。
と言うことで、腰を落ち着けて「駒づくり」が出来ない状況がまだ続くようです。
久しぶりに、気分転換もしたいのですが、・・。


別件です。
4月25日に、「B2]に昇級された「安用寺六段の昇級祝賀会」が、予定されています。幹事は、乾さんです。小生も出席します。
午後から、指導対局のあと、夕方から祝宴を開きます。
こじんまりしたアットホームな祝賀会で、大阪梅田に近い西天満の料亭「芝苑」です。
朝日オープンとか、王座戦の会場にもなった、あの「芝苑」です。
もし、これを見て「参加したいな」ということでしたら、連絡ください。
幹事に許可をいただいて、一人二人なら多くなってもOK。well comeです。
会費は2万円から2万5千円を予定しています。

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確定申告

2009-03-11 19:12:52 | 文章
3月11日(水)、曇りがちの一日。

朝から確定申告書の作成。夕方には書き上げましたが、提出は明日。ヤレヤレです。

写真は、15号会報。
冒頭は「第4回作品展」。場所は大阪の三越百貨店での将棋まつりに合わせてです。
当初は、大阪上六の近鉄百貨店と、神戸のそごう百貨店を照準にしていたのですが、近鉄は話がはかばかしく進まず、神戸は将棋まつりを取りやめることになって、三越本店に決まりました。

小生の勤めていた会社と北浜の三越とは徒歩で10分足らず、昼休みを利用して、たびたび打ち合わせに通いました。

そんな折に、三越のおもちゃ売り場で、「竹風作」を騙った駒が2組ほど並べてあるのを見つけました。それは少し前に「将棋世界」の裏表紙にも堂々(?)と広告が出ていて問題になっていたものです。

「他人を騙って作られた偽作だから、これを並べて置くのは、三越さんの信用に拘わります」と忠告すると、さすが信用を大切にしている三越さんです。すぐにひっこめました。

問題の駒は、幾つ作られたのかは知りませんが、去年でしたか、インターネットオークションで、誰かが売りに出していました。
これからもきっと、時々顔を現すに違いまりません。

三越将棋まつりには、大山名人の講演があり、大山名人はその前に作品展を見に来られ、私たちは大感激でした。そのとき撮ったのが左の写真です。

演台に立たれた大山名人は、この日も「将棋上達の秘訣は、よい駒と将棋盤を揃えることです。私も子供の頃、父親からよい駒と盤を駆ってもらいました。(こちらを指さしながら)ここに並んでいる駒は、非常によいものばかりです・・」と話されて、サービス精神いっぱいでした。

このときの参加作品数は、21作品。先の東京での展と比べてやや少ない作品数ですが、
愛知県の松尾さんと神田さんも参加されています。
ページをめくると、北田さんが全国の駒愛好家に「駒や駒づくり」に関してアンケートして、その結果をまとめてレポートしておられます。

小生も何十年ぶりかで読み返しましたが、厳しい指摘や心すべき指摘が目につきます。

それでは、今日はこの辺で。ごきげんよう。




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会報14号

2009-03-10 19:50:27 | 文章
3月10日(火)、太陽が出たり雨が降ったりの変わりやすい冬の空模様でした。

お昼前後に1時間ほど買い物に出たほかは、確定申告の書類作成。
かなり捗りました。明日には提出できるでしょう。
去年も3月11日の提出でした。毎年のことですが、提出が終わると、気持ちがスーッとします。

今日は会報14号を見ながら、当時の記憶を辿ります。
発行日は、昭和54年4月10日です。
編集後記に「上京したついでに、熱海に寄った」と書いています。
熱海は、梅園という所です。
熱海に豊島龍山の家族が住んでいることを、何かの雑誌で知ったとも書いていますが、雑誌の名前は忘れました。
娘さんが熱海でスナックの店を開いていることも知りました。

とにかく事前にアポイントをとって、熱海で下車し、龍山の未亡人を訪ねました。
お歳は70歳ぐらいでしたか、ご主人が昭和15年に亡くなって、以来、女手で一男一女を育てられたのでしょう。
姉の美智子さんは、昔、東宝だったか大映だったか、河内桃子さんと同期のニューフェース。私が訪ねたときは、すでに引退して久しかったのですが、チラッと見たお顔は美人でした。

未亡人「トミ」さんには、昔話を聞きました。
それから2回ほどお訪ねして、1回は、増市さんを誘って2人で出かけました。
同家に残る唯一の「龍山作」の駒も見せていただきました。写真にも撮って「名駒大鑑」にも載せています。129ページの駒がそれです。
ほかにも「龍山作」の駒が、2つ3つありました。

1組は、売っていただきました。それが13ページの「源兵衛清安」です。
これは、戦後に作られた「龍山作」です。しかし、偽物ということではありません。

余談ですが、「名駒大鑑」には、豊島龍山の作と、そうでない「龍山作」とは、よく読めば判るようになっています。ザーッと、読み飛ばすと判らないかもしれません。2回3回よく読んでいただくと、ほかにも気がつくところがあるはずです。

ご主人の豊島龍山こと数次郎さん亡きあと、トミさんには生活があります。
一家を食わせるために昔から行き来のある駒師Kに「龍山」の銘で駒を作らせて商いしていたわけです。それが、昭和50年近くまで続いていました。

「龍山作」は、豊島家のブランドと考えれば、軽々しく偽物ともいえないわけです。
ただ、同じ「龍山作」も、2通りある、ということです。さらにその父のものと合わせれば、3通りあることになりますが、初代作のものには銘が入っていないものは知っていますが、初代で「龍山作」の銘を入れている駒は私は知りません。

トミさんには、無理を言って「龍山」ゆかりの駒づくりの遺品を蜜柑箱に2つほど譲っていただきました。
蜜柑箱には作りかけの駒、余分に作って余った駒、出来の悪い駒、実際に使っていた字母紙、肉筆で書かれた字母紙、字母にするために彫った駒、字母の判子、龍山の判子などなど。

ただしご主人の作られた、あの「錦旗」の駒と「龍山字母帳」は、大切なものだから手元に残して起きたいということでした。
「龍山字母帳」は、コピー許可をいただいて、2週間ほど拝借し、約束どおり返却しました。
龍山の字母帳は「名駒大鑑」で、紹介しましたが、著作権を配慮して、どの書体も一部の文字のみに止めました。

トミさんは、15年か20年近く前に亡くなりました。子息ご兄弟は健在です。
去年、弟さん(名前は明日調べて追記します)から手紙を頂戴しました。

豊島家の話に、走りすぎました。

会報に話を戻しますと、14号では「雅号の登録」を呼びかけました。
雅号は「龍山」とか「影水」とか、あの「作者銘」のことです。
雅号は思い思いに使っても構いませんが、他人とダブってもどうかと思うので、登録して公表することで、ダブりを防ぎ、皆に知ってもらうわけです。
14号の「雅号登録」リストには16人の方が登録されました。

「うるし室の工夫」を北田義之さんが投稿しています。
木製の箱に棚をつけて、小さな白熱電灯を点ける。その熱で温度を保って、漆が順調に乾きやすくするという工夫です。

小生も当時、プロになりたいなろうとした心情を述べています。
若かったころの心情です。

編集後記には、変な「水無瀬兼成書」の駒が出回り始めたことに触れています。

現在は時々見かける書体ですが、この1年前に将棋専門誌「」で、「水無瀬駒」特集をしましたが、その文字とは似ても似つかぬ駒が「水無瀬兼成書」銘の駒が、当時、出回り始めたようですね。


夜も更けました。ではまた。
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曇りのち雨

2009-03-09 19:30:52 | 文章
3月29日(月)、曇りのち雨。

今日朝から、雑用がちの一日でした。
先ずは「将棋チェスト」、輸送中の事故で送り返してもらったのが1台。
これは早速、お詫びの手紙を入れて、新しい代品を発送しました。
宅急便にも各社いろいろありますが、経験上取り扱いも丁寧で一番信頼をしているのが、クロネコヤマトの宅急便です。
それでも事故は起こる場合があります。
事故が起きたのは残念ですが、今回も、丁寧な対応でした。

手紙はこのほかに4通。2通は手書き、2通はワープロ。
ワープロは10年か、もっと前から愛用するシャープ製。まだまだ現役ですが、この間は、フロッピィを傷つけて、2年分くらいのデータを失くしてしまいました。
バックアップしておかなければならなかったのですが、ついつい横着していました。

データを失くしたのは残念ですが、済んでしまったことは悔やんでも仕方ありません。しかし、ワープロ本体が壊れてしまうと、どうしようもありません。
すでに製造中止になって7~8年経つはずです。
機械はいつかは壊れます。壊れたときのバックアップの機械を、そのうちどこかで見つけようかとも思っている今日この頃です。

ところで、写真は何だかわかりますか。
もちろん将棋盤ですが、少し変わった将棋盤です。上の盤を開けると中に、駒台と駒箱が幾つか入っています。他にもいろいろたっぷりと収納できる将棋盤です。

15年かもう少し前に、こんなものを2つ作りましたが、どこにも発表せず保管しておりました。
盤は1寸ほどの日向カヤの柾目上物。このために2面特注したものです。足も日向カヤ。周りは桐製です。
雰囲気は6寸の榧盤というところを狙って、実はこれが「将棋チェスト」を考案することになった前身です。
欲しい方があれば、譲ってもいいと思っています。

天面の榧盤は、閉めるとずり落ちることはありません。
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13号

2009-03-08 19:38:32 | 文章
久方ぶりの「駒づくりを楽しむ会・会報」、本日は13号です。

発行日は、昭和54年2月10日です。
丁度、今から30年前になりますね。
編集後記を読むと、この年の「年末年始から1月の半ばまで、郵便の届くのがべた遅れで、ひどいのになると半月かかってやっと届くという有様」とあります。
すっかり忘れていますが、この年には、そんなことがあったんですね。

それに前年の12月12日に、、依然少し触れた渡辺汀さんから「今後、プロの駒師として進みます」という挨拶状を受け取ったことが記してありました。
「なかなか大変だと思うが、うらやましい。とにかくがんばってください」と、小生は心情を述べています。

写真は、東京池袋の三越百貨店・将棋まつり会場での「作品展のスナップです。
慣れない百貨店のショウウインドウの中に入って、会員諸氏が店番をしているショットです。
右上の写真、奥から秋葉健次さん、中村新太郎さん、増山雅人さんの顔があります。そのほか西沢英男さん、北田義之さんにもお手伝いいただきました。

遠路から出品者でありまた観客として、岡山の小山章さん、富山の矢田久幸さん、愛知県の天津和明さんと加藤俊一さんが応援と激励に来てくれました。
このときの展示作品は、20人の延べ29作品。彫り駒が15点、彫埋め6点、盛上げが8点でした。

この中で最年長は、中村さん。正確な年は覚えていませんが、60歳ちょっとでしたか。
西沢さんが小生より少し上、若い秋葉さんは大学生、増山さんは大学を出たくらいでしたか。因みに小生は36歳でした。みんな若かった頃です。

西沢さんは、そのころ日本興業銀行に勤めておられましたが、去年、我が工房を訪ねてくれました。
いつも背筋をピンと伸ばして健康で矍鑠たる姿勢は、以前と変わりありませんが、現在は白い立派なひげを蓄えておられました。
年賀状は毎年やり取りしているものの、20何年ぶりかの再会、うれしかったです。



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あくと・しにあ

2009-03-08 08:48:17 | 文章
3月8日(日)、曇り。

昨日触れました名古屋での「アクテイブシニア」の情報を写真にしておきます。
入場料は、前売り800円、当日券は1000円です。

午前中は、NHKの羽生・久保戦を見ながらの伝票整理など。
午後は夕方まで買い物で外出。駒づくりは無しでした。

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駒の写真集

リンク先はこちら」 http://blog.goo.ne.jp/photo/11726