8月22日(月)、曇り。
猛暑日から、気温は一挙に10月。
落差に驚いたり、喜んだり。
しかし、爽やかな秋の気候ではありません。
もう一つの心配は、お米への影響。
早場米はあと半月くらいで収穫が始まるそうですが、お米全般の生育へ影響はどうなるかです。
近年の我が家では、近郊のお米農家から年間200キロくらいを予約して、必要の都度、分けていただいています。
田圃は、清水が湧く山間。
そこより上には、人の住居が無いので「綺麗な水で育てられたお米」というのが、農家の自慢。
冷たい水で育つせいか米粒はやや小さいのですが、大変旨いので時々、東京の娘に送ったりして、もう少し多く分けて欲しいと思うのですが、昨年は全国のナントカ賞を受賞して、大阪の百貨店が仕入れに来て、余裕は無いとのこと。
まあ、それは仕方がないとして、今は冷夏の影響が無いことを願っています。
では、また。
猛暑日から、気温は一挙に10月。
落差に驚いたり、喜んだり。
しかし、爽やかな秋の気候ではありません。
もう一つの心配は、お米への影響。
早場米はあと半月くらいで収穫が始まるそうですが、お米全般の生育へ影響はどうなるかです。
近年の我が家では、近郊のお米農家から年間200キロくらいを予約して、必要の都度、分けていただいています。
田圃は、清水が湧く山間。
そこより上には、人の住居が無いので「綺麗な水で育てられたお米」というのが、農家の自慢。
冷たい水で育つせいか米粒はやや小さいのですが、大変旨いので時々、東京の娘に送ったりして、もう少し多く分けて欲しいと思うのですが、昨年は全国のナントカ賞を受賞して、大阪の百貨店が仕入れに来て、余裕は無いとのこと。
まあ、それは仕方がないとして、今は冷夏の影響が無いことを願っています。
では、また。
8月21日(日)、小雨。
昨日あたりから急に涼しくなりました。
但し、前線が近くでヨタヨタしているのでしょう、湿度は高いです。
ラジオを聞いていると、鹿児島県辺りは未だ猛暑とか。
前線が未だ通過していないので、蒸し暑さが続いているそうです。
暫く目立った訪問者がありませんでしたが、今朝は中小型のノコギリクワガタが一匹。
それを写真に撮ってから、仕事を始めました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/03/bac7c17b550739fe9192e9acca0d1fb2.jpg)
蝉もヨタヨタ。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/67/4e5a4e29fe45e705de4674902228341e.jpg)
近くに行っても逃げません。
「ヒグラシ」のようです。
羽化して1週間も経ったのでしょうか。
地下に6年。
表に出ては1週間のはかない命。
ところで、「クワガタ」は、どのくらい生きるのでしょうか。
ソレニシテモ、当方の1週間は早いものです。
これを53回繰り返すと1年。
これも早いものですね。
今日も一日が始まりました。
では、また。
昨日あたりから急に涼しくなりました。
但し、前線が近くでヨタヨタしているのでしょう、湿度は高いです。
ラジオを聞いていると、鹿児島県辺りは未だ猛暑とか。
前線が未だ通過していないので、蒸し暑さが続いているそうです。
暫く目立った訪問者がありませんでしたが、今朝は中小型のノコギリクワガタが一匹。
それを写真に撮ってから、仕事を始めました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/03/bac7c17b550739fe9192e9acca0d1fb2.jpg)
蝉もヨタヨタ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/67/4e5a4e29fe45e705de4674902228341e.jpg)
近くに行っても逃げません。
「ヒグラシ」のようです。
羽化して1週間も経ったのでしょうか。
地下に6年。
表に出ては1週間のはかない命。
ところで、「クワガタ」は、どのくらい生きるのでしょうか。
ソレニシテモ、当方の1週間は早いものです。
これを53回繰り返すと1年。
これも早いものですね。
今日も一日が始まりました。
では、また。
8月20日(土)、曇り。
昨日の花火は、30分程でした。
調べると、やはり郡山のお城からの打ち上げでした。
お城と言っても、天守閣は残っておりませんので、正しくは城跡です。
建造物は、昔、県庁庁舎だったか、図書館だったかの明治時代の大きな建物が一つ。
30年くらい前に台湾檜の大木を取り寄せて作った「大手門」と「櫓」。
もう一つは、「柳沢文庫」の建物。
柳沢文庫は、今は大和郡山市の運営ですが、元々は藩主だった柳沢家の建物で、同家の古文書や古い資料が残されています。
ここには以前、将棋好きの歴史学者・堀井先生が毎月来られて古文書の研究成果などをあれこれ。
小生はその日に合わせてここへ通って、4~5人の小さな「歴史サロン」のようなひとときでした。
堀井先生は、元々は将棋駒つながり。
先生がお持ちの駒は、「近代将棋・駒に生きる」でも2~3回、紹介させていただきました。
堀井先生にはその後、水無瀬関係の古文書の読み下しをお願いしたり。
御年は小生より一回り半くらい上ですが、まだまだお元気。
水無瀬関係の資料は、先生のお元気な内にまとめ直そうと思っております。
なお、その後「歴史サロン」は場所を春日大社へ移りました。
昨日の花火は、30分程でした。
調べると、やはり郡山のお城からの打ち上げでした。
お城と言っても、天守閣は残っておりませんので、正しくは城跡です。
建造物は、昔、県庁庁舎だったか、図書館だったかの明治時代の大きな建物が一つ。
30年くらい前に台湾檜の大木を取り寄せて作った「大手門」と「櫓」。
もう一つは、「柳沢文庫」の建物。
柳沢文庫は、今は大和郡山市の運営ですが、元々は藩主だった柳沢家の建物で、同家の古文書や古い資料が残されています。
ここには以前、将棋好きの歴史学者・堀井先生が毎月来られて古文書の研究成果などをあれこれ。
小生はその日に合わせてここへ通って、4~5人の小さな「歴史サロン」のようなひとときでした。
堀井先生は、元々は将棋駒つながり。
先生がお持ちの駒は、「近代将棋・駒に生きる」でも2~3回、紹介させていただきました。
堀井先生にはその後、水無瀬関係の古文書の読み下しをお願いしたり。
御年は小生より一回り半くらい上ですが、まだまだお元気。
水無瀬関係の資料は、先生のお元気な内にまとめ直そうと思っております。
なお、その後「歴史サロン」は場所を春日大社へ移りました。
只今テレビでは「鳥人間コンテスト」。
外から鈍く「どーオン」の音。
それに惹かれて、窓の外を見やれば、山の端ギリギリの高さで「花火」。
距離は南に20キロくらいだろうか。
方角からすると、以前に住まっていた郡山あたり。
どうやら、郡山のお城の台地から打ち上げているらしい。
無理とは知りつつも、カメラをむけました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/7f/4d68137b9c86c52dc169ae7de20363e2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/78/4baba6a71eac7db48d006b4cb0541838.jpg)
2枚の写真を上下に合成しました。
外から鈍く「どーオン」の音。
それに惹かれて、窓の外を見やれば、山の端ギリギリの高さで「花火」。
距離は南に20キロくらいだろうか。
方角からすると、以前に住まっていた郡山あたり。
どうやら、郡山のお城の台地から打ち上げているらしい。
無理とは知りつつも、カメラをむけました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/7f/4d68137b9c86c52dc169ae7de20363e2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/78/4baba6a71eac7db48d006b4cb0541838.jpg)
2枚の写真を上下に合成しました。
8月19日(金)、雨。風やや強し。
先日、歌手の二葉あき子さんが亡くなりました。
96歳とか。
そう言えば、子供の頃、「フランチェスカの鐘」という歌が流行りました。
小生が小学校に入る何年か前ですから、今から60年以上前のことです。
その頃、ラジオからは毎日「♪ フランチェスカの鐘の音が、チンカラカンとなり渡りゃ・・♪」の歌が流れていました。
菊田一夫作詞、古関裕而作曲の気だるいテンポの歌です。
門前の小僧ならぬ5歳ほどだった小生は、いつの間にかそれを口ずさむようになりました。
因みに、一番の歌詞は、
「あーあ あの人と別れた夜は、
ただなんとなく めんどくさくて、
さようならバイバイ 言っただけなのに、
フランチェスカの 鐘の音が、
チンカラカンと 鳴り渡りゃ、
胸は せつない 涙がこぼれる、
なぜか知れない この悲しみよ」
子供ゆえに、当時は、ただ聞きなれたメロディと音だけを、何も考えずに歌っていた訳ですが、今になって思えば、これはヒロシマの原爆で死んだ人への鎮魂歌でありました。
合掌。
ーーーー
一昨日、漆で書きあげた「王将の根付け」10個。
漆仕事の結果を心配しておりましたが、漆が縮れることもなく、仕上がりは上々。
大きさは、普通の「金将」と同じくらい。
未だ金具は取り付けておりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/84/acee9b0b3203c420e59eb06ee6e154f1.jpg)
「王将」の文字は、気持として少し太めにどっぷりとしました。
ブランクの木地にぶっつけ本番の肉筆です。
出来上がって良く見ると、王の縦棒の太さなど細かなところに違いがありますが、全体としての雰囲気は共通感あり。
あとは、裏側にそれぞれのお名前を書いて、金具と紐を取り付ければ出来上がりです。
先日、歌手の二葉あき子さんが亡くなりました。
96歳とか。
そう言えば、子供の頃、「フランチェスカの鐘」という歌が流行りました。
小生が小学校に入る何年か前ですから、今から60年以上前のことです。
その頃、ラジオからは毎日「♪ フランチェスカの鐘の音が、チンカラカンとなり渡りゃ・・♪」の歌が流れていました。
菊田一夫作詞、古関裕而作曲の気だるいテンポの歌です。
門前の小僧ならぬ5歳ほどだった小生は、いつの間にかそれを口ずさむようになりました。
因みに、一番の歌詞は、
「あーあ あの人と別れた夜は、
ただなんとなく めんどくさくて、
さようならバイバイ 言っただけなのに、
フランチェスカの 鐘の音が、
チンカラカンと 鳴り渡りゃ、
胸は せつない 涙がこぼれる、
なぜか知れない この悲しみよ」
子供ゆえに、当時は、ただ聞きなれたメロディと音だけを、何も考えずに歌っていた訳ですが、今になって思えば、これはヒロシマの原爆で死んだ人への鎮魂歌でありました。
合掌。
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一昨日、漆で書きあげた「王将の根付け」10個。
漆仕事の結果を心配しておりましたが、漆が縮れることもなく、仕上がりは上々。
大きさは、普通の「金将」と同じくらい。
未だ金具は取り付けておりません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/84/acee9b0b3203c420e59eb06ee6e154f1.jpg)
「王将」の文字は、気持として少し太めにどっぷりとしました。
ブランクの木地にぶっつけ本番の肉筆です。
出来上がって良く見ると、王の縦棒の太さなど細かなところに違いがありますが、全体としての雰囲気は共通感あり。
あとは、裏側にそれぞれのお名前を書いて、金具と紐を取り付ければ出来上がりです。
8月18日(木)、薄曇り。
立秋も過ぎた今日この頃。
ゴウヤの葉っぱに、小さなバッタ。
まだ子供なのか、大人なのか。
「露虫」とも言うのでしょうか。
正確な名前は知りません。
先ほど起きて天気予報を見ていると、日本列島に寄り添うような前線。
今年の夏はこんな天気図が断続的に続いています。
まさか梅雨前線とは呼ばないとは思いますが、秋雨前線とも言わないのでしょうね。
ーーーー
この時期、2~3日置きにゴウヤとキュウリを収穫しています。
2~3本、多いときには5~6本。
この時は、ご近所にも差し上げたり。
やはり、プランターより露地植えが大きく成長するようです。
ーーーー
昨日は、頼まれている根付け。
頼まれているのは5枚ですが、木地は倍の10枚を用意して「王将」を書きました。
そこでチョッと気になるのは、湿度が高く蒸し暑い空気です。
適当にクーラーをかけていても、外の湿度の高さの影響は大。
結果がどうなるかチョッと心配ではあります。
手組高級品の紐は7本送られてきたので、これで7個を作ります。
お代は5個分のみ頂戴して、2個はプレゼント。
手元に残った3個は、いつものストレートの正絹の紐を使用。
暫く手元に置いて、また何かに活用出来ればと思います。
立秋も過ぎた今日この頃。
ゴウヤの葉っぱに、小さなバッタ。
まだ子供なのか、大人なのか。
「露虫」とも言うのでしょうか。
正確な名前は知りません。
先ほど起きて天気予報を見ていると、日本列島に寄り添うような前線。
今年の夏はこんな天気図が断続的に続いています。
まさか梅雨前線とは呼ばないとは思いますが、秋雨前線とも言わないのでしょうね。
ーーーー
この時期、2~3日置きにゴウヤとキュウリを収穫しています。
2~3本、多いときには5~6本。
この時は、ご近所にも差し上げたり。
やはり、プランターより露地植えが大きく成長するようです。
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昨日は、頼まれている根付け。
頼まれているのは5枚ですが、木地は倍の10枚を用意して「王将」を書きました。
そこでチョッと気になるのは、湿度が高く蒸し暑い空気です。
適当にクーラーをかけていても、外の湿度の高さの影響は大。
結果がどうなるかチョッと心配ではあります。
手組高級品の紐は7本送られてきたので、これで7個を作ります。
お代は5個分のみ頂戴して、2個はプレゼント。
手元に残った3個は、いつものストレートの正絹の紐を使用。
暫く手元に置いて、また何かに活用出来ればと思います。
8月17日(水)、曇り。
相変わらず、ドンヨリ。
スカッとしないお天気です。
昨日は、午後から芦屋へ。
用事は2件。
家内ともども、ある人の入院お見舞いと、もう一つはチョッとした打ち合わせです。
夕食は、帰りがけの大阪で。
この間、乾さんに連れて行ってもらった天満橋にある小料理屋「k」。
特にここの「アナゴの忘ずし」が旨かったのを、思い出した訳です。
17時頃店の前に着いたのですが、シャッターが下りています。
もう少ししたら開くかなあ、と思って付近を一回りしてもだめでした。
考えてみればお盆。
きっと、お盆休みなんですね。
また来ようと・・。
ーーーー
写真は、愛用の「蒔絵筆」。
時々、このように広げて、手入れをします。
蒔絵筆は、穂先が命。
穂先は全て揃っています。
短いのや、穂先の切れたものを一本一本選り分けて取り去る細かい作業です。
相変わらず、ドンヨリ。
スカッとしないお天気です。
昨日は、午後から芦屋へ。
用事は2件。
家内ともども、ある人の入院お見舞いと、もう一つはチョッとした打ち合わせです。
夕食は、帰りがけの大阪で。
この間、乾さんに連れて行ってもらった天満橋にある小料理屋「k」。
特にここの「アナゴの忘ずし」が旨かったのを、思い出した訳です。
17時頃店の前に着いたのですが、シャッターが下りています。
もう少ししたら開くかなあ、と思って付近を一回りしてもだめでした。
考えてみればお盆。
きっと、お盆休みなんですね。
また来ようと・・。
ーーーー
写真は、愛用の「蒔絵筆」。
時々、このように広げて、手入れをします。
蒔絵筆は、穂先が命。
穂先は全て揃っています。
短いのや、穂先の切れたものを一本一本選り分けて取り去る細かい作業です。
8月16日(火)、只今曇り、間もなく晴れるでしょう。
明け方は、遠く高い輪唱のようなヒグラシの声。
夜が明けると、ジャカジャカと一斉に騒々しいトクマゼミとアブラゼミの音。
今が盛りの蝉の鳴き声です。
昨日は、一人のお客様というか、大阪のSさんがあるものを届けにきてくれました。
桑製の「小さな箱」です。
使われている木目が誠に綺麗で気に入って、昔、買ったものです。
かれこれ20年近くになります。
形がチョッと竪に長いので、短く切りすぼめて、いずれは何かに使おうと保管しておりました。
ところで去年、木工をやるSさんが工房に来られました。
その時、「竪を2センチほど切りすぼめてもらえないか」と依頼。
それを昨日、持ってきてくれた訳です。
どんな箱かですが、昨日、写真に撮るのを忘れておりました。
後ほど写真にアップして、ご覧に入れたいと思います。
ーーーー
「桑箱」。
大きさは、約9センチx10センチ。
高さ早く6センチです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b0/d4bbc78a76cf57c509299a5f4b842754.jpg)
では、また。
明け方は、遠く高い輪唱のようなヒグラシの声。
夜が明けると、ジャカジャカと一斉に騒々しいトクマゼミとアブラゼミの音。
今が盛りの蝉の鳴き声です。
昨日は、一人のお客様というか、大阪のSさんがあるものを届けにきてくれました。
桑製の「小さな箱」です。
使われている木目が誠に綺麗で気に入って、昔、買ったものです。
かれこれ20年近くになります。
形がチョッと竪に長いので、短く切りすぼめて、いずれは何かに使おうと保管しておりました。
ところで去年、木工をやるSさんが工房に来られました。
その時、「竪を2センチほど切りすぼめてもらえないか」と依頼。
それを昨日、持ってきてくれた訳です。
どんな箱かですが、昨日、写真に撮るのを忘れておりました。
後ほど写真にアップして、ご覧に入れたいと思います。
ーーーー
「桑箱」。
大きさは、約9センチx10センチ。
高さ早く6センチです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/b0/d4bbc78a76cf57c509299a5f4b842754.jpg)
では、また。
8月15日(月)、雲多き晴れ。
66年前の今日、3年9カ月続いた大戦が、日本の全面降伏で終了。
小生は2歳半。
この時は、名古屋に居ました。
2歳半でしたので、そのこと自体は覚えていません。
しかし、戦時中の怖い体験というか、恐ろしい情景は、一幅の絵として記憶があると、以前にも書きました。
空から降ってくる焼夷弾。
屋根の向うの上空から、「シュるシュる」と音を伴ってゆっくり降ってくる筒っぽでした。
家の前のアスファルトの道路には、道路ごと焼け爛れて炎上するトラック。
道路には、防空頭巾姿の女の人が倒れている。
小生は、母親の背中でそれを見ていました。
場面は変わって、陸橋の上から見下ろした貨物駅。
陸橋のたもとには、リヤカーが立てかけられていたように思います。
戦争とは直接結びつきませんが、何か印象的だったのでしょう。
近所の大人や兄たちは、店先の床几で将棋をしていたように思います。
終戦後、間もなく一家は名古屋から京都に移り住みました。
高野川の上流です。
ここでの記憶は、進駐軍のトラック。
走りすぎるとき、子供たちに向かってトラックから「チョコレート」がばらまかれました。
多分、小生も一欠片ぐらいは口にしたことでしょう。
それから、下鴨神社にほど近い葵橋、鴨川右岸の辺りに移り住みました。
この頃の記憶は、鴨川と下賀茂神社の境内。
境内の高木には、玉虫。
何匹かは兄が獲ったように思います。
鴨川では、川の水たまりに足を付けた程度だったのでしょう。
10歳ほど上の兄は、竹筒を川に沈めて、ウナギを獲っていました。
当時の食糧難に大いに貢献したことでしょう。
以上が、終戦の日を迎えて、小さい頃の記憶でした。
66年前の今日、3年9カ月続いた大戦が、日本の全面降伏で終了。
小生は2歳半。
この時は、名古屋に居ました。
2歳半でしたので、そのこと自体は覚えていません。
しかし、戦時中の怖い体験というか、恐ろしい情景は、一幅の絵として記憶があると、以前にも書きました。
空から降ってくる焼夷弾。
屋根の向うの上空から、「シュるシュる」と音を伴ってゆっくり降ってくる筒っぽでした。
家の前のアスファルトの道路には、道路ごと焼け爛れて炎上するトラック。
道路には、防空頭巾姿の女の人が倒れている。
小生は、母親の背中でそれを見ていました。
場面は変わって、陸橋の上から見下ろした貨物駅。
陸橋のたもとには、リヤカーが立てかけられていたように思います。
戦争とは直接結びつきませんが、何か印象的だったのでしょう。
近所の大人や兄たちは、店先の床几で将棋をしていたように思います。
終戦後、間もなく一家は名古屋から京都に移り住みました。
高野川の上流です。
ここでの記憶は、進駐軍のトラック。
走りすぎるとき、子供たちに向かってトラックから「チョコレート」がばらまかれました。
多分、小生も一欠片ぐらいは口にしたことでしょう。
それから、下鴨神社にほど近い葵橋、鴨川右岸の辺りに移り住みました。
この頃の記憶は、鴨川と下賀茂神社の境内。
境内の高木には、玉虫。
何匹かは兄が獲ったように思います。
鴨川では、川の水たまりに足を付けた程度だったのでしょう。
10歳ほど上の兄は、竹筒を川に沈めて、ウナギを獲っていました。
当時の食糧難に大いに貢献したことでしょう。
以上が、終戦の日を迎えて、小さい頃の記憶でした。
駒の写真集
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