2月12日(水)、晴れのち雨。
朝方は晴れていましたが、午後は曇り、夕刻から雨になりました。
先日の原田先生揮毫の平駒箱。
木地のままではなく、3回、拭き漆をしました。
表書きの文字は、漆を透かして見る形です。
すみません。
湯原温泉での展示会、ゆえあって急遽中止になりました。
もっと早く、中止の告知をしなければいけなかったのですが、本当にすみません。
無駄足をなされてしまったのなら、本当に申し訳ありません。
もしそうなら、お詫びのしるしに、小生作の根付を差し上げますので、お手数ですが、コメントにて申しつけください。
2月9日(日)、曇り。
時折り雪もちらつきました今日、いつものように、NHKラジオを聴きながら、午後も仕事でした。
すると、羽生さんや木村さん、そして深浦さんも。
その中で、深浦王位対木村挑戦者、10年前の王位戦の話が出ていました。
木村さんが3連勝のあと、思いもしなかった4連敗で、つかみかけていたタイトルを逃してしまった、あの話でした。
そこで思い出したことがあります。
その第50期王位戦第3局は、兵庫県の有馬温泉で戦われたのですが、その会場に私も行っておりました。
映像は、その使用駒。
戦いに先立ち、両対局者に平たい駒箱へ揮毫していただきました。
その駒の書体は「源兵衛清安」。これは、今でも所蔵しておりますので、アップします。ご覧ください。
今でも印象に残っているのは、対局後の打ち上げパーティには、深浦さんの姿はありませんでした。よほど悔しかったのでしょう。しかし、4局からは連勝しての深浦さん防衛。
これには木村さん、よほど悔しかったに違いない。これが大いなる発奮動機となって、今回のタイトル獲得につながったのですね。
久しぶりの原田先生筆跡の駒。まもなく完成。その映像です。
原田先生書の駒は、小生だけが作っているとのことで、昨年、先生ご出身の新潟県の方からご注文をいただきました。先生書の駒は2種類あって、これは平成8年に開催した「プロ宣言展」の時に、文字の原案を書いてだいたもので、以降は専らこの筆跡の駒を作成しています。
これまで、10組か10数組を作成し、今回の駒は木地の選定から始めて、このほど完成が近づきました。盛り上げた漆をより固めると完成です。
そうそう、今思い出したのですが、平箱には、これ以外にもう一つあって、それは原田先生に揮毫を肉筆でお願いしたものがあります。
明日、その映像をアップしますので、どちらかよい方を選んでいただこうと思っています。
平箱。原田先生の揮毫(表)。
同、見返しの揮毫。
北海道北見市で、将棋学シンポジュウムが予定されています。
8月17日、北見芸術文化ホール。
趣旨は、「日本の伝統文化としての将棋道」。
内容は、「将棋道に関する研究成果発表(6名)と、パネル討論会」。
具体的な内容は今後、実行委員会(名誉委員長=尾本恵市東京大学誉教授、委員長=飯田弘之北陸先端科学技術大学院大学教授)にて詰められるとのことです。
研究成果発表では、弁士の一人として声をかけていただいて、小生は「将棋駒学」のワンポイントとして、どのような話がよいか考えているところです。
ある筋から、3月に大阪府島本町の水無瀬神宮にて「中将棋大会」が開催されるとの連絡を頂戴しました。
島本町では毎年、中将棋関係の催しを開催していますが、今年は、インターネット放送のドワンゴも加わって、水無瀬神宮にて、中将棋連盟主体の中将棋大会が開催されるとのことです。
詳細は、近々発表されるのを待ちたいと思います。
2月6日(木)、晴れ。
晴れていても粉雪がちらちら、寒い一日でした。
立春をすぎて本格的な冬到来。
外仕事の外気温は4℃。早々に取りやめて内仕事。
久しぶりの「守田長禄」彫りを少々でした。
2月4日(火)、晴れ。
今日は所用で、名古屋行き。とんぼ返りで17時に帰宅しました。
ということで、駒づくりは2時間ほど。あわただしい一日でした。
映像は、今朝の毎日新聞。読者のページ「みんなの広場」。
今日もラジオとテレビで国会中継。名古屋への行き帰りに聞いていました。
「棋譜読み上げのテレビなどで、『玉』を『王』と言わないのはどうしてでしょうか」と、質問をいただきましたので、私の見解を申し述べます。
お尋ねの件。棋譜の読み上げですが「王」と言わず「玉」というのは、歴史的にも「玉」が正しいと思います。と言いますのは、もともと古くは「王将」という駒はなく、双玉と言って、2枚とも「玉将の駒」でありました。
私に言わせれば「王将」が一般化したのは、江戸時代後期以降で、いわば新参者の駒なのです。ですが、今は「王将」を、上位者がを持つことになっていますね。ちょっとこれには納得がゆきません。違和感があります。
では、いつ頃このような慣習になったのでしょうか。少し調べてみましたが、よくわかりませんでした。明治の頃か、大正時代、あるいは昭和初期の頃かはっきりしません。どなたか知っている方がいらっしゃれば、教えてほしいと思います。
今、これが当たり前のように定着してしまっていますが、よく考えればおかしいのです。大方の人は、考えたこともないのでしょうね。考えることが仕事の人でも、ここまで考えることはしない。
もう一つ、「王」と「玉」の言葉について考えてみます。
「王」はキング、つまり外国では王様ですね。おおかたの人は、この認識なんでしょう。しかし、日本の歴史を考えてみてください。「王」は、唯一無二の天皇ではなく、天皇の息子や弟、あるいは叔父など姻戚関係の男子。これを「王」と呼びます。そして、地方豪族の長、これも「王」と呼んできました。ですから、時代時代で「王」は、何人も何十人もいたのです。
一方、「玉」は、天皇の別称でもあります。玉体とも言いますね。玉座は天皇の座る特別のところ。
どうでしょうか。
なぜ、今は上位者が「王将」を持って、下位者が「玉将」なのでしょうか。
おかしなことではありませんか。理由が分からないのです。
どなたか、答えていただける方がいらっしゃれば、教えてほしいです。
今日は、こんな話ですみません。
映像は、毎月頂戴している、岐阜にお住いの南さんのハガキ。
手作り版画のカレンダー。
駒づくりもなさっていて、版画を趣味にしておられます。
版画を趣味にしている人は、刃物の取り扱いに長じておられるので、駒づくりにも役立って、お上手な方が多い。
職業で言えば、床屋さん、魚屋さん、大工さんも、初めから駒づくりが上手です。共通は刃物を上手に研ぐ技術。刃物が上手に砥げると、駒づくりも上手に作れるのですね。