三日連休は大歓迎なんだけど、二週続いてくれるお陰で仕事は結構慌しい。どうには連休前の追い込みをこなしてほっと一息。一体なんでこんなに仕事に追われているのかと考えると三連休のせいだったりする部分もあるのでは。
気圧配置の関係で先週から引き続き南西の風が続いている。こんな日に北に向かうと帰り道に酷い目に合うかもしれないので、今日はひたすら西へ向かう。
そして目指すは神田川。まだ自転車で走ったことがなかったのでした。
当然の向かい風なのだけど、約50分で到着。かなり順調。神田川と隅田川の合流点を柳橋から見下ろす。
JR総武線橋梁 松住町架道橋
今日僕はほんとはこれを観れただけで満足だよ。
下路式ブレーストリーブ・タイドアーチ。
竣工 - 1932年7月(昭和7年)
美しい。
江戸城向かって走っているであろう龍脈に沿って渦巻状に壕とお堀の間を進む。気持ちがとてもいいのはいい気が流れているからではないかと思うことにする。
神田川から四谷へ、そして赤坂、永田町を抜けて三宅坂を下る。
そして前から訪れてみたかった場所。
日本水準原点標庫
憲政記念館に隣接する公園のなかにあるこれは夜に来ても近づけなかったのさ。
標高は東京湾平均海面(Tokyo Peil:T.P.)で24.4140m(測量法施行令第2条第2項)。日本水準原点標庫( - ひょうこ)という建物の中にある。
ローマ風神殿建築に倣ったトスカーナ式オーダーというのがなんとも重厚な雰囲気でありました。
1891年、佐立七次郎によって建てられたこれは日本人建
日比谷壕をまわりこんで正門石橋へ。
しまった二重橋の絵がないじゃないか。
大手町から九段を登り、再び竹橋へ。日本橋川に沿って帰路につく。
日本橋は洗われてきれいになっておりました。
日本橋箱崎町で出会った、高尾稲荷神社。
おっとしまった全景を撮り忘れた。
お参りして神社の由来を読んでびっくり、高尾は女性の名前なのだ。
吉原の遊女で高尾太夫は容姿端麗、和歌俳諧、書、諸芸に通じたといわれる才能のある女性だったという。その高尾に惚れたのが、仙台藩主伊達綱宗候。
大金とつんで見請けしたが、高尾にはすでに意中の人があり、操を立てて候に従わなかった。伊達綱宗は怒り高尾を隅田川の三又(現在の中洲)あたりの楼船上にて吊り斬りにされ、川中に捨てたのだという。
なんだこの伊達綱宗の書かれ方の悪ぶりは。
伊達綱宗が遊郭に出入りして放蕩したことが伊達騒動の引き金になってた訳だよねぇ。しかしそれは陰謀であったはず。
高尾の遺体は数日後、当地大川端の北新堀河岸に漂着し、当所そこに庵を構え居合わせた僧が引き揚げてそこに手厚く葬ったというのがこの神社のいわれなのだという。
社の祭壇には、実物の頭蓋骨が祭神として安置されているという。
そしてふと入り口の石塔をみるとそれはどうみても女性の顔にみえるじゃーありませんか。
しぇー。とりあえず仙台から代表してお詫びしておきました。あー、びっくりした。
家に帰って調べたらこの高尾太夫のお話は結構有名なものでした。高尾太夫は、吉野太夫・夕霧太夫と共に三名妓(寛永三名妓)と呼ばれる花魁のトップスターであり、高尾太夫はもしかすると11代も続いたのだという。
二代目が伊達綱宗に吊り切りされたという話は一般的には俗説なのだそうだ。あー、よかった。しかし、そうなるとあの祭壇に祭られているという頭蓋骨は一体どなたのものなのだというのでしょうねー。
約60キロ。橋の写真をとるのにうろうろ。とっても良いポタリングでした。
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