浦安中年期外伝

カミさんを師匠に修行中の週末の料理やポタリング、読み散らしてている本の事など

ようこそ、おいでいただきました。

歳をとると日々が過ぎて行くのがどんどん早くなっていきます。ブログの更新がやや散漫になりつつありますが、しっかり元気でやっております。
いろいろなジャンルの本を読み漁り書き散らしてきたウェブサイトは今年で20年を迎えました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。 浦安中年期外伝(読書編)
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3.11から2年

2013-03-11 22:19:00 | 出来事
また3.11がやってきました。

この地震で僕らは多くのものを失ってしまった。亡くなられた方々にはあらためてご冥福をお祈りします。被害に遭われた方々には心からお見舞いを申し上げたいと思います。


2年前のあの日、遙か遠い世界の話しのようでもあり、昨日のことのようでもあり、とても特別な距離感がある日だなぁとつくづくと思う。

揺れ始めたあの瞬間からの事は鮮明に思い出せる一方であの日のあと流れた2年という歳月の茫漠とした日々。うまく言えないけどもつまりあの日を思い出すのは遠く離れた古里に帰省するみたいなものかと。僕らの場合、古里が本当に仙台であるが故にそんな気がしています。

記念日の今日メディアで目立ったのが「まだ何も終わってない、始まってすらいない」という復興に対する想いだった。それは直接の被害を受けたのは海岸線に沿った地域のことを指したものだ。実際問題その通りだと思う。

仙台で云えば仙台南道路を挟んだ海側と陸側ではまるで状況が違っていた。帰省したおりに道路の下に開けられた通路をくぐり抜けて海側に家族で立った。その場所から眺めるのはこれがはじめてだった訳だが、それでも震災でどんなダメージを受けたのかは一目で理解できた。建物や木々のような目に見えるハズのものが何もかもなくなっていたからだ。足下には炊飯器や食器、畳や扉が。背筋が凍り、胸が苦しくなる光景だった。

2年たっても復興にはほど遠い現状がある。繰り返すけどほんとそうだろうと思う。しかしそれはなかなか伝わらない。

南道路からちょっと離れると被害の気配はあっという間に消える。仙台市内に戻ると被害のあとは見つけることが難しくなってしまうほどになってしまう。

嘘みたいに気配が消えるのだ。

テレビではある解説者が「まるで爆撃にあったかのように局所的な被害だ」と表現していた。しかし僕ら戦後世代は「爆撃のような被害」を知らない。

爆撃を受けたかのような局所的な被害。言葉では理解できるのだが、実感として捉えることが難しい。

テレビなどの報道でいくら見ていてもやはりピンと来ない。実感が持てない、想像できないのは、実体験として同類のものを持ち合わせていないからなのだ。

未曽有の被害というものはどうやらそういうものだ。このことに気づく、理解するまでに僕も随分と時間が必要だった。それぐらい今回の被害は局所的でこれ以上ないくらい集中的で壊滅的だったのだ。


分かち合うことすら困難なほどの激しい痛みの格差。このことを、こんなことが起こることを忘れてはいけないと思う。

一方で今回のことで沢山学んだ事もあった。原子力行政がいかに杜撰でいい加減だったかということやらなにやら。僕らが力を合わせれば思いもよらない程大きなことができるということ、気持ちが重なりさえすればそれはいつでも発揮でき、(そうそう一つになったときの僕らの強靭さってすごいよね)一国の政治すら動かしうる力を秘めていること。


そして何より僕らには善意があり正しい良心があり明日を信じる心があること。ニッポンをいい国にするのは僕ら一人ひとりの仕事ですよ。残された僕らの義務ですらある。頑張りましょうねー。