ファン・ティー・キム・フックさんの講演会で彼女の話を聞いてきたよ。
ナパーム弾によって衣服を焼かれ、泣き叫びながら走ってくる少女の写真。この写真はピューリッツァー賞を取り、ベトナム戦争を終結させるきっかけとなったと言われる写真となった。
僕も何度もこの写真を目にしてきた。戦争の悲惨さを伝えるにあまりある一枚だと思う。
彼女の名はファン・ティー・キム・フック。1963年生まれで僕と同い年だった。
1972年6月、アメリカ軍の誤爆で避難先の寺院にナパーム弾が投下された。この際、投下爆発した4発のナパーム弾の中心付近にいた彼女は重度の火傷を負い、運び込まれた病院では最早助からないという判断から生きているうちから安置所へ移されたのだという。
三日後に母親に発見され、父親が伝を頼りに治療が進められ14ヶ月入院。辛くも一命を取り留めた。1984年にドイツで受けたものも含め14回の手術と厳しいリハビリを経験。
一般人として暮らすのも束の間ベトナム政府によってその存在を見出され政治的なシンボルとして利用されていく。
あまりに過酷な人生に心が震えた。
「炎をかいくぐってこうして皆さんの前のこの場所にたどりつきました」
この言葉の重さは半端ないものがある。
身体と心に深い傷を負いつつも、キリスト教に帰依し、葛藤と戦う長く辛い祈りの時を経て漸く辿り着く「赦し」の心への道程にはかける言葉もない。
そして彼女は言いました。あの時の叫びは、怒りや痛みや苦しみの叫びではなく、平和を願う他人を傷つけ合い、憎しみ合うのはやめようという叫びだったのだと。
愚かな争いで血を流し合うのはもうやめよう。ほんとうにそう思う。それでなくとも僕らは十分殺しあってきたじゃないかと。
彼女の持っている圧倒的な「赦し」に僕は押し流されてしまいました。なんとくだらないところに固執してしがみついていたんだろうと。セコい了見とかプライドにしがみついて肩肘張って生きるこのみみっちさに恥ずかしい思いをしました。
今日の話を聞けてよかったな。会えてよかったよ。ありがとう。