また今年も「あの日」が近づいてきました。
2011年3月11日。
言うまでも無く、後に「東日本大震災」と名付けられた未曾有の災害の起こった日。
私は前年の年末に会社を退職し、山梨に戻ってハローワークに通いながら就職活動をしていました。
午後2時46分頃でしたか、家で妻とテレビを見ていた時でした。
突然家が揺れ出し、壁がミシミシと音を立てました。
妻があわてて玄関の戸を開けに行ったのを覚えています。
揺れはけっこう長い時間続いたのだと思いますが、記憶ではちょっとの間だったような気もします。
落ち着く間もなく、テレビで各地の様子が映し出され、そして東北地方を襲った津波の映像をリアルタイムで視ることになりました。
その映像の一部は、今でもYoutubeで視ることができますが、真っ黒い波が堤防を超えて押し寄せ、田園を飲みこんでいく様子や、港の施設や家々を押し流す様子を思い出します。
仙台空港のヘリコプターやセスナ機が流されていくシーン、そしてその後に続いた福島第一原発の惨状...。
あれから十年、テレビでその後の現地の様子を見る機会が増えました。
すっかり様子が変わった場所もあるし、がれきが片付けられたままで、あの時のままのような場所もあります。
高い堤防を築き、土を盛り上げて土地を整備しても、そこに戻る人の数は少ないと聞きます。
そういえば、福島から山梨に逃れてきた人の中にも、被災地には帰らないと決めた人も多いと聞きます。
帰りたいけど帰れない。
テレビの震災特集を視るのは苦手です。
十年目ということで、ここで一段落とでも言うつもりなのでしょうか?
そんなテーマの番組が目立ちます。
もちろん被災地には区切りなどありません。
震災の記憶は語り続けられていくでしょうし、これからも復興に向けた作業も続けられています。
マスメディアに踊らされて「(東日本大震災は)これで一区切りついた」などと思ってはいけないな、と思います。