松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

うれしい兆候かも

2006-03-09 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
このところ套路練習が思うようにできていない。
咳アレルギーが回復しきらぬうちに
花粉症も始まり、
仕方なく室内で単練を行うものの
練習不足ぎみの傾向は否めない。
なんとかしたいものだなあ。

太極導引を始めてから
花粉症の症状自体は軽くなっているのだが、
今回は秋から冬の間の養生が
うまくいかなかったんだと思う。
秋口からずっと原因不明の不調が続いていて、
そのうちに咳アレルギーが始まり
消耗していった感じ。
しかしそんな状態にありながらも
体は日々変化し続けている。
最近になって気がついた変化といえば、
緊張感の感じ方だろうか。

動きながら緊張感を意識することが
自然になってきたようだ。
いままではどちらかといえば
緊張しているかな、ここは大丈夫かなと、
いちいちチェックしていくような感じだった。
いわゆる確認作業のようなものかなあ。
それがこの頃は、緊張している部位の方から
知らせてくれているかのような感触に
変わってきているような気がする。

例えば自分が動きたいと思うように
体を動かしていくと、
どうしても思うように動いてくれなかったり、
何だか強ばっているなあと感じる部分などが
具体的な部位として伝わってくることがある。
それは首や首のつけ根、肩や肘、
手首や指の関節だったり、
腰、股関節だったり、背骨や胸だったりもする。
緊張の強い部分からその緊張を緩めていくと、
フッと動きが変わったような気がすることがある。
感覚的には動きを阻害しているものが
なくなるような感じ。
何らかの抵抗感が消えてなくなるような感じ。
つっかえ棒がはずれたときの感触に近いかなあ。
あれ?っと思うくらいにあっけなく
緩むときは緩むのだ。

これまでの確認状態との大きな違いは、
動きに向けている集中を削がずに
対処できているような気がすることだろうか。
動きに応じながらの調整が
少しだけ自然にできるようになってきた
ということなのかな。
自分の感覚で表現すれば、
動きたいのに動けないもどかしさを、
より具体的な部位に感じるようになっている
ということになるのかな。

リアルに感じる分だけ
何とかしたくなるのが人情で、
自然と意識の働きかけも強くなるのだろうが、
不思議なことに力みは感じない。
自然と呼気が深めになっているかなあという気がする。
これは意識導引の要領そのままではないかと…。
ちなみに自分の場合、力みが出てしまうときは
体調自体がバランスを崩していて
全身が緊張感の固まりになっていることが多く、
その時はこういう感覚は感知できなくなるみたい。
やはりできるだけ緊張したり、させない状態に
心身を導いていくことが基本であり、
大切なんだよなあと思う。

少しずつでも体が思う通りに
自然に反応してくれる兆候をみせてくれるのは
うれしく思う。
まだ確かな手応えにもなっていないのだし、
套路練習でも常にこの状態を
維持できているわけでもないのだから
序の口といってもいいくらい。

動きに習熟することも意識も呼吸も、
すべての練習がひとつの套路でできるのだから、
なにはなくともまずは套路練習ということなのだが。
問題は花粉だ…