松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

これってマンネリ?それとも…

2006-03-15 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
これほど練習不足と思われる状態が
続くことってなかったかも、
というくらいに練習ができていない。
長い間にはこういう時も
あるのかもしれないのだけれど、
やはり気になる。
調子がいまひとつなのもそのせいかなと、
ついつい考えてしまう。
しかしこれもまた七情に関わってくる。
何をするにしても
し過ぎても、しなさ過ぎてもよくない。
何事もほどほどに…なのだ。

実はこのところ、自分の中で
ちょっとした心境の変化が起きているらしい。
練習中に何かと迷うようになった。
いままでは覚えた套路を
次々に行うような練習をしてきたのだけれど、
最近はなぜか気乗りがしてこないというか…。
これって単に飽きたのだろうか。

太極導引は太極拳套路を利用して
体を動かすもので、
そこにはいくつかの要求があるのだけれども、
基本的には意識を働かせながら
心身の緊張を解いていく運動。
極論すれば套路や動作を
正確に行えるようになることよりは、
ソン(放松)の状態に必要となる
呼吸の状態や必要以上の力を用いずに
正しい姿勢を維持して動けるようになることが
求められているのかもしれない。

ところが最近の自分ときたら、
型や動きの方に
意識が傾いているような気がしてならない。
要は套路一本を練るだけの集中力もない
ということなのかもしれない。

ちょっと言い訳がましくなってしまうのだけれど、
このところ一つの型を練習していると
体のあちこちから感じるものがあるのだが、
それを感じるままにしておけず、
ついつい気になってしまう。
つまり感じるものは感じるままにする意識と
感じているものに向き合おうとする意識が
せめぎ合っているのを感じている
自分がいるような状況とでもいうのかな。

いったい自分は何をやっているのだろうかと
思ったりしているわけ。
こんな状態だと自分の技量では
もうどうにもならないから、
とにかく体を動かすことに専念した方が
いいのかとも思う。

教室での練習でも
この状態を引きずっていることがある。
体調も良くない上に
これでは心理的にもあまりよくないのは明白か。
バランスや協調状態を調整できずに
姿勢が崩れたり
虚実もはっきりとせず
中途半端になってしまうようなのだ。
実は、これらの状態も自分では感じ取れず、
先生から指摘されることも少なくない。

こんな状態だから
練習に対する満足感(のようなもの?)も少なく、
しっくりとこない。
これって導引的にはどうなのだろうか…。
何となく練習の仕方を見直す時期なのかな?
ときどき自分のやっているのは
導引なのだろうかと思うときがある。
思い違いをしていたり、
取り組み方を間違っていたりするのかな?