この数日、マクロビオティックを調べてみたのですが
門外漢がその流れ(歴史)を整理してまとめていくには
ちょっとたいへんそうなのがわかってきました。
というのも、マクロビオティックというのは
どうやら食養法だけをさすわけではないということが
わかってきたのです。
マクロビオティックの父とも言える桜沢如一氏ですが
その思想の根幹となる無双原理は宇宙観にまで広がっており
広い意味では哲学的要素もあるのです。
つまりマクロビオティックといえば
広い意味では陰陽理論による思考法でもあり
狭い意味では玄米菜食による健康法でもあるようなのです。
正直、ちょっと焦りました。
もちろんここで取り上げているのは狭い意味での方です。
そこでまずはマクロビオティックの四天王といわれる
4人の考え方やスタンスを抑えることで
健康法としてのマクロビオティックに接近してみることにしました。
☆マクロビオティックの四天王
石塚左玄(いしづかさげん:1850-1909)
福井出身。漢方医の家に生まれ、後に陸軍の薬剤監となる。
彼は中医学の流れをくむ日本の伝統的医学(漢方)の考え方に
基づく夫婦アルカリ論(マクロビオティックの陰陽論の前身)や
人間の歯の構成などから穀食主義を提唱して
食養としての玄米菜食を最初に体系化した。
(マクロビオティックの基礎を築いた人)
桜沢如一(さくらざわゆきかず:1893-1966)
京都生まれ。幼くして両親を亡くし
貧困と病気に苦しみながら生きてきたが
石塚左玄氏の食養生を学び実践することで長年の持病を治し、
健康を回復する。彼はバランスという観点を重視して
石塚左玄氏の思想と中国の陰陽理論(易経)が持つ
宇宙観(マクロ的な哲学)をもとに
現在のマクロビオティックの体系を築いた。
大森英櫻(おおもりひでお:1919-2005)
静岡出身。日本における正食医学の大家。
桜沢如一氏の病気治しの分野を継承した彼は
幼少期に病気で苦しんだ自らの経験をもとに、
動物性のものは一切食べない徹底した玄米菜食・少食を
おしすすめる純正正食を提唱。食べ物を正すことで、
あらゆる病気を治癒することができると説いた(正食医学)。
久司道夫(くしみちお:1926-)
和歌山出身。1949年渡米、自身の戦争体験をもとに
人類の平和のためにはバランスのとれた健康食、
マクロビオティック食が必要であるとし、
桜沢如一氏の思想体系を世界に広めて
食による世界平和の実現を目指している。
このため彼がすすめるマクロビオティックは、
世界中の人が受け容れやすいようにくふうされている。
(クシマクロビオティックと呼んでいる)
狭い意味でのマクロビオティックの流れとしては
石塚左玄氏がその基礎をつくり、桜沢如一氏が体系をつくりました。
そしてそこからさらに正食医学としてすすめていった
大森英櫻氏の系統と、
世界的に万人に受けいれやすい食養法をすすめていった
久司道夫氏の系統とがあります。
つまり石塚氏から始まった食育から
桜沢氏が提唱するマクロビオティックに発展し
そこから大森氏と久司氏が
それぞれの系統に進んで行ったということかと。
大森氏と久司氏はそれぞれの方向性には違いがあるものの
対立というか反目しあうものではありません。
それぞれの基盤となっているのは
桜沢氏が提唱したマクロビオティックに相違ないのですから、
いわば陰と陽のような存在かとも思えます。
桜沢氏はすべての事象は陰陽にて成り立っているとする
陰陽理論(易経)を無双原理と呼び
この世に二つとないすばらしい思想(哲学)であるとしています。
そして彼の食養法は「陰陽バランスを理解し身につければ、
自分の心身状態にあった食べ物を自ら選び食べることができる」としています。
そこには自分で考えて選び(判断)食する(行動)ことの大切さとともに
食養とは自身で自身をつくる(養生)ことに他ならないことを
伝えているように思われます。
門外漢がその流れ(歴史)を整理してまとめていくには
ちょっとたいへんそうなのがわかってきました。
というのも、マクロビオティックというのは
どうやら食養法だけをさすわけではないということが
わかってきたのです。
マクロビオティックの父とも言える桜沢如一氏ですが
その思想の根幹となる無双原理は宇宙観にまで広がっており
広い意味では哲学的要素もあるのです。
つまりマクロビオティックといえば
広い意味では陰陽理論による思考法でもあり
狭い意味では玄米菜食による健康法でもあるようなのです。
正直、ちょっと焦りました。
もちろんここで取り上げているのは狭い意味での方です。
そこでまずはマクロビオティックの四天王といわれる
4人の考え方やスタンスを抑えることで
健康法としてのマクロビオティックに接近してみることにしました。
☆マクロビオティックの四天王
石塚左玄(いしづかさげん:1850-1909)
福井出身。漢方医の家に生まれ、後に陸軍の薬剤監となる。
彼は中医学の流れをくむ日本の伝統的医学(漢方)の考え方に
基づく夫婦アルカリ論(マクロビオティックの陰陽論の前身)や
人間の歯の構成などから穀食主義を提唱して
食養としての玄米菜食を最初に体系化した。
(マクロビオティックの基礎を築いた人)
桜沢如一(さくらざわゆきかず:1893-1966)
京都生まれ。幼くして両親を亡くし
貧困と病気に苦しみながら生きてきたが
石塚左玄氏の食養生を学び実践することで長年の持病を治し、
健康を回復する。彼はバランスという観点を重視して
石塚左玄氏の思想と中国の陰陽理論(易経)が持つ
宇宙観(マクロ的な哲学)をもとに
現在のマクロビオティックの体系を築いた。
大森英櫻(おおもりひでお:1919-2005)
静岡出身。日本における正食医学の大家。
桜沢如一氏の病気治しの分野を継承した彼は
幼少期に病気で苦しんだ自らの経験をもとに、
動物性のものは一切食べない徹底した玄米菜食・少食を
おしすすめる純正正食を提唱。食べ物を正すことで、
あらゆる病気を治癒することができると説いた(正食医学)。
久司道夫(くしみちお:1926-)
和歌山出身。1949年渡米、自身の戦争体験をもとに
人類の平和のためにはバランスのとれた健康食、
マクロビオティック食が必要であるとし、
桜沢如一氏の思想体系を世界に広めて
食による世界平和の実現を目指している。
このため彼がすすめるマクロビオティックは、
世界中の人が受け容れやすいようにくふうされている。
(クシマクロビオティックと呼んでいる)
狭い意味でのマクロビオティックの流れとしては
石塚左玄氏がその基礎をつくり、桜沢如一氏が体系をつくりました。
そしてそこからさらに正食医学としてすすめていった
大森英櫻氏の系統と、
世界的に万人に受けいれやすい食養法をすすめていった
久司道夫氏の系統とがあります。
つまり石塚氏から始まった食育から
桜沢氏が提唱するマクロビオティックに発展し
そこから大森氏と久司氏が
それぞれの系統に進んで行ったということかと。
大森氏と久司氏はそれぞれの方向性には違いがあるものの
対立というか反目しあうものではありません。
それぞれの基盤となっているのは
桜沢氏が提唱したマクロビオティックに相違ないのですから、
いわば陰と陽のような存在かとも思えます。
桜沢氏はすべての事象は陰陽にて成り立っているとする
陰陽理論(易経)を無双原理と呼び
この世に二つとないすばらしい思想(哲学)であるとしています。
そして彼の食養法は「陰陽バランスを理解し身につければ、
自分の心身状態にあった食べ物を自ら選び食べることができる」としています。
そこには自分で考えて選び(判断)食する(行動)ことの大切さとともに
食養とは自身で自身をつくる(養生)ことに他ならないことを
伝えているように思われます。