方向の「方(空間意識)」について、しつこくやってます。
空間を意識するときに
どうしても視覚に惑わされるところがある。
現実の空間にはいろいろな物体などが存在していて
それが意識空間に影響を与える。
視線の先は遥か遠くに…と思っていても
そこに遮る物があると
その先に空間を感じようとする別種の意識が働く。
それは遮蔽物がいささか気になっている
ということに他ならない。
「みえてもみない、きこえてもきかない」
周囲は無視する(無外)はずの「静」が
脅かされている。
静かな水面にさざ波がたっている。
練習する場の環境は、段階によって変わる。
なるほど道場や練習場のような空間には
殺風景なくらいに物を置かない。
ちゃんと意味があるんだな。
自然環境下での練習は
確かに気持ちがよいけれど、
真の練習目的は別にある。
そしてうちの教室が
年に1回某大会に参加する目的も
最終的にはそこにつながる。
意識空間と現実空間
これも重なり合っている、
というか両方あってこそのバランス。
空間を意識するときに
どうしても視覚に惑わされるところがある。
現実の空間にはいろいろな物体などが存在していて
それが意識空間に影響を与える。
視線の先は遥か遠くに…と思っていても
そこに遮る物があると
その先に空間を感じようとする別種の意識が働く。
それは遮蔽物がいささか気になっている
ということに他ならない。
「みえてもみない、きこえてもきかない」
周囲は無視する(無外)はずの「静」が
脅かされている。
静かな水面にさざ波がたっている。
練習する場の環境は、段階によって変わる。
なるほど道場や練習場のような空間には
殺風景なくらいに物を置かない。
ちゃんと意味があるんだな。
自然環境下での練習は
確かに気持ちがよいけれど、
真の練習目的は別にある。
そしてうちの教室が
年に1回某大会に参加する目的も
最終的にはそこにつながる。
意識空間と現実空間
これも重なり合っている、
というか両方あってこそのバランス。