蒸し暑い日本の夏。節電の夏。
練習仲間は皆エアコンをあまり好まず
自然の風が好きなので
いつでも窓を開け放して練習しています。
蚊に刺されます。網戸がほしいです。
このところ坐骨神経痛と思しき違和感と
仲良し状態が復活中。
自分の身体の状態が少しずつわかってきて
その対応法もいろいろ覚えた。
その時々の状態にあわせ
自分なりの対処法でやりすごす。
それは我慢するとか耐えるというのとは
ちょっと違ったものになる。
少なくとも心理的には落ち着いていられる。
今月のお題(課題)となる連続をテーマに
腰から下肢にかけての状態から
どのような動きができるのかを探ってみることに。
自分なりにまず考えたのは鬆・静の連続。
第一の主でもありすべての基礎となる状態だから。
動きたいことをいつも通りにやってみて
緊張が強まる部分があると
いくらかでも緩和する動き方を探ぐりながら
形の動きをつなげて行く。
すると先生からは例のごとく
手先で動いている、回転が足りないと
指摘された。
ある局面では回転しすぎとも言われた。
前に同じように指摘されたときは
自分の意識不足があった。
でも今回は、内面への意識をメインに
もっていこうとの自覚がある。
内面への意識はその人にしかわからないと
たしか講座でもきいたような記憶がある。
そして回転の不足とは外形の要求である。
導引は内面の要求を第一に考えると
自分は理解している。
そして鬆・静は内的要求のなかでも
最優先ではないのか。
「これ以上の動きをすると
緊張がより高まってしまうので」
そんな言葉が口をついて出た。
それに対して先生は何も仰らなかった。
状況的には反抗的発言にも見えたかもしれない。
素直じゃないというような。
でも、自分にはそんなつもりは毛頭もなく、
今この瞬間を真剣に練習してただけだったのだが…。
実際、(先生の指摘を受けた)その後の練習では
相変わらず緊張を感じつつもそちらは二の次に、
先生の指摘に従って回転を主に変更した。
先生「そうです」
(私:やっぱり外形なのか…)
先生「肩を上げないで」
(私:回転に合わせた動きの余波(緊張など)が肩にきた?)
自分のなかでは内的要求よりも
外的要求を優先させたという認識はたしかにあった。
それが心から納得しての変更だったかといえば…
曖昧だったかもと、いまは思う。
いまいち心残りな練習の感触が残ったのは
たぶんそのせいだろうな。
その日の夜は足がつってしまい
痛くて眠れなかった。
やっぱり負担となる動き方をしたのだろうな。
結果的には心理的緊張も加わるなど
緊張が減るどころではなかったな。
こうして当初の目標だった鬆・静の連続は
失敗に終わった。
でもその一方で、何だか次のステップが
見えてきたような気もしてる。
この件については
後日自分の感じていることや考えを
先生に話して、改めて教えを受けるつもり。
練習仲間は皆エアコンをあまり好まず
自然の風が好きなので
いつでも窓を開け放して練習しています。
蚊に刺されます。網戸がほしいです。
このところ坐骨神経痛と思しき違和感と
仲良し状態が復活中。
自分の身体の状態が少しずつわかってきて
その対応法もいろいろ覚えた。
その時々の状態にあわせ
自分なりの対処法でやりすごす。
それは我慢するとか耐えるというのとは
ちょっと違ったものになる。
少なくとも心理的には落ち着いていられる。
今月のお題(課題)となる連続をテーマに
腰から下肢にかけての状態から
どのような動きができるのかを探ってみることに。
自分なりにまず考えたのは鬆・静の連続。
第一の主でもありすべての基礎となる状態だから。
動きたいことをいつも通りにやってみて
緊張が強まる部分があると
いくらかでも緩和する動き方を探ぐりながら
形の動きをつなげて行く。
すると先生からは例のごとく
手先で動いている、回転が足りないと
指摘された。
ある局面では回転しすぎとも言われた。
前に同じように指摘されたときは
自分の意識不足があった。
でも今回は、内面への意識をメインに
もっていこうとの自覚がある。
内面への意識はその人にしかわからないと
たしか講座でもきいたような記憶がある。
そして回転の不足とは外形の要求である。
導引は内面の要求を第一に考えると
自分は理解している。
そして鬆・静は内的要求のなかでも
最優先ではないのか。
「これ以上の動きをすると
緊張がより高まってしまうので」
そんな言葉が口をついて出た。
それに対して先生は何も仰らなかった。
状況的には反抗的発言にも見えたかもしれない。
素直じゃないというような。
でも、自分にはそんなつもりは毛頭もなく、
今この瞬間を真剣に練習してただけだったのだが…。
実際、(先生の指摘を受けた)その後の練習では
相変わらず緊張を感じつつもそちらは二の次に、
先生の指摘に従って回転を主に変更した。
先生「そうです」
(私:やっぱり外形なのか…)
先生「肩を上げないで」
(私:回転に合わせた動きの余波(緊張など)が肩にきた?)
自分のなかでは内的要求よりも
外的要求を優先させたという認識はたしかにあった。
それが心から納得しての変更だったかといえば…
曖昧だったかもと、いまは思う。
いまいち心残りな練習の感触が残ったのは
たぶんそのせいだろうな。
その日の夜は足がつってしまい
痛くて眠れなかった。
やっぱり負担となる動き方をしたのだろうな。
結果的には心理的緊張も加わるなど
緊張が減るどころではなかったな。
こうして当初の目標だった鬆・静の連続は
失敗に終わった。
でもその一方で、何だか次のステップが
見えてきたような気もしてる。
この件については
後日自分の感じていることや考えを
先生に話して、改めて教えを受けるつもり。