松静自然 -太極拳導引が教えてくれるもの-

松静自然とは落ち着いた精神情緒とリラックスした身体の状態をいい、太極拳導引の基本要求でもあります。これがまた奥深く…

練習メモ(集体)

2014-01-22 | 行雲流水-日日是太極拳導引-
大会に向けた練習も
そろそろ折り返しを迎える頃。
練習会場の状況もあって
楽曲に合わせる練習はほとんどしていない。
次回あたりに楽曲に合わせて
現状確認をするのではないかと思う。


集体練習の場合
動きをそろえたいので
視覚からの情報がメインになる。
そのため心理的には
見ようとしてしまいがち。
すると自然と目に力が入ることになり
眼球を動かす筋肉の動きが鈍る。
だから顔を動かすことになる。
いわゆるチラ見ができなくなってしまう。

視界とは案外広いものなので
意識的に見ようとしなくても
そこそこの範囲が見えているものだ。
そんなことを認識するだけでも
目の周辺の筋肉の緊張が解けたりする。
身体はほんとに些細なことに
いちいち反応しているものなのだ。

視線にとって現在進行中の動きは従で
メインは次なる動きをみているのだと思う。
つまり意識が表に出やすい部(パーツ)のひとつかと。
集体では全体の意が現れるのはどこだろう。
やはり動きなんだろうな。

表現される内容は多様であり
これといった規格はないのかもしれない。
ただ、集体とはこういうものだという
暗黙のイメージがあったりするのかもしれない。
たとえば集体を観賞していて
整然とした動きに美を感じたならば
あんなふうにできたらいいなと思うだろう。
だけど集体を演じてる当事者は
動きながら美を感じてはいないだろう。

整然とした動きの美しさを目標とすれば
整然と動くことを目指すことになる。
動きを揃えたいと思うのは
複数人で動作を揃えるのは難しいという
経験則が根底にある。
つまり本来動き方には固有のリズムがある
という前提があってのこととなる。
要は整然とした動きに見えていればいいのだ。
統一感も同様。
統一してるように感じられる見えればいいのだ。

いま練習していることは
細かな確認をして積み上げているのだけれど
たぶんある段階に達すると
それを捨てたみたいな段階に入るだろう。
自然ななりゆきだと思う。

個体差、個性を確認しあい
おとしどころ(中庸)をさぐりあい
これなら無理なく流れそうだぞという動きで
まとめあげたなら、たぶんいけるよね。


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