朝鮮戦争前の私が幼児の時だった。
いたずら子だったので、父親、祖父から
『そんないたずらばっかしてると、マッカーサーの所にやるからなぁ』
と言われた。
私にとってのマッカーサーとは、
幼児からの想像はナポレオンが赤いマントを羽織ったようなイメージを描いていた・・。
小学校六年の時、授業中、マッカーサーが戦後直後、
厚木飛行場でタラップからサングラスでコーンパイプを咥えた人の写真を先生が、『マッカーサー元帥です』
と言った。
『先生、嘘だぁ~い』
と私は言った。
『何を言うだ、君・・マッカーサー元帥に対して失礼だ』
と先生から怒られました。
私は、その晩の夕食は
『ご飯いらない・・』
と母に言った。
マッカーサーがあんなかっこうだ、と今更言われても、
あのマントはどおしてくれるんだょ、と
涙をためました・・。
いたずら子だったので、父親、祖父から
『そんないたずらばっかしてると、マッカーサーの所にやるからなぁ』
と言われた。
私にとってのマッカーサーとは、
幼児からの想像はナポレオンが赤いマントを羽織ったようなイメージを描いていた・・。
小学校六年の時、授業中、マッカーサーが戦後直後、
厚木飛行場でタラップからサングラスでコーンパイプを咥えた人の写真を先生が、『マッカーサー元帥です』
と言った。
『先生、嘘だぁ~い』
と私は言った。
『何を言うだ、君・・マッカーサー元帥に対して失礼だ』
と先生から怒られました。
私は、その晩の夕食は
『ご飯いらない・・』
と母に言った。
マッカーサーがあんなかっこうだ、と今更言われても、
あのマントはどおしてくれるんだょ、と
涙をためました・・。