私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の身であるが、
民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、私は今年の9月の誕生日を迎え古希と称される70歳となり、
70代を歩き始めたひとりである。
そして家内も今年の12月の誕生日を迎えると65歳となり、
私たちは共に高齢者となり、介護保険証を受ける身となっている。

☆ 掲載した今回のすべての写真は、我が家の周辺の遊歩道、小公園の11月下旬の情景である ☆
私は定年後の年金生活を10年間り60代を過ごしてきたが、
私たち夫婦は幸いにも、お互いに大病で入院することもなく、
歯がお互いに老化して、歯科医院で幾たびか治療を受けてきたぐらいであり、
私の長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
数多くの60代の人たちは、お孫さんのこと、或いはご自身の衰えと病気の話題が何かとが多く、
そして70代はご自身の葬儀、死について思案することが多くなる、と私は知人とか総合月刊誌などから、
学んだりしてきた・・。

私は定年後の年金生活を始めて、平素の買物の専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。
家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
このような私たち夫婦でも、命果てるまでの残された歳月は、もとより天上の神々の采配によるが、
この先いつまでも慎(つつ)ましながらも、年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、
やがて体力が衰えて介護の身になるか、或いはどちらがいずれ片割れになる・・。
こうした思いをときおり思案したりする時もあり、
厚生労働省の調査によれば、要介護認定を受け始める平均年齢は75歳、
認知症の高齢者でグループホームを利用している人の半数が85歳以上だ、と公表されている。
具体的には、多くの場合75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
このように学んできた私は、これからの70代の日々の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた。
健康寿命と称される心身ともに自立し健康的に生活できる期間を保った後に、
悩ましい介護・要か大病などを得て、平均寿命まで長い困苦する時期が、数多くの方が体験されている。
最近の厚生労働省から、あくまで平均であるが、下記のように公表されている。
男性・・健康寿命(70。42歳)・・・平均寿命(79。55歳)・・・この間の期間(9。13歳)
女性・・健康寿命(73。62歳)・・・平均寿命(86.30歳)・・・この間の期間(12。68歳)
そして、この悩ましい期間はそれぞれの方は、どのように過ごされるか、
中には稀に心身ともに自立し、溌剌と長寿をされる方もいる。
こうした中で、今の私が平素何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。
痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。

過ぎし日の3年前の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
そして、いつものように木のベンチに私は座り、少し休息をした・・。
この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。
この遊歩道で、独りで歩き、桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍(きんしゅう)の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、といった状況を願ったりしたのである。

或いはいつの日にか身体の変調を感じて、自宅で数日寝ていて悪化する中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。
このように70代か80代のいつの日にか、私は末期となると思われるが、
こうしたこの世とお別れをすることは、もとより天上の神々の采配に寄ることである。
そして私の念願は、果たして・・どのようになるか、漠然と年に数回は思い馳せたりする時もある。
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民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に築後36年を迎える古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、私は今年の9月の誕生日を迎え古希と称される70歳となり、
70代を歩き始めたひとりである。
そして家内も今年の12月の誕生日を迎えると65歳となり、
私たちは共に高齢者となり、介護保険証を受ける身となっている。

☆ 掲載した今回のすべての写真は、我が家の周辺の遊歩道、小公園の11月下旬の情景である ☆
私は定年後の年金生活を10年間り60代を過ごしてきたが、
私たち夫婦は幸いにも、お互いに大病で入院することもなく、
歯がお互いに老化して、歯科医院で幾たびか治療を受けてきたぐらいであり、
私の長き人生に於いては、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。
数多くの60代の人たちは、お孫さんのこと、或いはご自身の衰えと病気の話題が何かとが多く、
そして70代はご自身の葬儀、死について思案することが多くなる、と私は知人とか総合月刊誌などから、
学んだりしてきた・・。

私は定年後の年金生活を始めて、平素の買物の専任者となった私は、
家内の依頼された品物を買い求めに、殆ど毎日スーパー、専門店に買い物に行ったりしている・・。
家内は日頃の多くは、私のことを、
『あなた・・』
と呼ぶことが多いが、ときには、たわむれで
『XXクン・・』
と苗字で呼ぶこともある。
しかしながら年金生活を始めてまもない頃、私が買物の購入品などで間違えたりすると、
『ボケチィンねぇ』
と家内は笑いながら、私に言った。
この日以降、私が何かで日常生活で失敗した時、
『ボケチィンねぇ・・』とか、ある時は『ダメオ(駄目夫)クンねぇ・・』
と家内は微苦笑しながら、私に言ったりしている。
このような私たち夫婦でも、命果てるまでの残された歳月は、もとより天上の神々の采配によるが、
この先いつまでも慎(つつ)ましながらも、年金生活の楽しい生活が続くわけでなく、
やがて体力が衰えて介護の身になるか、或いはどちらがいずれ片割れになる・・。

こうした思いをときおり思案したりする時もあり、
厚生労働省の調査によれば、要介護認定を受け始める平均年齢は75歳、
認知症の高齢者でグループホームを利用している人の半数が85歳以上だ、と公表されている。
具体的には、多くの場合75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
このように学んできた私は、これからの70代の日々の年金生活は、どのように過ごせるか、
と思案したりしてきた。
健康寿命と称される心身ともに自立し健康的に生活できる期間を保った後に、
悩ましい介護・要か大病などを得て、平均寿命まで長い困苦する時期が、数多くの方が体験されている。
最近の厚生労働省から、あくまで平均であるが、下記のように公表されている。
男性・・健康寿命(70。42歳)・・・平均寿命(79。55歳)・・・この間の期間(9。13歳)
女性・・健康寿命(73。62歳)・・・平均寿命(86.30歳)・・・この間の期間(12。68歳)
そして、この悩ましい期間はそれぞれの方は、どのように過ごされるか、
中には稀に心身ともに自立し、溌剌と長寿をされる方もいる。
こうした中で、今の私が平素何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。
痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。
このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。

過ぎし日の3年前の晩秋ある日、私の自宅の近くの川沿いの遊歩道を歩いていた時、
この遊歩道は片側が帯状に小公園となり700メートル前後あり、
樹木、草花が四季それぞれに彩(いろ)っている場所で、私の散策の好きなひとつのコースでもある。
そして、いつものように木のベンチに私は座り、少し休息をした・・。
この時に、どうした思いか解らないが、いつの日にか命が果てる時は、
晩秋の午前のやわらかな陽射しの中、ポックリと死を迎えられたら本望である、と脳裏をかすめたりした。
この遊歩道で、独りで歩き、桜(サクラ)、モミジ、ドウタン躑躅(ツツジ)等の朱色を誉(ほ)めたり、
白梅、公孫樹(イチョウ)、コナラ等の黄葉の彩(いろど)る錦繍(きんしゅう)の中、
木漏れ陽を受け、ときおり舞い散る葉を眺め、
好きな本を抱(かか)えて、突然に命が果てる、といった状況を願ったりしたのである。

或いはいつの日にか身体の変調を感じて、自宅で数日寝ていて悪化する中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。
やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。
このように70代か80代のいつの日にか、私は末期となると思われるが、
こうしたこの世とお別れをすることは、もとより天上の神々の采配に寄ることである。
そして私の念願は、果たして・・どのようになるか、漠然と年に数回は思い馳せたりする時もある。
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