夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第七回 ふたたび『後生掛温泉』の館内は

2014-10-25 13:17:49 | 
       第七章 ふたたび『後生掛温泉』の館内は

私たち夫婦は19日の日中のひととき、久々に快晴に恵まれて中、
『玉川温泉』に往還して、宿泊している『後生掛温泉』に帰還したのは午後3時過ぎであった。

そして私は館内の大浴場に行こうか、と思ったりしたが躊躇した。

この後生掛の大浴場のある処は、湯・泥・蒸気で多彩な形で享受でき、
日本の各地から温泉愛好家が訪れ、或いは『湯治の後生掛』と称されて、長逗留される湯客も多いと知られ、
数多くの方が入浴していた。

そして『馬で来て 下駄で帰る 後生掛』と古来から多くの人たちから、効用抜群の名湯と知られ、
立ち寄り湯をされる方も多く、いつも賑わったりしている。

私は昨日の午後2時過ぎに、『温泉保養館』と称せられる浴室に入り、
代表的な『大浴場』の湯に心も身にゆだねて満喫した後、
気泡ゆたかな『火山風呂』、そして打たせ湯にマッサージ効果があるよねぇ、と微笑んだりした。

そして木箱から顔だけ出して、温泉の蒸気で温まる『箱蒸し風呂』は確か5つあったが、
入ってしばらくすると、どっと汗をかいた後は爽快感が満たされるとし、
名物になり、5人が心よさそうに入って満員であった。

やむえなく私は翌日の朝の6時過ぎに、好評の『箱蒸し風呂』に挑戦した。
やがて1分過ぎた頃、全身は汗ばんだりしたが、
私はサウナ風呂などは苦手であったので、蒸気には無念ながら相性が悪く、出てしまった。

よして『大浴場』に入り、やはり温泉は湯船に身をあずける方が、心地よい、
と心の中で呟(つぶや)いた・・。


こうしたささやかな体験があった私は、私たちのように宿泊している人たち、或いは長逗留される湯客、
そして立ち寄り湯の人たちで、『温泉保養館』は賑わっていると思われ、躊躇していたのである。

こうしていた時、私たちの指定された2階の部屋であったが、
各部屋が並ぶ通路の外れに宿泊者専用風呂を見かけ、私は向かった・・。

そして広い休憩室が左右に並び、下方の階段を下りると、浴室になっていた。

やがて静寂の中、たった独りだけの入浴となり、身も心もあずけて、
ひとり静かかょ、と心満たされたりした・・。

その後、広い休憩室に戻り、心地よい微風を受けたり、窓辺から朱紅色、黄色に染められた情景を
眺めたりした。
       

そして俳句の素養のない私でも、一句を呟(つぶや)いたりした。

   いろはもみじ 後生掛の地 充たされて

       


やがて夕食時に、いつものようにビールを私たちは呑んで食事を頂いていたが、
家内は利き酒のセットをメニューから見つけて、頂(いただ)いたら、と私を誘惑した。

そして3種類の地酒を私は呑んだりしたが、この中の高価な大吟醸よりも、
過ぎし年の20年ばかり純米酒の辛口を愛飲してきた私は、
この中のひとつの純米酒が心身あっている、このような意味合いの言葉を家内に言ったりし、
お互いに微笑んだりした。

やがて私たちは部屋に戻りと、
『この近くに大沼の遊歩道があると知ったが・・明日、旅の最後として・・散策しない?』
と私は家内に言ったりして、同意を得たりした。
                               
                                     ≪つづく≫
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錦繍の八幡平の周辺、遊学記 第六回 『玉川温泉』往還記

2014-10-25 07:39:50 | 
         第六章 『玉川温泉』往還記

私たち夫婦は『後生掛温泉』に18日、19日連泊している間に、
路線バスを利用すれば30分ほど近い距離にある『玉川温泉』を訪れてみよう、と旅立つ前から予定していた。

私は20年前の頃に、務めていた会社の同僚の祝いで、近くに通りかかり、
同行の人たちと共に入浴したりしてきたが、家内は未知の地であったのて、
19日の日中のひととき、『後生掛温泉』より『玉川温泉』を往還することとした。

19日の早朝、『後生掛温泉』の部屋の窓辺から外を眺めると、久々に陽射しが見られ、
『天は我らを味方せり・・』
と何かと単細胞の私は微笑みながら、家内に言ったりした。
       

やがて私たちは10時過ぎに、宿泊している『後生掛温泉』を出て、
バス停のある場所までゆっくりと散策した。

そしてバス停の近くで付近の情景を私は撮ったりした。
       

やがてバスに乗ると、車窓から山なみが朱紅色、黄色に染められる錦繍(きんしゅう)の情景となり、
山粧(やまよそお)う景観に圧倒的に魅了させられた。
そして走るバスの道の周辺は、ブナ林となり、所々にヤマウルシが見られ、黄色と朱紅色のバッチワークのような情景となり、
『夢・・街道たよねぇ・・』
と私は家内に小声で言ったりした。
       


まもなくして『玉川温泉』前にバスは到着して、たわむれに記念にと思いながら、私は撮ったりした。
       

付近は私たちと同様な数多くの観光客でにぎわい、湯治されている方も多く、
やはり全国の温泉地の中で、突出した所である。

もとより『玉川温泉』は、江戸時代の1680年に発見されて以来、それぞれの効能の高い強酸性の湯で、
数多くの湯治客が訪れて信愛させられている。

http://www.tamagawa-onsen.jp/
☆【玉川温泉】公式ホームページ ☆

やがて家内が初めて入浴体験を終えた後、私たちは『玉川自然研究路』を散策した。
濛々(もうもう)と湯けむりを上げる地もあったりしたが、研究路は歩きやすかった。
              

しかしながら熱湯を噴出する源泉の奥に広がる地獄谷の周辺は、岩盤浴が病状の回復を促すと信愛されて、
浴衣などに着替えて、毛布にくるまって、岩盤に身を横たえている方もいるので、
私は周辺の風景だけを撮るように専念した。
       

       

         
そしてブナ林の原生林に囲まれた『玉川温泉』は、病(やまい)で訪れて岩盤に身を横たえている方を思うと、
ある一面哀しいほど美しい景観で、尊厳の所に私は思えた。
       

やがて私たちは2時間半ばかり滞在して、この地に別れを告げた。
       


私たちは路線バスに乗り、『後生掛温泉』に向けて車窓から、
山なみが朱紅色、黄色に染められる錦繍(きんしゅう)の情景を眺めながら、
やがて帰還したのは午後3時過ぎであった。
                              
                                     ≪つづく≫
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