最終章 旅の終りは『大沼遊歩道』
私は過ぎし9月下旬に古希(こき)と称される満70歳となり、
家内は12月下旬に高齢者入門の65歳となり、お互いに介護保険を有する夫婦となったので、
ささやかながら記念旅行をしょう、と今回の旅路となった。
そして6泊7日の今回の旅も20日に最終日となり、
『後生掛温泉』から『玉川温泉』方面に向けて、わずか500メートル前後に『大沼遊歩道』があるので、
歩いて往還しょう、と前夜に私たち夫婦は話し合ったりした。
最終日の20日は曇り空となり、朝食後に私が持参してきた大きな旅行バックは宅配便で自宅に手配した間に、
家内は当館の売店で、秋田県産の数多くの漬物、お菓子などを買い求めたりした。
やがて8時半過ぎに当館を出て、路線バスも走るアスピートラインの路を下りながら、
朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を眺めながら、私たちは歩いたりした・・。

やがて『大沼遊歩道』の標識案内板が見えたりした。

そしてこの表示に従い、歩き始めると葦(あし)の群生の中、歩きやすい木道を歩いたりした。

そして晩秋の時節にふさわしく朱紅色に染めら樹木に、私は素敵な情景だょ、
と心の中で呟(つぶや)いながら歩いたりした。

やがて湖水が見え、遥か対岸は朱紅色、黄色に染められた錦繍の情景となっていた。


この後、10分ぐらい歩くと、風景は一変した・・。

私は家内が20メートル先を歩いていたが、こうして私たち夫婦は何年先まで、
行きたい旅を続けられるか、と漠然と思い馳せたりした・・。
世の中の多くの人は70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。
このように学んできた私は、健康寿命と称される心身ともに自立し健康的に生活できる期間は、
果たして・・と思い深めたりした。
もとより健康寿命は自助努力は大切であるが、こればかり天上の神々の采配に寄ることだから・・
と思い重ねたりした・・。

こうした情景を眺めると、やがて落葉して、冬枯れの情景、そして翌年の遅い春先に芽吹きの季節、
やがてたわわな若葉・・このように思ったりしたが、せんなきことかしら、と微苦笑したりした。

このような『大沼遊歩道』をゆっくりと一時間ぐらいで周遊した後、宿泊していた『後生掛温泉』に帰還し、
預かって頂いた家内が持ち続けてきた旅行バック、買い物した紙袋を受け取り、
ロビーの片隅で路線バスの時間を調整したりした。
そしてロビーの一面には、高価そうな横幅の大きな額の扁額(へんがく)には、
『一期一会』と雄渾に毛筆で描かれ、私は見上げて見たりした・・。

私は見たりしながら、今回の旅路でも各宿泊所のロビー、食事処などで、私たちと同様な旅をしているご夫婦と談笑を重ねたり、
館内のフロントの方、仲居さん、売店のスタッフさんなどと、ささやかな談笑をしたりしてきた。
或いは八幡平の山頂付近の遊歩道で、登山ベテランの容姿のご夫妻から、アドバイスを頂いたりした・・。
こうした偶然のめぐり逢いを思い重ねたりすると、一期一会、確かにそうですよねぇ、
と何かと鈍(にぶ)い私ても、深く同意したりした。
やがて私たち夫婦は『後生掛温泉』を辞して、さわやかなスタッフに御礼を言いながら、別れを告げた。
その後は後生掛温泉のバス停から午前11時20分過ぎの路線バスに乗り、
そして八幡平の頂上のバス停で乗り換えて、
やがて松尾歴史民俗資料館の前でも乗り換え、盛岡駅前に到着した。
そして東北新幹線で帰京し、我が家に帰宅したのは午後7時半過ぎであった。
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私は過ぎし9月下旬に古希(こき)と称される満70歳となり、
家内は12月下旬に高齢者入門の65歳となり、お互いに介護保険を有する夫婦となったので、
ささやかながら記念旅行をしょう、と今回の旅路となった。
そして6泊7日の今回の旅も20日に最終日となり、
『後生掛温泉』から『玉川温泉』方面に向けて、わずか500メートル前後に『大沼遊歩道』があるので、
歩いて往還しょう、と前夜に私たち夫婦は話し合ったりした。
最終日の20日は曇り空となり、朝食後に私が持参してきた大きな旅行バックは宅配便で自宅に手配した間に、
家内は当館の売店で、秋田県産の数多くの漬物、お菓子などを買い求めたりした。
やがて8時半過ぎに当館を出て、路線バスも走るアスピートラインの路を下りながら、
朱紅色、黄色に染められた錦繍(きんしゅう)の情景を眺めながら、私たちは歩いたりした・・。


やがて『大沼遊歩道』の標識案内板が見えたりした。

そしてこの表示に従い、歩き始めると葦(あし)の群生の中、歩きやすい木道を歩いたりした。

そして晩秋の時節にふさわしく朱紅色に染めら樹木に、私は素敵な情景だょ、
と心の中で呟(つぶや)いながら歩いたりした。

やがて湖水が見え、遥か対岸は朱紅色、黄色に染められた錦繍の情景となっていた。


この後、10分ぐらい歩くと、風景は一変した・・。

私は家内が20メートル先を歩いていたが、こうして私たち夫婦は何年先まで、
行きたい旅を続けられるか、と漠然と思い馳せたりした・・。
世の中の多くの人は70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、
と専門家の人から数多く発言されている。
このように学んできた私は、健康寿命と称される心身ともに自立し健康的に生活できる期間は、
果たして・・と思い深めたりした。
もとより健康寿命は自助努力は大切であるが、こればかり天上の神々の采配に寄ることだから・・
と思い重ねたりした・・。

こうした情景を眺めると、やがて落葉して、冬枯れの情景、そして翌年の遅い春先に芽吹きの季節、
やがてたわわな若葉・・このように思ったりしたが、せんなきことかしら、と微苦笑したりした。

このような『大沼遊歩道』をゆっくりと一時間ぐらいで周遊した後、宿泊していた『後生掛温泉』に帰還し、
預かって頂いた家内が持ち続けてきた旅行バック、買い物した紙袋を受け取り、
ロビーの片隅で路線バスの時間を調整したりした。
そしてロビーの一面には、高価そうな横幅の大きな額の扁額(へんがく)には、
『一期一会』と雄渾に毛筆で描かれ、私は見上げて見たりした・・。

私は見たりしながら、今回の旅路でも各宿泊所のロビー、食事処などで、私たちと同様な旅をしているご夫婦と談笑を重ねたり、
館内のフロントの方、仲居さん、売店のスタッフさんなどと、ささやかな談笑をしたりしてきた。
或いは八幡平の山頂付近の遊歩道で、登山ベテランの容姿のご夫妻から、アドバイスを頂いたりした・・。
こうした偶然のめぐり逢いを思い重ねたりすると、一期一会、確かにそうですよねぇ、
と何かと鈍(にぶ)い私ても、深く同意したりした。
やがて私たち夫婦は『後生掛温泉』を辞して、さわやかなスタッフに御礼を言いながら、別れを告げた。
その後は後生掛温泉のバス停から午前11時20分過ぎの路線バスに乗り、
そして八幡平の頂上のバス停で乗り換えて、
やがて松尾歴史民俗資料館の前でも乗り換え、盛岡駅前に到着した。
そして東北新幹線で帰京し、我が家に帰宅したのは午後7時半過ぎであった。
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