2週間前の頃、写真愛好家の専門雑誌の『アサヒカメラ』が、
2020年7月号を最終巻として、廃刊となったことを週刊誌の見出しで知ったりした。
2020年7月号を最終巻として、廃刊となったことを週刊誌の見出しで知ったりした。
何かしら、カメラが進化し、誰でも写真を撮れるようになったいま、
「いい写真」を撮るために構図が重要な要素のひとつである、
と記載されていた・・。
そして写真家の方々のアドバイスとして、
語学学習で「多聴多読」が推奨されるのと同じように、
写真も、たくさんいい作品を見て、たくさん撮ることこそが、
遠回りに見えても上達の近道だ、明記されていた・・。
語学学習で「多聴多読」が推奨されるのと同じように、
写真も、たくさんいい作品を見て、たくさん撮ることこそが、
遠回りに見えても上達の近道だ、明記されていた・・。
私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして私より5歳若い家内と共に、古ぼけた一軒屋に住み、ささやかに過ごしている。
こうした中、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、困窮するので、
私は独りで外出して、 自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、
季節のうつろいを享受している。
こうした時は、殆どコンバクト・デジカメをネクタイのように首回りから下げて、
颯爽と歩き、 歩いている中で瞬時に魅了された情景を、
一期一会ねぇ、と思いながら撮ったりしている。
過ぎし2004(平成16年)年の秋に定年退職する一か月前、
家内から定年退職の記念品として、何か買い求めたら、と私は言われたりした。
私は若き1960年〈昭和35年〉の春に、都心の私立の高校に入学して、
クラブとしては写真部に所属し、人を写すポートレートは照れ臭いので、 風景画に専念し、
現像などを含めて、ニコン、キャノン、アサヒベンタックスなどのフィルム一眼レフのカメラから、
写しだされる奥行、深さも少しは学んだりした。
その後のサラリーマン時代の多忙の時代は、フィルムのコンバクト・カメラで、
ともすれば忘れるので、記憶のメモ代わりに撮ったりしてきた。
そして定年後は、やむなく年金生活を予定していた私としては、
一眼レフのカメラだと、 レンズの買い増しなどの購入などでエスカレートすると費用も際限なくなるので、
やむなく断念し、 この当時としては高質とされていた800画素でズームレンズのあるカメラ一体型で、
程ほどの良質なキャノン、ニコン、ソニー、コニカミノルタから選定することとした。
結果として、手ブレ補正の搭載されている随一の商品で、
総合教養雑誌の『サライ』でも賞賛されていたコニカミノルタの『DIMAGE A2』とした。
そしてデジカメ本体に、カメラ・ケース、充電器、リチウムイオン電池の予備、
記憶媒体はCF(コンパクト・フラッシュ)であるので、512MBを購入し、確かこの当時30万円を超えた。
このデジカメは、ズームが35mmフィルム換算で28~200mmであり、
周遊観光などに参加した場合は、ゆったりと撮影する時間が少ないので、
画質さえ800画素以上要求しなければ、一眼レフのレンズ交換を考慮すると、
確かに私のデジカメは構図が素早く決められ、機動力がある、と秘かに思ったりしていた。
この後もデジタルカメラの進化は、周知のとおり日進月歩となり、
技巧も乏しい私でも、新たなカメラに魅了されて、ニコンの『クールピクス P510』を買い求めた後、
現在は三代目のパナソニックの『LUMIX(ルミックス)DMC-FZ1000』となっている。
こうした中で、年金生活の午前中のひとときは、殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲を散策していると、
季節の移ろいに魅了され、一期一会かしらと思いながら、情景を撮ったりしてきた。
或いは家内と共通趣味の国内旅行を幾たびも重ねる中、
その地の情景に圧倒的に魅せられて、撮ったりしてきた。
こうした中で、恥ずかしながら私は、齢を重ねるたびに忘れることもあり、
やむなく記憶のかたみ、として撮り続けてきた・・。
そして過ぎ去った日々の写真を見たりすると、あんな情景があったのか、と愛惜を重ねたりしている。
何よりも驚いたのは、10年前の65歳だった私の表情が若く、 こればかりは・・と独り微苦笑をしたりしてきた。
私は民間会社のある会社で35年近く奮戦し、
2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、 多々の理由で年金生活を始めたが、
平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、
季節のうつろう情景を眺めたり、 歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、
原則として路線バスに頼らず、 ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
そして70代の5年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、 ときおり願いながら歩いたりしている。
こうした中、我が家の近くに野川が流れていて、両岸は遊歩道があり、
私は年金生活の身であり、 散策として殆ど毎日のように歩いたりして、
季節のうつろいを享受して、ときおり情景を撮ったりしてきた。
このようなデジカメの技巧も知らず、拙(つたな)い感性を頼りに撮ったりしているが、
私のその時の心の軌跡の記録でもあり、ともすれば見た情景を忘れることもあり、
記憶のかたみであり、もとより自己満足の世界の写真となったりしている。
或いはブログの投稿文に於いて、 乏しい筆力を補(おぎ)いながら、
カット代わりに写真を掲載したりしている。
こうした私の写真なので、何年たっても進歩のない写真だ、と微苦笑したりしている。
家内から定年退職の記念品として、何か買い求めたら、と私は言われたりした。
私は若き1960年〈昭和35年〉の春に、都心の私立の高校に入学して、
クラブとしては写真部に所属し、人を写すポートレートは照れ臭いので、 風景画に専念し、
現像などを含めて、ニコン、キャノン、アサヒベンタックスなどのフィルム一眼レフのカメラから、
写しだされる奥行、深さも少しは学んだりした。
その後のサラリーマン時代の多忙の時代は、フィルムのコンバクト・カメラで、
ともすれば忘れるので、記憶のメモ代わりに撮ったりしてきた。
そして定年後は、やむなく年金生活を予定していた私としては、
一眼レフのカメラだと、 レンズの買い増しなどの購入などでエスカレートすると費用も際限なくなるので、
やむなく断念し、 この当時としては高質とされていた800画素でズームレンズのあるカメラ一体型で、
程ほどの良質なキャノン、ニコン、ソニー、コニカミノルタから選定することとした。
結果として、手ブレ補正の搭載されている随一の商品で、
総合教養雑誌の『サライ』でも賞賛されていたコニカミノルタの『DIMAGE A2』とした。
そしてデジカメ本体に、カメラ・ケース、充電器、リチウムイオン電池の予備、
記憶媒体はCF(コンパクト・フラッシュ)であるので、512MBを購入し、確かこの当時30万円を超えた。
このデジカメは、ズームが35mmフィルム換算で28~200mmであり、
周遊観光などに参加した場合は、ゆったりと撮影する時間が少ないので、
画質さえ800画素以上要求しなければ、一眼レフのレンズ交換を考慮すると、
確かに私のデジカメは構図が素早く決められ、機動力がある、と秘かに思ったりしていた。
この後もデジタルカメラの進化は、周知のとおり日進月歩となり、
技巧も乏しい私でも、新たなカメラに魅了されて、ニコンの『クールピクス P510』を買い求めた後、
現在は三代目のパナソニックの『LUMIX(ルミックス)DMC-FZ1000』となっている。
こうした中で、年金生活の午前中のひとときは、殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲を散策していると、
季節の移ろいに魅了され、一期一会かしらと思いながら、情景を撮ったりしてきた。
或いは家内と共通趣味の国内旅行を幾たびも重ねる中、
その地の情景に圧倒的に魅せられて、撮ったりしてきた。
こうした中で、恥ずかしながら私は、齢を重ねるたびに忘れることもあり、
やむなく記憶のかたみ、として撮り続けてきた・・。
そして過ぎ去った日々の写真を見たりすると、あんな情景があったのか、と愛惜を重ねたりしている。
何よりも驚いたのは、10年前の65歳だった私の表情が若く、 こればかりは・・と独り微苦笑をしたりしてきた。
私は民間会社のある会社で35年近く奮戦し、
2004年(平成16年)の秋、定年退職となり、 多々の理由で年金生活を始めたが、
平素の買物ぐらいと思い立ち、私は自主的に買物の担当となったりした。
そして家内から依頼された品を求めて、私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、
或いは最寄駅まで歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。
最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、
季節のうつろう情景を眺めたり、 歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、
原則として路線バスに頼らず、 ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。
そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
そして70代の5年生して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、 ときおり願いながら歩いたりしている。
こうした中、我が家の近くに野川が流れていて、両岸は遊歩道があり、
私は年金生活の身であり、 散策として殆ど毎日のように歩いたりして、
季節のうつろいを享受して、ときおり情景を撮ったりしてきた。
このようなデジカメの技巧も知らず、拙(つたな)い感性を頼りに撮ったりしているが、
私のその時の心の軌跡の記録でもあり、ともすれば見た情景を忘れることもあり、
記憶のかたみであり、もとより自己満足の世界の写真となったりしている。
或いはブログの投稿文に於いて、 乏しい筆力を補(おぎ)いながら、
カット代わりに写真を掲載したりしている。
こうした私の写真なので、何年たっても進歩のない写真だ、と微苦笑したりしている。