夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

10年ひと昔・・年金生活の我が家でも変貌して、微苦笑を重ねて・・。

2022-08-24 13:21:08 | 喜寿の頃からの思い
先程、体力の衰えを実感している私は、
ぼんやり『10年ひと昔』と称せられる10年前の頃、
どのような心情ですごしていたか・・思い馳せたりした・・。

私は日常の心情など記載したブログの投稿文を、
原則として毎日綴ってる。

そして10年前の頃、2012年8月24日に於いて、
『年金生活の我が家、『三種の神器』は何かしら、思い浮かべれば・・。』
と題して投稿していたので、読み返したりした・・。



《・・私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
 私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。

そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨夜、講談社・編集の『暮らしの年表 流行語』を開いていた時、
 たまたま『三種の神器』という事項を読んだりし、
何事も好奇心旺盛の私は、ネットで調べたりした。

《《・・1950年代後半、神武景気の頃、豊かさやあこがれの象徴として
「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が、「三種の神器」と呼ばれた。

高度成長期となった1960年代半ばには、
「3C」(カラーテレビ・クーラー・カー〈自家用車〉)がこれに代わった。

平成の今、デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型大型テレビのデジタル家電が
「新・三種の神器」と呼ばれている。

家事労働の軽減から余暇の充実へと、あこがれの質の変化が製品を通してうかがえる。
・・》
このように『知恵蔵』2012年版で、
多摩美術大学教授・武正秀治さんが解説されていた。

もとより『三種の神器』は、恐れ多くも日本の歴代天皇が継承してきた鏡・剣・玉のことであるが、
数多くの国民が熱望してきた商品を
どなたかが大衆の『三種の神器』と命名されて今日に至っている思われる。

ぼんやりと私は我が家にとっては、『三種の神器』は何かしら、と思い浮かべたりした。



『カー〈自家用車〉』
若き独身時代の時、生家の自動車を盛んに運転をし、ドライブをしていたが、
その後に結婚したり、定年前の30年間はペーパー・ドライバーとなり、
定年退職後は自動車をを購入して、ゆったりとドライブするのも、ひとつの楽しみと思ったりした。

しかし、無念ながら齢を重ね感覚が衰えているので、自身の過ちで事故を起こした場合のことや、
何より人様に対して人身事故で傷つかせたりした場合を考慮すると、
単なる保険の支払いで済まなくなるので、自制し、
退職後まもない更新時に免許書を破棄することにした。

このように我が家は自動車も所有できず、私は根がケチにせいか、路線バスにも乗らず、
平素は我が家の周辺数キロの範囲をひたすら歩いたりしている。

そして冠婚葬祭、国内旅行、緊急の用事などで、タクシーを利用したりしているが、
昨年も月平均は、福沢諭吉さんのお札を超えることなく今日に至っている。



『携帯電話』
私は携帯電話に興味がなく、今日まで至っているが、
数年前の頃から、私たち夫婦のどちらかが、ボケる前には、
迷子のように、私はどこにいる・・と確認できるGPS機能の携帯電話が必要と思ったりしている。

新聞に添付されるチラシの一部に、携帯電話の各社の広告が入っているので、
ときおり私たち夫婦は見たり、ときには販売店でお互いに戸惑いながら見たりしている。

そしてここ数年、スマートフォン(多機能携帯電話)が急速に普及してきているが
我が家は、世の中の時流から取り残されていると微苦笑しているのが、昨今である。



このように無念ながら我が家は、『三種の神器』にも無縁なのかしら、と落胆していたが、
しばらくすると私は微笑んだのである。

『電気冷蔵庫』
我が家は結婚して36年目となっているが、電気冷蔵庫は三代目となっている。

確か10年前頃に買い改めた冷蔵庫は、上部から冷蔵庫、野菜室、製氷室とパーシャル、冷凍室に、
大きく分かれている。

この中の冷蔵庫の下部は加工食品、肉や魚などのファインフレッシュルームとなっているが、
この左横には、自動製氷のプラスチックの専用ケースがあり、
この専用ケースに水道水を入れておけば、
やがて適度な大きさの氷が、コトリと優しい音を立てながら、下段にある製氷室に山積みとなる・・。

何よりも昼下がり、夜のしじまの静寂の時などに、居間に私がいても、
台所の冷蔵庫から10メートル離れていても、コトリと音色が聴こえ、賢明に働いている自動製氷機能に、
過ぎし現役時代のサラリーマンだった私の奮闘した状況に思いを重ねて、微笑んだりしている。

この時節、私は冷茶とアイスコーヒーを愛飲しているが、
アイスコーヒーに、この新たなる氷を五つばかり入れて、飲んだりしている。

或いは、ときにはウィスキーに氷を入れただけのオンザロックを吞む時、
この氷を入れて、過ぎし日に愛惜を重ねて、吞んだりする。



乾燥機能付きの『洗濯機』
過ぎし2010(平成22)年の1月初旬に、我が家としては通常の洗濯機を二度ばかり買い改めてきたが、
無念ながら故障して、乾燥機能付きの『洗濯機』に新調した。

家内は原則として洗濯物は日々完遂するタイプであり、
洗濯の干し竿に吊るして陽射しの下で乾燥させているが、冬の陽射しの乏しい時、
梅雨の時節もあり、こうした時はガスファンヒーターの暖気で補足してきた。

私は家内に20年前の頃から、喉に良くないから、乾燥機を購入するように進めてきたが、
たまたま洗濯機を新調する機会に、乾燥機能付きとしたのである。

この乾燥機能付きの『洗濯機』は、いじらしい程、健気(けなげ)に乾燥機能が働き、
私は思わず微笑んだりすることが多い。



『エアコン』
我が家は居間と寝室にエアコンを設置しているが、原則として冷房機能として利用している。
寒い時節は、我が家はガスファンヒーターを活用している。

我が家は、6月の梅雨入りの前の頃から秋のお彼岸の頃まで、
簾〈すだれ〉を各部屋に掛けているのが、ここ10数年の習〈なら〉わしとなっている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸があるが、この季節はカーテンを外して簾〈すだれ〉とし、
和室も同様に、雨戸、網戸、障子となっているが、簾〈すだれ〉を掛けたりしている。

そして居間を中心に、和室、洋室、茶室、玄関、洗面所、トイレの窓際まで、
簾〈すだれ〉を付けている。

朝涼(あさすず)が残る朝の9時が過ぎる頃まで、
網戸と簾(すだれ)にして、庭越しの風を通したりしている。

その後、家内は室内の掃除が終えて、居間のエアコンが静かに作動し、冷気になっているのが、
私が年金生活を始めて以来の習性となっている。

そして私は午前中に買い物、散策を終えた後、居間で過ごしたりすることが多い。
随筆、ノンフィクション、小説、近現代史、総合月刊雑誌などの読んだりしている。
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を居間で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

この映画などを鑑賞するテレビにしても、昨年の夏頃にアナグロテレビ放送は廃止と知り、
やむなく昨年の5月に、デジタル対応の薄型テレビの51インチ、
ブルーディスクの500キガの録画機を買い求めたりした。

そして冷気の中で、ときたま簡易ベットを敷いて昼寝をしたりしている。



このような我が家の『三種の神器』を思い馳せたりしたが、
数多くのご家庭からは、このようなことは時代遅れで『三種の神器』じゃないわょ、
と言われそうでもあり、やむなく私は苦笑を重ねたりしている。・・》》

このような投稿文に、10年ひと昔・・って、
我が家は余り変わらないなよなぁ・・と微苦笑したりした。

この後の私はパソコン、デジカメを買い改めたり、
家内は確か8年前の頃、携帯電話を遅ればせながら購入し、
やがて今年の春にスマホとなったりしてきた。

あとは乾燥機能付きの『洗濯機』を買い改めたりした。

このように我が家は、余り変わらないなぁ・・と微苦笑したりした・・。



この後、私たち夫婦は、お互いに心も身も、大いに変貌してきたこと思い馳せ、
齢を重ねれば・・時として変貌するよなぁ・・と微苦笑をしたりした。

私たち夫婦は、過ぎし2018年までの年金生活14年間は、
幸運にも大病に遭遇せずにきたりした。

しかしながら2019年は予告もなく私は、

新年そうそうの1月3日の夜10時過ぎ、 心臓の左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
やむなく救急車で循環器専門の『榊原記念病院』に搬送されたりした。

やがて『胸膜炎』(急性冠症候群)と病状とされ、

 しばらく経過観察したく・・ と入院が余儀なくされて、
結果的に8泊9日の入院となったりした。

更に3月の初めの頃、私は突然に左眼だけが酷い白内障になったように視力が激変し、
結果的には4月2日より、眼科医院に6泊7日して左眼の 硝子体手術を受けたりした・・。



             

この間、私が3月は左眼の検査で忙しくしている時、 家内が体調を崩して内科を検診した後、
まもなく膵臓(すいぞう)に異変があることが推定された。

やがて私の住む地域の大きな総合医療センターで、 3回ばかり通院して、
専門医師のアドバイスされる中、初期の膵臓(すいぞう)がんです、と診断されたりした。

そして4月17日より2泊3日で、家内は検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。 


                     
もとより、この間は、最悪の場合を想定することもあったりして、
私たち夫婦は激しく揺れ動いたりした・・。





このように私は新年早々から、入院生活を2回も体験し、
 家内は結婚以来、初めての入院生活を過ごすこととなり、
お互いに病院に通う日々が多くなり、微苦笑を重ねあったりした。

そして家内の退院後の定期検査のたびに、転移されていないか、
私たち夫婦は、心の底におびえ、何とか今日まで、

幸運な神様か仏様に支えられて過ごしたりしている・・。

こうした中、私は亡き母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。





私はあと2年少しで、生かされていれば満80歳となるが、
何とか健康寿命で迎えたい、秘かに念願している・・。

もとより私の自助努力は大切であるが、
私の友人、知人の多くが、この世を去った今、
こればかりは仏様か神様が采配して下さる世界・・と思い深めたりしている。

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