私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
昨夜、夕食の前のひととき、家内とテレビのニュースを視聴していた時、
北関東地方にある館林市の郊外で、城沼(じょうぬま)があり、
蓮の花の咲く時期に『花ハスまつり』の一環として、花ハス遊覧船が運行されている美景が放送され、
『私たちも行ったわねぇ・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。
私は38年前の結婚する前から、蓮(ハス)の花はこの世に稀(まれ)な花である、
と家内に常々話していた。
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そして過ぎし2007〈平成19〉年の夏、
『貴方の好きな蓮(ハス)の花・・遊覧船で観られるみたい・・』と家内は言いながら、
私たち夫婦は家内の母を誘い、この城沼(じょうぬま)の地を訪れた。
旅立つ前に市の観光の告知で、城沼(じょうぬま)のほとりに建つ公共の宿の『つづじが岡パークインホテル』を知り、
私たちは3泊4日を予約して、8月7日より初めて館林市を訪れた。
そして宿泊地の庭先の遊歩道に沿(そ)った桜の枝葉の並木越しに、
岸辺の葦(あし)の群生に寄り添い、そして沼の中央部まで蓮の葉で覆(おお)われて、
その中から数多くの花が観られた。
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こうした中で、薄紅色、紅色、純白色の彩(いろど)りがあり、
そして莟(つぼみ)、3分咲き、7分咲き、満開もあり、
既に花が終え、蜂の巣のような形になった実もあり、私は長らく見惚(みと)れた。
そして隣接したつつじが岡公園を散策したり、
城沼(じょうぬま)の蓮(ハス)の咲く中を遊覧船に乗船したりして、数多くの彩(いろど)る蓮(ハス)の花を見たり、
宿泊地の庭園の多彩な蓮(ハス)の花の色あいを、私は早朝、夕暮れのひととき鑑賞したりした。
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私は1944〈昭和19〉年の秋、東京の郊外で農家の三男坊として生を受け、
私が地元の小学校に入学した1951〈昭和26〉年の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして宅地の周辺に竹林、雑木林を維持管理していた。
こうした中で、田んぼのある一面に湧水があり、そして小川に流れ、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。
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父、祖父が病死される私が小学生の前半までは、毎年この時節は幼いなりに甘受していた。
7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、祖父か父が6本前後採ってきた・・。
私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、陽射しを受けると、
キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、幼児なりに魅了されて楽しんでいた・・。
そして泥だらけの中で、
どうしてあんなに白い花が咲くの、と子供心に不思議に思ったりした。
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お盆の時、仏壇の前に畳一帖ぐらい台を設置し、
位牌の前に、盆棚を置いて、野菜、果物を供えたりしている。
外れに茄子(ナス)や胡瓜(キュウリ)に割り箸で足を付けて、馬や牛にみたてたりしている。
そして台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮(ハス)の葉を浮べ、
淡いピンクのミソ萩を小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
或いは台の左右に、この時節の草花を飾り、この中の中核は蓮(ハス)の花となっていた。
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夏休みが終わった頃、蓮(ハス)の田んぼに行くと、
花が終り、可愛い蜂の巣のような実となっていた。
数週間過ぎた頃、この実を採り、
少し剥(むく)とどんぐりのような形した白い実が出てきて、
食べたりした後、少し甘い香りが残った・・。
やがて蓮(ハス)の葉が枯れる頃になると、
祖父、父が泥だらけの地中から大きくふくらんだ蓮根を取り出し、
青果市場に父は出荷した後の残りが、生家の食卓を彩(いろど)った。
私は蓮(ハス)と呼んでいたが、
後年になると、レンコン、と世間の多くの人が言ったりしているので、
戸惑いを覚えたりしている。
このような想いでがあるので、
公園などで淡い紅色した華やかな大賀蓮(オオガハス)観かけた時とか、
名所と知られているある寺の観せる美麗な蓮(ハス)は、
あれは単なる鑑賞専用の蓮(ハス)であって、私が愛惜を秘めている蓮(ハス)じゃない、
と幼児の思いに還ったりしている。
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定年退職した2004〈平成16〉年の翌年の夏、
ある書物で、黒羽山の大雄寺の高僧が、蓮のことについて、綴られているのを知った。
《・・
泥中に生じ汚れなく、幽香を漂わせる蓮(ハス)の花は、
清浄、柔軟、可憐から、他の植物にはない特徴があることから、
仏教の象徴的な意味を持つものとなっている。
泥の中で成長し根を張り、清楚な美しい花を見せる。
そして、普通の花は、まず花が咲いてから実をつけるものだが、
蓮は花をつけると同時に実を中に詰めたつつみが出てくる。
このことから蓮は、過去・現在・未来を同時に体現しているとされている。
・・》
こうようなことを綴られていた。
私は宗教に関しては興味はなく無知であるが、
泥の中から茎を出し、純白な花びらを見せてくれるのに、圧倒的な思いで魅了されている・・。
私なりに年金生活の身過ぎ世過ぎの中、日常生活を身勝手に過ごしているが、
改めてこうした純白の花を眺めると、
何かしらこれまでの私の卑屈と劣等感の多かった人生の歩みを浄化してくれる随一の花と思っている。
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このように私なりに深い思いを秘めているが、
私の住む周辺は1955(昭和30)年の初めに頃になると、
田畑、雑木林は急速に消え、もとより蓮(ハス)の水田も消え去り、やがて住宅街に変貌した・・。
私は家内と共に国内の旅行をした時、
旅先で偶然に、水田にある蓮(ハス)の花を見かけたりすると、
しばらくのあいだ見惚(みと)れながら、まぶたが熱くなってしまうことが多いのである。
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昨夜、夕食の前のひととき、家内とテレビのニュースを視聴していた時、
北関東地方にある館林市の郊外で、城沼(じょうぬま)があり、
蓮の花の咲く時期に『花ハスまつり』の一環として、花ハス遊覧船が運行されている美景が放送され、
『私たちも行ったわねぇ・・』
と家内は私に微笑みながら言ったりした。
私は38年前の結婚する前から、蓮(ハス)の花はこの世に稀(まれ)な花である、
と家内に常々話していた。
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そして過ぎし2007〈平成19〉年の夏、
『貴方の好きな蓮(ハス)の花・・遊覧船で観られるみたい・・』と家内は言いながら、
私たち夫婦は家内の母を誘い、この城沼(じょうぬま)の地を訪れた。
旅立つ前に市の観光の告知で、城沼(じょうぬま)のほとりに建つ公共の宿の『つづじが岡パークインホテル』を知り、
私たちは3泊4日を予約して、8月7日より初めて館林市を訪れた。
そして宿泊地の庭先の遊歩道に沿(そ)った桜の枝葉の並木越しに、
岸辺の葦(あし)の群生に寄り添い、そして沼の中央部まで蓮の葉で覆(おお)われて、
その中から数多くの花が観られた。
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こうした中で、薄紅色、紅色、純白色の彩(いろど)りがあり、
そして莟(つぼみ)、3分咲き、7分咲き、満開もあり、
既に花が終え、蜂の巣のような形になった実もあり、私は長らく見惚(みと)れた。
そして隣接したつつじが岡公園を散策したり、
城沼(じょうぬま)の蓮(ハス)の咲く中を遊覧船に乗船したりして、数多くの彩(いろど)る蓮(ハス)の花を見たり、
宿泊地の庭園の多彩な蓮(ハス)の花の色あいを、私は早朝、夕暮れのひととき鑑賞したりした。
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私は1944〈昭和19〉年の秋、東京の郊外で農家の三男坊として生を受け、
私が地元の小学校に入学した1951〈昭和26〉年の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして宅地の周辺に竹林、雑木林を維持管理していた。
こうした中で、田んぼのある一面に湧水があり、そして小川に流れ、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。
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父、祖父が病死される私が小学生の前半までは、毎年この時節は幼いなりに甘受していた。
7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、祖父か父が6本前後採ってきた・・。
私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、陽射しを受けると、
キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、幼児なりに魅了されて楽しんでいた・・。
そして泥だらけの中で、
どうしてあんなに白い花が咲くの、と子供心に不思議に思ったりした。
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お盆の時、仏壇の前に畳一帖ぐらい台を設置し、
位牌の前に、盆棚を置いて、野菜、果物を供えたりしている。
外れに茄子(ナス)や胡瓜(キュウリ)に割り箸で足を付けて、馬や牛にみたてたりしている。
そして台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮(ハス)の葉を浮べ、
淡いピンクのミソ萩を小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
或いは台の左右に、この時節の草花を飾り、この中の中核は蓮(ハス)の花となっていた。
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夏休みが終わった頃、蓮(ハス)の田んぼに行くと、
花が終り、可愛い蜂の巣のような実となっていた。
数週間過ぎた頃、この実を採り、
少し剥(むく)とどんぐりのような形した白い実が出てきて、
食べたりした後、少し甘い香りが残った・・。
やがて蓮(ハス)の葉が枯れる頃になると、
祖父、父が泥だらけの地中から大きくふくらんだ蓮根を取り出し、
青果市場に父は出荷した後の残りが、生家の食卓を彩(いろど)った。
私は蓮(ハス)と呼んでいたが、
後年になると、レンコン、と世間の多くの人が言ったりしているので、
戸惑いを覚えたりしている。
このような想いでがあるので、
公園などで淡い紅色した華やかな大賀蓮(オオガハス)観かけた時とか、
名所と知られているある寺の観せる美麗な蓮(ハス)は、
あれは単なる鑑賞専用の蓮(ハス)であって、私が愛惜を秘めている蓮(ハス)じゃない、
と幼児の思いに還ったりしている。
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定年退職した2004〈平成16〉年の翌年の夏、
ある書物で、黒羽山の大雄寺の高僧が、蓮のことについて、綴られているのを知った。
《・・
泥中に生じ汚れなく、幽香を漂わせる蓮(ハス)の花は、
清浄、柔軟、可憐から、他の植物にはない特徴があることから、
仏教の象徴的な意味を持つものとなっている。
泥の中で成長し根を張り、清楚な美しい花を見せる。
そして、普通の花は、まず花が咲いてから実をつけるものだが、
蓮は花をつけると同時に実を中に詰めたつつみが出てくる。
このことから蓮は、過去・現在・未来を同時に体現しているとされている。
・・》
こうようなことを綴られていた。
私は宗教に関しては興味はなく無知であるが、
泥の中から茎を出し、純白な花びらを見せてくれるのに、圧倒的な思いで魅了されている・・。
私なりに年金生活の身過ぎ世過ぎの中、日常生活を身勝手に過ごしているが、
改めてこうした純白の花を眺めると、
何かしらこれまでの私の卑屈と劣等感の多かった人生の歩みを浄化してくれる随一の花と思っている。
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このように私なりに深い思いを秘めているが、
私の住む周辺は1955(昭和30)年の初めに頃になると、
田畑、雑木林は急速に消え、もとより蓮(ハス)の水田も消え去り、やがて住宅街に変貌した・・。
私は家内と共に国内の旅行をした時、
旅先で偶然に、水田にある蓮(ハス)の花を見かけたりすると、
しばらくのあいだ見惚(みと)れながら、まぶたが熱くなってしまうことが多いのである。
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