今朝、きまぐれな進路を取る台風10号の影響で、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む私は、
雨が降ったり止んだり、ときおり風が吹いたりしているので、午前中の買物、散策を中止したりした。
こうした午前中、ぼんやりとカレンダーを見ると、八月も明日で終わり、
九月のカレンダーを見たりすると9月1日は『防災の日』と明記されていた。
もとより『防災の日』は、《 「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、
広く国民が台風高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する」こととし、
毎年9月1日を中心として「防災思想の普及、功労者の表彰、防災訓練等これにふさわしい行事」が実施される 》
と『防災の日』の創設時の1960年(昭和35年)に公報されている。
私は生家に近いこの地域に住み、結婚前後の5年間を除き、早や67年近く過ごしている。
そして雑木の多い小庭の中で、古惚けた築後38年の一軒屋に、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
我が家は防災に関しては、恥ずかしながら確固たる対策をしていない。
ただ、漠然と思いながら、東京湾からは40キロ以上離れた地域であるので、津波からは対象外だし、
豪雨による付近の野川の洪水による床下浸水も、高台の住宅街であるので、心配はしていない。
しかし地震については、どのような対策をとったら、と思案したりしてきた・・。
こうした地震については、私たち夫婦が考え始めたのは、
過ぎし年の2011年3月11日の観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、大津波が発生して壊滅的な大惨事となった時からであった。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の諸国まで注視された。
そして、私さえも恐れていた周辺の一時避難、その上に農作物、畜産、水産、農地、牧草地、森林、
水の汚染などに影響をもたらした。
こうした中で、私はテレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに身体はもとより心まで震(ふる)えた・・。
この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。
そして特に、行方不明となられた方のせめてご遺体だけは、ご遺族のお手元に、と思ったりしてきた。
この時の東日本大震災の時の我が家は、
古惚けた家の為か、大きく揺れ、こんなことあっていいの、と震度5度ぐらい、その後の直後の余震に、
私たち夫婦は居間で立ちすくんでいた。
そして本棚から10数冊の本が床に落ちたぐらいであったが、
我が家は防災に不備なことに気付かされた・・。
懐中電灯が2つばかりあるだけで、予備電池がないことも解かったりした。
そしてペットボトルの2リットルの煎茶が6本あるだけであった。
この後、改めて調布市から市民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。
我が家から7分ぐらい歩けば、NTTの研修センターがある。
この場所が、私の住む地域の避難所と公表されている。
そして我が家は、そのうちに電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオを購入しょう、
と話し合い、買い求めたりした。
その後、旅行用の肩掛け、或いは斜め掛けでもできるバックを居間の片隅に置いてある。
この当時、何かしら新聞で、たとえ避難所に行けたとしても、
緊急救援食料は3日間を過ぎた後と知り、私たち夫婦は3日間は自助努力で対処しなければならない、
と学んだりした。
こうした緊急時に、いざ避難所に行く時に、最低限に持って行こう、と互いに決めている。
私が25年前の頃に買い求めた軽く廉(やす)いナイロン製のバックで、
押し入れの中で休眠していたのを、取りだし、再活用とした。
この中身は、電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオ〈電池対応、可〉、
懐中電灯、電池、タオルを4枚、スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒用として)4枚、
板チョコレートを4枚、食事代わりのラスク6袋、ペットボトル500mlが2本、
百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円とした。
そして私のメガネの予備、タバコ、脇サイドには『調布市防災マップ』が入っているだけである。
無念ながら携帯電話は私たちは互いに使えないので、この程度ぐらいと思っている。
あとは、非常食として、乾パンぐらいは、購入しておかなければ、
と思いながらも、実行していないのが我が家の現状である。
このように過ごしてきた間に、この後の2012年1月22日に於いて、
『マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生する』という試算を、
東京大学地震研究所の研究チームがまとめられて、公表された。
私はこの公表された内容を新聞などで知り、
優(すぐ)れた英知結晶である東京大地震研究所のグループの方たちの予測を真剣に受け止めた。
しかしながら、巨大地震が発生しても、その時はその時に対処すればよく、
何よりも肝要の平素の日常生活をたんたんと過ごし、残された人生を過ごせれば、
よいと私たち夫婦は思っている。
この後は、ホームセンターに私たち夫婦は買物に行った時、
防災コナーに寄ったりして、色々とした用具を見たりしてきたが、
そのうちに買い求めようか、と私は家内に言ったりして、結果として今日に至っている。
そして避難所に行く時のバックは、夫婦それぞれのバックとしたり、
私は白内障の手術をした結果、メガネが不要となり、避難バックからメガネを抜き取ったり、
家内が携帯電話を購入したり、食物を年に一度ぐらい、新たな品に代えたりしてきた程度であった。
先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ていたら、
【 100円ショップで備える命を守る20品 】
と題された記事にめぐり合い、どのような品なの・・と思いながら私は記事を精読した。
この記事は、『週刊朝日』に2015年1月23日号に掲載された記事のひとつであり、
【dot.(ドット)】に2015年1月16日配信され、無断ながら転載させて頂く。
《・・100円ショップの商品でもOK。生存率を高める防災グッズ
100円ショップの商品の中から、
都市防災学の専門家の明治大学危機管理研究センター・中林一樹特任教授に監修してもらい、
生存率を高める防災グッズ20を紹介しよう。
「東日本大震災では、発生から3~4日間、被害の大きな被災地に、水、食料などが配給されませんでした。
被災後3日間を生き延び、その後の1週間は自立して生きていけることをイメージしてください」(中林氏)
県や市町村などの自治体には、防災用の備蓄品が保管されているが、
車の台数が足りなかったり、道路が壊れていたりして、運べないことがある。
「非常食は、乾パン、氷砂糖のような賞味期限の長いものだけではなく、
ポテトチップスのように、カロリーが高くて塩分多めのものも、
災害の時にはかえってエネルギー源になって良い。
チョコレートやクッキーなどもいいでしょう」
LEDライトだけだと、暗闇を歩くのにはいいが、明るいだけで熱が出ない。
「非常用ローソク」があると、お湯を沸かせたり、暖もとれる。
災害時に困るのはトイレ。
「携帯用ミニトイレ」があれば、個室さえ確保すれば済む。
ライターも必要品の一つ。
昔は喫煙者が大勢いたが、最近はめっきり減っているだけに、ライターを持っている人自体が少ない。
中林氏は「まずは地震の最初の一撃で、死なないことだ」という。
普段から「耐震マット」で家具を固定し、「窓ガラス保護シート」で、ガラスが飛散しないようにしておきたい。
非常用の袋はあるものの、押し入れの奥で埃をかぶっているという家庭も多いのでは?
「袋には、おいしい食料品を入れておいて、毎日食べて、また買ってくればいい。
長期保存というよりも、いつもフレッシュな状態にしておくことのほうが大切です」
100円グッズで命拾いできたらありがたい。
■被災後72時間をサポートする10品
【1】ペチャンコ水筒1.2リットル
【2】氷砂糖
【3】携帯用ミニトイレ
【4】5LEDライト
【5】USBチャージャー
【6】ホイッスル
【7】アルミ温熱シート
【8】携帯用救急セット
【9】スモークシャットアウト
【10】防犯アラーム
■自宅や避難所での生活を確保する10品
【1】非常用給水バッグ
【2】非常用持ち出し袋
【3】非常用ローソク
【4】燃料炭
【5】ポンチョ
【6】使い捨てパンツ
【7】アルコール分含有の除菌ウェットティッシュ
【8】折りたたみ携帯マット
【9】窓ガラス保護シート
【10】耐震マット
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
今回の記事に於いて、特に『被災後72時間をサポートする10品』、『自宅や避難所での生活を確保する10品』、
私は読みながら多々の品を真摯に教示された。
そしてこんなに多い品を買い求めて、果たして避難する時は・・と高齢者の体力の衰えた私は、思い馳せたりした。
或いは時代遅れの私は、『5LEDライト 』、『USBチャージャー』、『スモークシャットアウト』などは、
無知であり、どのような品なの、と思ったりした。
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雨が降ったり止んだり、ときおり風が吹いたりしているので、午前中の買物、散策を中止したりした。
こうした午前中、ぼんやりとカレンダーを見ると、八月も明日で終わり、
九月のカレンダーを見たりすると9月1日は『防災の日』と明記されていた。
もとより『防災の日』は、《 「政府、地方公共団体等関係諸機関をはじめ、
広く国民が台風高潮、津波、地震等の災害についての認識を深め、これに対処する心構えを準備する」こととし、
毎年9月1日を中心として「防災思想の普及、功労者の表彰、防災訓練等これにふさわしい行事」が実施される 》
と『防災の日』の創設時の1960年(昭和35年)に公報されている。
私は生家に近いこの地域に住み、結婚前後の5年間を除き、早や67年近く過ごしている。
そして雑木の多い小庭の中で、古惚けた築後38年の一軒屋に、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
我が家は防災に関しては、恥ずかしながら確固たる対策をしていない。
ただ、漠然と思いながら、東京湾からは40キロ以上離れた地域であるので、津波からは対象外だし、
豪雨による付近の野川の洪水による床下浸水も、高台の住宅街であるので、心配はしていない。
しかし地震については、どのような対策をとったら、と思案したりしてきた・・。
こうした地震については、私たち夫婦が考え始めたのは、
過ぎし年の2011年3月11日の観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
岩手県、宮城県、福島県などの太平洋の沿岸に、大津波が発生して壊滅的な大惨事となった時からであった。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、主要国の諸国まで注視された。
そして、私さえも恐れていた周辺の一時避難、その上に農作物、畜産、水産、農地、牧草地、森林、
水の汚染などに影響をもたらした。
こうした中で、私はテレビでNHKニュースを視聴したり、
新聞、ネットでニュースを読み、各地域で甚大な災害に、知るたびに身体はもとより心まで震(ふる)えた・・。
この間、大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしてきた。
そして特に、行方不明となられた方のせめてご遺体だけは、ご遺族のお手元に、と思ったりしてきた。
この時の東日本大震災の時の我が家は、
古惚けた家の為か、大きく揺れ、こんなことあっていいの、と震度5度ぐらい、その後の直後の余震に、
私たち夫婦は居間で立ちすくんでいた。
そして本棚から10数冊の本が床に落ちたぐらいであったが、
我が家は防災に不備なことに気付かされた・・。
懐中電灯が2つばかりあるだけで、予備電池がないことも解かったりした。
そしてペットボトルの2リットルの煎茶が6本あるだけであった。
この後、改めて調布市から市民に配布された『調布市防災マップ』を見たりし、
この中の注意事項、連絡表の記載事項を互いに確認したり、
家内と共に買物に行った帰路に、指定された避難所の場所を近くを通り、確かめしたりした。
我が家から7分ぐらい歩けば、NTTの研修センターがある。
この場所が、私の住む地域の避難所と公表されている。
そして我が家は、そのうちに電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオを購入しょう、
と話し合い、買い求めたりした。
その後、旅行用の肩掛け、或いは斜め掛けでもできるバックを居間の片隅に置いてある。
この当時、何かしら新聞で、たとえ避難所に行けたとしても、
緊急救援食料は3日間を過ぎた後と知り、私たち夫婦は3日間は自助努力で対処しなければならない、
と学んだりした。
こうした緊急時に、いざ避難所に行く時に、最低限に持って行こう、と互いに決めている。
私が25年前の頃に買い求めた軽く廉(やす)いナイロン製のバックで、
押し入れの中で休眠していたのを、取りだし、再活用とした。
この中身は、電池不要の手回しで電源が発生する軽い携帯ラジオ〈電池対応、可〉、
懐中電灯、電池、タオルを4枚、スーパーで売っている大きなゴミ袋(シート或いは身体に巻き防寒用として)4枚、
板チョコレートを4枚、食事代わりのラスク6袋、ペットボトル500mlが2本、
百円玉を中核として10円玉も少しで、3000円とした。
そして私のメガネの予備、タバコ、脇サイドには『調布市防災マップ』が入っているだけである。
無念ながら携帯電話は私たちは互いに使えないので、この程度ぐらいと思っている。
あとは、非常食として、乾パンぐらいは、購入しておかなければ、
と思いながらも、実行していないのが我が家の現状である。
このように過ごしてきた間に、この後の2012年1月22日に於いて、
『マグニチュード(M)7級の首都直下地震が今後4年以内に約70%の確率で発生する』という試算を、
東京大学地震研究所の研究チームがまとめられて、公表された。
私はこの公表された内容を新聞などで知り、
優(すぐ)れた英知結晶である東京大地震研究所のグループの方たちの予測を真剣に受け止めた。
しかしながら、巨大地震が発生しても、その時はその時に対処すればよく、
何よりも肝要の平素の日常生活をたんたんと過ごし、残された人生を過ごせれば、
よいと私たち夫婦は思っている。
この後は、ホームセンターに私たち夫婦は買物に行った時、
防災コナーに寄ったりして、色々とした用具を見たりしてきたが、
そのうちに買い求めようか、と私は家内に言ったりして、結果として今日に至っている。
そして避難所に行く時のバックは、夫婦それぞれのバックとしたり、
私は白内障の手術をした結果、メガネが不要となり、避難バックからメガネを抜き取ったり、
家内が携帯電話を購入したり、食物を年に一度ぐらい、新たな品に代えたりしてきた程度であった。
先程、ときおり愛読している朝日新聞社系の基幹サイト【dot.(ドット)】を見ていたら、
【 100円ショップで備える命を守る20品 】
と題された記事にめぐり合い、どのような品なの・・と思いながら私は記事を精読した。
この記事は、『週刊朝日』に2015年1月23日号に掲載された記事のひとつであり、
【dot.(ドット)】に2015年1月16日配信され、無断ながら転載させて頂く。
《・・100円ショップの商品でもOK。生存率を高める防災グッズ
100円ショップの商品の中から、
都市防災学の専門家の明治大学危機管理研究センター・中林一樹特任教授に監修してもらい、
生存率を高める防災グッズ20を紹介しよう。
「東日本大震災では、発生から3~4日間、被害の大きな被災地に、水、食料などが配給されませんでした。
被災後3日間を生き延び、その後の1週間は自立して生きていけることをイメージしてください」(中林氏)
県や市町村などの自治体には、防災用の備蓄品が保管されているが、
車の台数が足りなかったり、道路が壊れていたりして、運べないことがある。
「非常食は、乾パン、氷砂糖のような賞味期限の長いものだけではなく、
ポテトチップスのように、カロリーが高くて塩分多めのものも、
災害の時にはかえってエネルギー源になって良い。
チョコレートやクッキーなどもいいでしょう」
LEDライトだけだと、暗闇を歩くのにはいいが、明るいだけで熱が出ない。
「非常用ローソク」があると、お湯を沸かせたり、暖もとれる。
災害時に困るのはトイレ。
「携帯用ミニトイレ」があれば、個室さえ確保すれば済む。
ライターも必要品の一つ。
昔は喫煙者が大勢いたが、最近はめっきり減っているだけに、ライターを持っている人自体が少ない。
中林氏は「まずは地震の最初の一撃で、死なないことだ」という。
普段から「耐震マット」で家具を固定し、「窓ガラス保護シート」で、ガラスが飛散しないようにしておきたい。
非常用の袋はあるものの、押し入れの奥で埃をかぶっているという家庭も多いのでは?
「袋には、おいしい食料品を入れておいて、毎日食べて、また買ってくればいい。
長期保存というよりも、いつもフレッシュな状態にしておくことのほうが大切です」
100円グッズで命拾いできたらありがたい。
■被災後72時間をサポートする10品
【1】ペチャンコ水筒1.2リットル
【2】氷砂糖
【3】携帯用ミニトイレ
【4】5LEDライト
【5】USBチャージャー
【6】ホイッスル
【7】アルミ温熱シート
【8】携帯用救急セット
【9】スモークシャットアウト
【10】防犯アラーム
■自宅や避難所での生活を確保する10品
【1】非常用給水バッグ
【2】非常用持ち出し袋
【3】非常用ローソク
【4】燃料炭
【5】ポンチョ
【6】使い捨てパンツ
【7】アルコール分含有の除菌ウェットティッシュ
【8】折りたたみ携帯マット
【9】窓ガラス保護シート
【10】耐震マット
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
今回の記事に於いて、特に『被災後72時間をサポートする10品』、『自宅や避難所での生活を確保する10品』、
私は読みながら多々の品を真摯に教示された。
そしてこんなに多い品を買い求めて、果たして避難する時は・・と高齢者の体力の衰えた私は、思い馳せたりした。
或いは時代遅れの私は、『5LEDライト 』、『USBチャージャー』、『スモークシャットアウト』などは、
無知であり、どのような品なの、と思ったりした。
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