私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
一昨日の朝、購読している読売新聞を読んでいたら、一面の最下段にある各出版会社の広告が掲載されていて、
この中のひとつに思わず読んでしまった。
《 シルバー川柳
社団法人全国有料老人ホーム協会、ポプラ社編集部編 》
と題されて、3句が掲載されていた。
この中の《 誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ 》に微苦笑させられ、
《 恋かなと 思っていたら 不整脈 》この句に瞬時に圧倒的に魅せられて、
私は読んでみたく購入しょう、と決意したりした。
昨日、家内と駅の近く寺院のお墓参りをした後、
駅ビルの中の本屋を訪れて、この『シルバー川柳』(ポプラ社・編集)を探したが、
残念ながら店内在庫はなく落胆した後、やむなく店員さんに取り寄せ依頼をしたりした。
私は無念ながら短歌や俳句を詠む素養はなく、
日本人の古来から愛された『短歌』、『俳句』、『川柳』など人さまが詠めれた句を、
ときおり読むのが好きである。
短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。
俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。
そして川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。
私は民間会社を35年近く勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身であるが、
現役のサラリーマン時代の50代の頃から、
『サラ川』と称せられている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』を愛読してきた。
この間、幾たびかリストラ烈風の中、最後の5年は出向となったりし、
中小業の音楽業界のあるレコード会社に勤めていたので、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。
このようなつたない私の半生であり、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、読みながら励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を4冊を所有している。
そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときには本を開いたりしている。
或いは定年退職時の一年前頃に、『遺言川柳』(編集・UFJ信託銀行、発行・幻冬舎)を購読し、
人それぞれ晩生期の思いに、多々教示されながら微苦笑したりしていた。
このような思いを秘めている私は、今回遅ればせながら、
社団法人全国有料老人ホーム協会が、毎年『敬老の日』に向け公募していることを知り、
今年で第12回を迎えられた、と学んだりした。
こうした数多くの公募作品の中から、傑作川柳の88本の句が、今回の本として上梓されたと知り、
確かにシルバーの諸兄諸姉は、確かに身体は衰えても心は元気溌剌と思い、
私も高齢者の身であるので、ぜひ読んで見たくなったのである。
尚、余談ながらここ数年、『ツイッター』が世界の多くに愛用されているが、
何かしら『つぶやく』ことの多い伝波の最新機器と私は思ったりしている。
私は無念ながら使うことが出来ない身であるが、
日本に於いては、これこそが日本人の古来から愛された『短歌』、『俳句』、『川柳』などに最適だ、
と確信を深めているひとりである。
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一昨日の朝、購読している読売新聞を読んでいたら、一面の最下段にある各出版会社の広告が掲載されていて、
この中のひとつに思わず読んでしまった。
《 シルバー川柳
社団法人全国有料老人ホーム協会、ポプラ社編集部編 》
と題されて、3句が掲載されていた。
この中の《 誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ 》に微苦笑させられ、
《 恋かなと 思っていたら 不整脈 》この句に瞬時に圧倒的に魅せられて、
私は読んでみたく購入しょう、と決意したりした。
昨日、家内と駅の近く寺院のお墓参りをした後、
駅ビルの中の本屋を訪れて、この『シルバー川柳』(ポプラ社・編集)を探したが、
残念ながら店内在庫はなく落胆した後、やむなく店員さんに取り寄せ依頼をしたりした。
私は無念ながら短歌や俳句を詠む素養はなく、
日本人の古来から愛された『短歌』、『俳句』、『川柳』など人さまが詠めれた句を、
ときおり読むのが好きである。
短歌は、もとより五・七・五・七・七の三十一〔みそひと〕文字の世界であり、
万葉の時代から日本の人々に愛されてきた叙情詩であり、
この内容も恋の歌・日常生活の描写・社会問題・子供の成長・物語や幻想まで、
どんなテーマでも自在である、と受け継がれている。
俳句は、五・七・五の三句十七音から成る定型詩であり、
「季語」さえ含めば、内容も自在であり、江戸時代から多くの方に愛されてきている。
そして川柳は、五・七・五の十七音の定型で、
ユーモアに富んだ言葉使い、或いは世の中を風刺した作風で、
江戸時代に発生し、明治時代の頃から、多くの方たち慕われてきた。
私は民間会社を35年近く勤め2004〈平成16〉年の秋に定年退職した身であるが、
現役のサラリーマン時代の50代の頃から、
『サラ川』と称せられている第一生命が主催されている『サラリーマン川柳』を愛読してきた。
この間、幾たびかリストラ烈風の中、最後の5年は出向となったりし、
中小業の音楽業界のあるレコード会社に勤めていたので、
それなりに時代にも翻弄され波乱万丈があり、苦楽の激しいサラリーマンの時代でもあった。
このようなつたない私の半生であり、
何かと『サラリーマン川柳』が好きで、読みながら励まされたり、人生の哀歓を感じたりし、
『サラ川 傑作選』の本を4冊を所有している。
そして私は『サラ川』は、この人生の日常生活の優れた哲学書のひとつと思い、
限りなく人生の哀歓と確信し、ときには本を開いたりしている。
或いは定年退職時の一年前頃に、『遺言川柳』(編集・UFJ信託銀行、発行・幻冬舎)を購読し、
人それぞれ晩生期の思いに、多々教示されながら微苦笑したりしていた。
このような思いを秘めている私は、今回遅ればせながら、
社団法人全国有料老人ホーム協会が、毎年『敬老の日』に向け公募していることを知り、
今年で第12回を迎えられた、と学んだりした。
こうした数多くの公募作品の中から、傑作川柳の88本の句が、今回の本として上梓されたと知り、
確かにシルバーの諸兄諸姉は、確かに身体は衰えても心は元気溌剌と思い、
私も高齢者の身であるので、ぜひ読んで見たくなったのである。
尚、余談ながらここ数年、『ツイッター』が世界の多くに愛用されているが、
何かしら『つぶやく』ことの多い伝波の最新機器と私は思ったりしている。
私は無念ながら使うことが出来ない身であるが、
日本に於いては、これこそが日本人の古来から愛された『短歌』、『俳句』、『川柳』などに最適だ、
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私は今深夜テレビアニメで放映されている「うた恋い」という百人一首を現代語訳して解りやすく当時の世相や歌にこめられた貴族の儚い恋物語にはまって漫画も買いました。
子供の頃は百人一首など坊主めくりしかしたことはなかったし歌の意味など興味もなかったのですが、このアニメをたまたまみるようになって短い歌の中に秘められた想いや恋のスタイルに共感や切なさを思いながら楽しんでいます。
私はまだ俳句や短歌をたしなむことはできませんが残しておきたい記憶を日記として記録させることにしました。
1000年後、誰にも見られることなく消滅してることとは思いますが、自分が80歳くらいになって外出することができなくなって、過去を思い出すくらいしか楽しみがなくなったときのために、読み返して笑えたらいいなと。。
ほんの5年前の出来事もすでにうすぼんやり霧がかかるような始末です。
読み返すとその時の情景が一瞬で思い出されるようなそんな日記にしてゆきたいです。
夢逢人さんも素敵な短歌をたくさん綴ってくださいね。
麗(うるわ)しき若き貴女様のお便り、嬉しく読ませて頂きました♪
>私は今深夜テレビアニメで放映されている「うた恋い」という百人一首を現代語訳して解りやすく
>当時の世相や歌にこめられた貴族の儚い恋物語にはまって漫画も買いました。
>子供の頃は百人一首など坊主めくりしかしたことはなかったし歌の意味など興味もなかったのですが、
>このアニメをたまたまみるようになって短い歌の中に秘められた想いや恋のスタイルに共感や切なさを思いながら楽しんでいます。
私も高校時代に『古文』の授業になじめず、
20代になって、ときおり独学で学んだりしていますが、
文学部国文科を学んだ友人との会話で、やはり独学ですと、ほころびを感じることが多々あり、
苦笑したりしています。
しかし古来より伝えられた短歌は、良き文化のひとつと思っていますので、
貴女様もこうした『うた恋い』の機会を大切にして下さい。
>私はまだ俳句や短歌をたしなむことはできませんが残しておきたい記憶を日記として記録させることにしました。
>1000年後、誰にも見られることなく消滅してることとは思いますが、
>自分が80歳くらいになって外出することができなくなって、
>過去を思い出すくらいしか楽しみがなくなったときのために、読み返して笑えたらいいなと。
私もブログを最初に綴ろうとした時、のちの想い、とタイトルを掲げて、
私なりのその時の思い、思索したことを思いました(笑)
>ほんの5年前の出来事もすでにうすぼんやり霧がかかるような始末です。
>読み返すとその時の情景が一瞬で思い出されるようなそんな日記にしてゆきたいです。
過ぎ去る日々を綴ることは良きことと私は確信しています。
これはブログで公開されても、秘かに日記形式で綴っても、
のちに振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしてきたのか、
と愛惜を秘めて感じると思います。
>夢逢人さんも素敵な短歌をたくさん綴ってくださいね。
私は短歌は古文の素養がなく詠めなく、せめて戯(たわむ)れとして、
ときおり俳句、川柳を心の中で呟(つぶや)いたりする時もあります(笑)