私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
今朝、いつものように購読している読売新聞を読み、ある出版社の広告を見て、
この中の一冊の本の紹介に、思わず微笑んだりした。
《 音楽家への礼状形式で綴った音楽評論の傑作。
黒田恭一 音楽への礼状 》
このように明記されていたので、読みたかった本のひとつで、
私は午前中のひととき、急遽、本日の最優先事項として、片道20分ばかり歩き、
駅前の本屋に行き、買い求めたりした。
http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784094087529
☆【小学館ホームページ】<==『文庫』<==《 音楽への礼状著/黒田恭一》☆
私が音楽評論家の黒田恭一(くろだ・きょういち)氏の寄稿文に圧倒的に魅せられたのは、
遅ればせながら教養雑誌のひとつの『サライ』(小学館)を50代の頃から購読して、
この中の定期記事として、『サライCDレビュー 聴く』と題された音楽記事が2ベージで掲載され、
この執筆者が黒田恭一氏であった・・。
クラシック音楽を中核に、ポピュラー、ジャズなどの分野に及び曲の紹介をされていたのであるが、
何よりも、黒田恭一氏の紹介された曲の思いに、深く魅せられたのである。
たとえば、本箱の片隅から、『サライ』の一冊を取りだし、
たまたま『ミッシャー・マイスキー/ヴォカリーズ~ロシアン・ロマンス』を紹介されいる文を引用すれば、
《・・
寒い季節にきく寒い国の音楽はききての心の深いところで呼応する。
木枯らしに吹かれ、肩をすぼめて帰ってきてからきく音楽は、
間違っても、晴れやかにうたわれるナポリ民謡ではない。
暑い夏、ロシア民謡に食指が動くことはない。
音楽は季節で選ばれ、季節が音楽を選ぶ。
チェロ奏者のミッシャ・マイスキーがパーヴェル・ギリロフのピアノに伴われて、
ひたひたとうたっていくのは、いずれも、
ききてを切ない気持ちにさせずにおかないロシアの歌である。
このアルバム『ヴォカリーズ~ロシアン・ロマンス』にじっと耳をすましていると、
こういう寂しげにうつむいた表情の、湿った抒情に彩られた音楽をきくのは、
やはり、この季節だなと思う。
季節に合致した音楽をきいていると、その音楽の好ましさが一層きわだって感じられる。
(略)
・・》
引用元・『サライ』2005年24号(2005/12/15)
尚、原文よりあえて改行を多くした。
私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年に大学を中退して、
映画・文學青年の真似事をしたりしたが、あえなく敗退した。
そして、やむなくサラリーマンに転身し、何とか大企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校に一年ばかりソフトコースの学科を専攻して学び、
この後、知人のご尽力もあり、この当時としては、ある大手の音響・映像メーカーの会社に、
中途入社できたのは1970〈昭和45〉年の春であった。
そして、この頃の私の根底には、ハード製品のテレビ、ステレオ、ラジオなどの事業本部より、
ソフト商品の方が波長に合う、同じ働くなら音楽事業本部の方が何かと創作などにも刺激があると思い、
無理難題を申しあげて、配属された。
私は音楽事業本部の仮正社員となり、ともかく現場を学べと指示されて、工場にある商品部に配属となった。
この当時の音楽事業本部は、レコード市場に於いて、圧倒的な首位の座のメーカーであった。
私は入社早々、商品部の商品センター働き始めた時、
この当時にヒットを重ねている歌い手、曲名も知らず、
君は何も知らないんだねぇ、と職場の方は私の音楽に無知にあきれていた。
私は程ほどに文学、映画には詳しいと秘かに自負していたが、音楽は映画音楽分野ぐらいしか解らず、
多くの音楽の分野は殆ど無知であった。
やむなく私は退社後、自宅の近くのスナックでジュース・ボックスで、
この当時、流行っている流行歌、ポピュラーなどの曲を学んだり、
そして音楽月刊誌のクラシック専門誌の『レコード芸術』を購読した。
数ヶ月した頃、この中のひとつのレーベルがレコード会社と新設され、
私も新たな外資系のレコード会社に転籍の辞令を受けて、
もとよりレコード会社の各社は中小業であり、苦楽の大波、小波をまともに受けたした。
こうした中で、私は管理畑で奮戦する中で、給与を頂くたびに、
レコードのアルバムを少なくとも自社は1枚、他社は2枚程度を買い求めたりし、やがてCD、DVDに変貌したが、
クラシックに関しては、『レコード芸術』を購読して、数多くの曲を学んだりした。
そして選評されるクラシック音楽評論家の寄稿文は、作曲家の解説、演奏家の批評が圧倒的に多く、
私としては、恥ずかしながら音楽の基本も無知で、楽譜も読めなく、楽器も触れない身で、
つたない感性を頼りに聴いたりしていたが、何かしら寄稿文に関し、もの足りなかったのである・・。
こうして25年過ぎた頃、『サライ』(小学館)を購読していると、
『サライCDレビュー 聴く』と題された黒田恭一氏の寄稿文を読んで、
瞬時に魅了され、この後、氏の愛読者のひとりとなった。
ここ5年ぐらいは、映画、音楽の関心が薄れ、
随筆、小説、近代史などの読書を深めている私は、
過ぎし2009〈平成21〉年の5月、黒田恭一氏の病死を新聞で知った。
そして氏の遺(のこ)された本を読みたいなぁ、と私は思いながら今日に至った。
本書は、1990〈平成2〉年1月にマガジンハウスより刊行された同名の単行本を、
一部加筆・改訂して文庫化した、と明記されている。
私は待ち焦がれた黒田恭一氏の『音楽への礼状』、
氏の曲に対して特有な文學的な表現で発露される思いに圧倒的に魅せられながら、読みはじめている。
留意)私は黒田恭一氏に関して、お逢いしたこともない単なる愛読者のひとりで、
出版社の小学館に関しても、もとより親戚、知人に一切無縁であることを付記する。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村
散文 ブログランキングへ
にほんブログ村
今朝、いつものように購読している読売新聞を読み、ある出版社の広告を見て、
この中の一冊の本の紹介に、思わず微笑んだりした。
《 音楽家への礼状形式で綴った音楽評論の傑作。
黒田恭一 音楽への礼状 》
このように明記されていたので、読みたかった本のひとつで、
私は午前中のひととき、急遽、本日の最優先事項として、片道20分ばかり歩き、
駅前の本屋に行き、買い求めたりした。
http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784094087529
☆【小学館ホームページ】<==『文庫』<==《 音楽への礼状著/黒田恭一》☆
私が音楽評論家の黒田恭一(くろだ・きょういち)氏の寄稿文に圧倒的に魅せられたのは、
遅ればせながら教養雑誌のひとつの『サライ』(小学館)を50代の頃から購読して、
この中の定期記事として、『サライCDレビュー 聴く』と題された音楽記事が2ベージで掲載され、
この執筆者が黒田恭一氏であった・・。
クラシック音楽を中核に、ポピュラー、ジャズなどの分野に及び曲の紹介をされていたのであるが、
何よりも、黒田恭一氏の紹介された曲の思いに、深く魅せられたのである。
たとえば、本箱の片隅から、『サライ』の一冊を取りだし、
たまたま『ミッシャー・マイスキー/ヴォカリーズ~ロシアン・ロマンス』を紹介されいる文を引用すれば、
《・・
寒い季節にきく寒い国の音楽はききての心の深いところで呼応する。
木枯らしに吹かれ、肩をすぼめて帰ってきてからきく音楽は、
間違っても、晴れやかにうたわれるナポリ民謡ではない。
暑い夏、ロシア民謡に食指が動くことはない。
音楽は季節で選ばれ、季節が音楽を選ぶ。
チェロ奏者のミッシャ・マイスキーがパーヴェル・ギリロフのピアノに伴われて、
ひたひたとうたっていくのは、いずれも、
ききてを切ない気持ちにさせずにおかないロシアの歌である。
このアルバム『ヴォカリーズ~ロシアン・ロマンス』にじっと耳をすましていると、
こういう寂しげにうつむいた表情の、湿った抒情に彩られた音楽をきくのは、
やはり、この季節だなと思う。
季節に合致した音楽をきいていると、その音楽の好ましさが一層きわだって感じられる。
(略)
・・》
引用元・『サライ』2005年24号(2005/12/15)
尚、原文よりあえて改行を多くした。
私は東京オリンピックが開催された1964〈昭和39〉年に大学を中退して、
映画・文學青年の真似事をしたりしたが、あえなく敗退した。
そして、やむなくサラリーマンに転身し、何とか大企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校に一年ばかりソフトコースの学科を専攻して学び、
この後、知人のご尽力もあり、この当時としては、ある大手の音響・映像メーカーの会社に、
中途入社できたのは1970〈昭和45〉年の春であった。
そして、この頃の私の根底には、ハード製品のテレビ、ステレオ、ラジオなどの事業本部より、
ソフト商品の方が波長に合う、同じ働くなら音楽事業本部の方が何かと創作などにも刺激があると思い、
無理難題を申しあげて、配属された。
私は音楽事業本部の仮正社員となり、ともかく現場を学べと指示されて、工場にある商品部に配属となった。
この当時の音楽事業本部は、レコード市場に於いて、圧倒的な首位の座のメーカーであった。
私は入社早々、商品部の商品センター働き始めた時、
この当時にヒットを重ねている歌い手、曲名も知らず、
君は何も知らないんだねぇ、と職場の方は私の音楽に無知にあきれていた。
私は程ほどに文学、映画には詳しいと秘かに自負していたが、音楽は映画音楽分野ぐらいしか解らず、
多くの音楽の分野は殆ど無知であった。
やむなく私は退社後、自宅の近くのスナックでジュース・ボックスで、
この当時、流行っている流行歌、ポピュラーなどの曲を学んだり、
そして音楽月刊誌のクラシック専門誌の『レコード芸術』を購読した。
数ヶ月した頃、この中のひとつのレーベルがレコード会社と新設され、
私も新たな外資系のレコード会社に転籍の辞令を受けて、
もとよりレコード会社の各社は中小業であり、苦楽の大波、小波をまともに受けたした。
こうした中で、私は管理畑で奮戦する中で、給与を頂くたびに、
レコードのアルバムを少なくとも自社は1枚、他社は2枚程度を買い求めたりし、やがてCD、DVDに変貌したが、
クラシックに関しては、『レコード芸術』を購読して、数多くの曲を学んだりした。
そして選評されるクラシック音楽評論家の寄稿文は、作曲家の解説、演奏家の批評が圧倒的に多く、
私としては、恥ずかしながら音楽の基本も無知で、楽譜も読めなく、楽器も触れない身で、
つたない感性を頼りに聴いたりしていたが、何かしら寄稿文に関し、もの足りなかったのである・・。
こうして25年過ぎた頃、『サライ』(小学館)を購読していると、
『サライCDレビュー 聴く』と題された黒田恭一氏の寄稿文を読んで、
瞬時に魅了され、この後、氏の愛読者のひとりとなった。
ここ5年ぐらいは、映画、音楽の関心が薄れ、
随筆、小説、近代史などの読書を深めている私は、
過ぎし2009〈平成21〉年の5月、黒田恭一氏の病死を新聞で知った。
そして氏の遺(のこ)された本を読みたいなぁ、と私は思いながら今日に至った。
本書は、1990〈平成2〉年1月にマガジンハウスより刊行された同名の単行本を、
一部加筆・改訂して文庫化した、と明記されている。
私は待ち焦がれた黒田恭一氏の『音楽への礼状』、
氏の曲に対して特有な文學的な表現で発露される思いに圧倒的に魅せられながら、読みはじめている。
留意)私は黒田恭一氏に関して、お逢いしたこともない単なる愛読者のひとりで、
出版社の小学館に関しても、もとより親戚、知人に一切無縁であることを付記する。
☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、幸いです♪
にほんブログ村
散文 ブログランキングへ
にほんブログ村