古い映画ではありますがジャック・ニコルソン主演の『カッコーの巣の上で(One Flew Over the Cuckoo's Nest)』は1970年代にアカデミー賞の主要5部門を受賞したすごい映画だったんだぁ…などと今更ながら驚いております。
しかし、映画に関するイメージは、ロボトミー術という今では考えられないような処置(処置が外科的か内科的かというだけで、意欲や性欲を減退させる内科的療法が肯定されるものでもないのでありますが)に驚愕し、何故この映画のタイトルが「カッコーの巣」なのだろうとツマらないことに気を取られて来ました。「the Cuckoo's Nest」= 精神病院の蔑称であることを知り、「One」= ある男が「Fly Over」するというところでようやくタイトルの真意に辿り着く。実に35年ぶりに「頭のモヤモヤ」が晴れたのであります…^^;
モヤモヤは晴れたのでありますが、何故いまさら『カッコーの巣』なのかと言いますと、ツユクサのガクに収まったタネ?が、揺りかごの中で窮屈そうに思えたから…カッコーは『托卵』という他人に子育てを任せることが有名であり「ヨシキリ」の小さな巣の中で、カッコーの幼鳥が窮屈そうに餌をねだる姿が頭に焼き付いていて、連想ゲームのように映画まで辿りついてしまったのであります。(想像力を評価すべきなのか、暇な時間を呪うべきか…)
精神病院における人間としての尊厳はどう護られるべきなのか?とても重厚なテーマなのでありますが、今朝、全国紙の社説を読んでいる内に、農家の尊厳はいかに守られるべきか…などという、これまた重厚なテーマにぶち当たりました。60Kg当たり9,000円の米価で農家は存続できるのか…いやいや、生業(ナリワイ)としての農業と、生産緑地としての農村環境をいかに存続させるのかというふたつの側面を切り分けて、議論すべき時代に突入したのではないだろうかなどと、重いテーマに頭痛が痛い。共存あるいは共生などと言っていた時代が、今や揺りかごが狭い場合は、他を蹴飛ばしても…自分のスペースは確保しなきゃ~などと、重いテーマに空想がまた膨らむのでありました。