今夜はバターを加えてパサつき無し^^;
友人『ノロ社長』のパスタ挑戦3日目…ゆで加減はアルデンテ、ザルに上げバターを絡めたようでパサつきも無し!(少々、塩辛いけれど、分量も良し、着実に腕を上げております^^;)
日本における「パスタ」料理は、幕末の外国人居留地で食べられていたのが始まりで、第二次世界大戦後に連合軍(進駐軍)の糧食から広く知られ、普及したと言われているようであります。『おやじぃ』の年代では、トマトケチャップを和えただけの『ナポリタンもどき』が主流であり、稀に学校給食で『付け合わせ』として出て来たような記憶である。コぺパンにはさんで、「焼きそばパン」ならぬ『スパパン』で食べていた強者も居たような記憶でありますが、一般家庭に「トマトケチャップ」なる調味料が常備されているような生活環境ではなかったから物珍しかった^^;(夏のトマトは嫌いだけれど、トマトケチャップは好きという子どもたちもいたような記憶でありますよ。)日本の「パスタ」料理の『二大巨頭』のひとつである「ミートソース」に出会ったのは学生時代であり、当時は軽喫茶あたりで食べていた記憶であるのだけれど「主食」ではなかった。(何せ、飢えた学生には量が少なかったからなぁ^^;)
「ラーメン店の味(腕)を確かめるならば、最もシンプルな醤油ラーメンを注文し、パスタの味(腕)を確かめるならば、ぺペロンチーノを注文して食べる。」なんてね、少々通ぶって講釈を垂れてみても、濃厚な豚骨ラーメンやクリームソースの前にしては、前言撤回…1990年代以降、多種多様な「パスタ」料理が溢れるようになりましたよ。しかし、仕事にあぶれ『貧乏生活』を余儀なくされている『おやじぃ』たちにとっては、食材費が追い付きませんのでね…自家製のニンニクと唐辛子を使ったシンプルな「ぺペロンチーノ」で我慢する。『ノロ社長』…パスタ料理の腕前は『一線を越えた』ねぇなんて、誉め言葉は欠かさないことにいたしましょう(笑)
自家製「激辛ナンバン」も貴重です^^;
はて?『一線を越える』…ここで言う『一線』とは、「守るべきこと」や「けじめ」の意味であるから、『料理の腕前が一線を越えた。」とするのは誤用のようですわ^^; 「守るべきことを破る。」という意味が、いつの間にやら男女間の関係性に使われるようになったようである。「彼女とは一線を越えておりません。」という不倫報道に対する言い訳が定番になって来たようであります。(『おやじぃ』とは、お付き合いのない方々の発言であるから、全く興味はないのであるけれど…。)では、「守るべき一線」とは何でありましょうや?こちらの方は、明確な『基準』というものがないから、男女間で受け止め方に『違い』があるというアンケート結果が出ているようです。「自分事」の場合はこのライン、「他人事」の場合はあのラインと、受け手側で『一線』を決めているようでありますよ。
はてさて、最近は「一線を画す」とか「関係を断つ」という言葉が『政治屋さん』の決まり文句になったような気がする。好意(思惑)を持って近づいて来る婦女子に『鼻の下』を伸ばしてしまうのは、オジサンたちの性でありましょか?「可哀そうな境遇の彼女の相談に乗っていただけ。」とか「選挙運動を熱心に応援してくれた。」とか、よく聞くオジサンたちの言い訳でありますけれど、こちらの『一線』もまた『基準』が不明確でありますなぁ^^; 『心の呪縛』から解放された方は、その『異常さ』に気付くのでありましょうが、今も信仰を続けている方はどうなんでしょう?『〇×政治連盟』などという、世間では認知?されている宗教系の団体だって、結構、『異常』とも思える家族観や国家観をお持ちのようでありますけれどねぇ…この場合の『一線』とは「献金(お金)」の額だけでしょうかねぇ…。「献金するお金も無いし、献金して欲しいのはコチラの方である。」などと、パスタをすする『おやじぃ』たちでありましたとさ(笑)
#戦争反対 戦争を続けるにも莫大な戦費が必要である。物価高をジワリジワリと感じるようになって来た。今の平和を守るための国際協調…しかしなぁ、今の生活を守ってよという思いの方が強いんですけれどねぇ…。