今夜の差し入れは「雑きのこ」入りの芋煮^^;
「雑草という草はない。」とは昭和天皇がおっしゃったエピソードのように語られる場合もありますが、大元は植物学者「牧野富太郎」の言葉の引用のようであります。ただし、天皇陛下の言葉には続きがあって「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。…」と続くらしい^^;
さて、今夜の差し入れは、お隣『えっちゃん』の在庫一掃セール…これから収穫(採れる)できる『雑きのこ』を保存するために、冷凍庫のストックを片付けたんですと。「雑草」という名の草が無いように、「雑きのこ」という名のきのこも無いはずではあるけれど、学名、和名、『地方名』と様々な呼び名があって良く分からない。平場に暮らす『おやじぃ』は、子どもの頃に山に採りに連れていかれたこともあったけれど、「食える」「食えない」ということすら分からない。例えば「クサウラベニタケ(毒)」と「ウラベニホテイシメジ(一本シメジ)」を並べて解説されても、素人には見分けがつかないし、「ホンシメジ」「ハタケシメジ」にも似るetc.などと言われると、どれがどれやら…。これからの季節、直売所で購入したきのこで食中毒などという記事も目にするけれど、両者は混生もするから、『山の名人』も稀に間違うらしい。『山の素人』は、分かるモノしか手を出さないことが肝要かも…とは言え、『おやじぃ』は『山の修行』を好まないので、こうしてご馳走になることだけに専念しておりますけれどね^^;
秋も深まれば、「イグチのおろし和え」などという「差し入れ」もあるに違いない。収穫の秋は、山もまた食材の宝庫となりますが、今年も大人しく頂くことだけに専念しよう(笑)
そろそろ稲刈りも進んで来た^^;
さて、「秘伝豆」、「芋煮鍋」と山形名物の秋の味覚に舌鼓を打ちながら、晩酌する日々…これを『幸せ』と呼ばず何と言おう^^; お彼岸の訪問客に「それにしても庭、畑が草だらけだねぇ…。」などと言われても、「屋敷の草で人が死んだと言うことを聞いたことがない。」と虚勢を張っている。(結構、気にしているんですから言わないでください叔母さん^^;)今年は仕方がないと腹を括っている。(かと言って、来年はきれいになっているという補償もないのでありますけれどね…。)
はてさて、ロシアの『部分的動員』の報道に、「各地で抗議行動が起こっている。」とか「国外脱出者続々…」とか報道される一方で、「一万人の志願兵が集まった。」とか…両陣営『大本営発表』は真逆でありますなぁ。ひとつひとつの『事実』を切り取って行くと、それぞれの『事実』は確かに「事実」なのかも知れない。(それぞれバイアスはかかっているとは思うけれど…。)若い頃から「戦争が起こったらどこへ逃げるんですか?」などと反論されて言葉に詰まってしまったけれど、『島国』と『大陸』育ちの違いでありますなぁ。『おやじぃ』には、国境を越え「逃げる」という発想がないもの。「逃げる場所がない以上、祖国を防衛しなければいけない。」などと言われるとその気になってしまう。(それでも、田舎街が攻撃の対象になることはないだろうと、どこか他人事のように考えている自分が居ることも確かであります。)「どんな植物(人間)にも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で、生を営んでいる。」そんな昭和天皇の言葉が身に染みる。きのこに『毒』があるかどうかなんて、きのこに責任を求めても仕方がない。人間(為政者)のために、生きている訳ではないのだから…『雑きのこ入り芋煮』でここまで考えるかねぇ?
#戦争反対 自分の命を守ることが『罪』になるんですかねぇ…分からなければ手を出さない。『拒否』して逃げられるなら、みな逃げ出すよねぇ…。