『なべ焼きうどん生活』は11日目に突入^^;
折角、『料理長』が調理してくれた料理には、決して文句、不平を言わない『おやじぃ』でありますが、さすがに今夜は箸が進まない…突然『飽きた』という肉体の拒絶反応が出て来ましたよ^^;
巷では、こってり系のラーメンに人気があるようですが、我が在所では『米沢ラーメン』と称して、細い縮れ麺の醤油あっさり系ラーメンも名物…「たまには、こってり系も良いけれど、あっさり系の米沢ラーメンは毎日でも食べられる。」と昼食にラーメンをチョイスすることもあるのですが、『毎日でも』というのは、さすがに誇大な表現ではなかろうか、たまには定食だって食べたくなるのでありますよ(笑)
我が長女がの離乳食として、お袋が毎日、生卵を絡めたうどんを毎日食べさせていたっけ。「最近、この子、うどんを食べないのだけれど、身体の調子が悪いのだろうか?」と首を傾げるお袋に対して、我がお袋の行状を熟知している『おやじぃ』は、「何日、食べさせた?」と聞いたところ「一週間!」と答えが返って来た…「大人だって一週間も同じ味が続けば飽きるべな。お粥にしてみたら?」「食った^^;」やっぱりねぇ(笑) なんてね。始めから終わりまで、方針や考え方が変わらないことを「首尾一貫」と言いますが、付き従う『部下』にしてみれば、経営者の考え方がコロコロ変わるよりは、『お仕事』も進めやすい、しかし、それは状況が順風満帆の時であって、その方針でトラブルを抱えたり、手詰まりとなった時には、「首尾一貫」も「意固地」となって柔軟な対応が出来なくなってしまう。攻め口や方法を変えるという方法もあるのだけれど、だからといって、『大目標』や『目的』が変化している訳ではない。昨日、国会で「朝令暮改」などと揶揄された岸田総理でありますけれど、目標(ゴールポスト)さえ変節していなければ、コロコロ考え方が変わったとも言えないと思うのでありまして、柔軟に考え方(手段)を変えるのも、あながち『悪いこと』とも思えないのでありますけれどねぇ…。
『味変』もひとつの手段ですが^^;
はてさて、「朝令暮改」と揶揄された原因は、宗教法人解散請求要件に、前日の刑事事件要件に加え、「民法の不法行為も入りえる。」と答弁を変更したことにあるようでありますなぁ…。
『おやじぃ』には、この問題の本質がよく分からない…『分からない。』というよりは、『末恐ろしさ』を感じているのでありますけれどね。「法外な献金を募る。」「悪徳なマルチ商法」etc.…旧統一教会による「被害者を救済する。」や「これ以上の被害者を出さない。」と言うことに異を唱えるつもりは毛頭ありませんし、『旧統一教会=悪』という考え方に、『常識』というもので答えるならば、その通りであると思うのでありますよ。しかしなぁ…この『常識』というものが、どうも胡散臭く感じてしまう何故?そもそも「民法」とは『私的契約』に関する裁きと思っているから、双方に言い分(論拠)というものがあって当然であって、『マインドコントロールによって、法外な献金を強要された。』と誰が判断するのかなぁ?(裁判所でしょう^^;)人権派弁護士の方々は、「各裁判所によって、違法性が判断されている。」と語られますが一件審査でしょう…『この辺りが合理性を欠くガイドライン(常識)』といった判例が積み上がっているようにしか思えない。『おやじぃ』が『末恐ろしい』と肌感覚で感じるのは、世の『常識』に異を唱える者は、『オカシイ』と判を押されてしまうこと。『国葬儀』に「内心の自由」を旗印に異を唱えていた野党の皆さんが、世論の『常識』というもので攻勢に出ておりますが、これもまた『信教・結社の自由』といった原則に対して、この国の有り様から『諸刃の剣』となってしまわないかと心配なんだわなぁ…。
まぁまぁ、『おやじぃ』の場合は、『なべ焼きうどん』をゴチになっている立場だから、異を唱えることなどできませんけれど、「そろそろ飽きてきた。」と心情を吐露することも必要かも(笑)