さて、何人「中った(当たった)」でしょうか^^;
「カキ」は、貝塚からもその貝殻が発見されているらしく、生食としたものか焼いたものかは別にして、縄文時代には既に食べられていたようであります。お魚に比べれば、岩場に張り付く「カキ」は採取し易かったに違いない。一方の「アジ」の場合は、浅瀬に取り残されたか、打ち上げられたのか?はたまた、釣り上げたのか…これは、かなりの高等技術であるわなぁ^^;
こうして、人類がどのような手段で「食」を得ていたかと考えるだけでもロマンがあるのだけれど、残念ながら、『歴史』の教科書に必ず最初に出て来る「縄文時代」を深く学んだところで、『歴史』のテストにはほとんど出題されませんわなぁ…小学校の頃から社会の教科書で学んだ『歴史』なのではあるけれど、必ずと言って良いほど、時間数が足りなくて近代史は駆け足か、パスされたことだけは覚えている。ましてや、『おやじぃ』の世代は、山形県の高校受験科目が「英、国、数」の三教科だったから、それで済んだのかも知れないし、大学受験と言えば、「共通一次試験元年」世代であるから、「日本史」「物理」は選択科目として履修していないのでありますよ。それでいて、生き残るためには、特に不便も感じなかったし、数学の公式なんか、どこかに吹っ飛んでしまっていても暮らしていける。むしろ、短歌なんぞに込められた『恋心』などをひも解いていたら、もう少しは『古典』というものが好きになっていたかも知れないなどとも思えて来る。荒唐無稽と思えるようなテレビドラマの歴史上の人物描写も、時を経て考えるに「さもありなん!」なんて妙に納得したりしてね…『歴史観』などというものは、あっさりと塗り替えられてしまうのでありますよ。
この「うどん」にも『歴史』が積み重なる?
さて、本日は大学受験の「共通試験」の日でありますなぁ…「世界史B」の問題が流出したのは昨年の試験だったのかぁ。過ぎてしまえば、遠いことのように思えるのに、ましてや世界史の問題で、1・2問得点を得たところで、大きく影響するとも思えないのだけれど、必死だったんでしょうなぁ。
はてさて、昨日、暇を持て余し、ネット動画で「トガニ(るつぼ)」という映画を観たのだけれど、非常に後味の悪い映画だった。(ろうあ者福祉施設での性的虐待とその告発を描いた映画であり、その後、韓国では「トガニ法」なる法律が制定されたとされている。)彼の国では、まだそんなことがと思いつつ、我が国を省みてみれば、社会的弱者に対しての性的な、あるいは言葉や力による暴力事件が告発されているじゃないかねと気付くのでありますよ。自分たちは『違う』なんて言っていられないねぇ。そうそう、『歴史』を学ぶ意義というのは、単に人間社会の発展(正)の経緯を学ぶだけではなく、衰退や過ち(負)の経過にも向き合わなければいけないということ…侵略、収奪の『歴史』を時の権力によって、「進出」「共栄」という言葉に書き替えたとしても、当事者が受けた暴力は変わらないと思うのでありますけれどね…「あの時は、仕方がなかった。」そんな言葉を何度聞かされてきたことか。
「カキ」を食べて「中った(当たった)」人間は、果たして何人いたのだろうか?恐らくは、「中った」人数よりは、「中らなかった」人数の方が多かったに違いなく、「中った」としても「美味しい」という魅力の方が、その後の苦しみより上回っていたに違いない。とは言え、「中る(暴力)」には加担したくはないのでありますけれどねぇ…受験生よ、頑張ってくださいな(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます