その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

盆帰り…

2023-08-13 08:36:12 | 転職

「盂蘭盆会」は「逆さ吊り」の意?

「盆帰り」…1976年の小椋佳さん作詞作曲で、中村正俊さんが唄った曲。都会で働く青年が、お盆に故郷に帰省し、また都会へと帰っていく情景を唄い込んだものではあるけれど、卒業以来40年、我が在所に住みついてしまうと、『おやじぃ』には忘れ去った感傷のようにも思えるのでありますが…。
叔父たちが若い頃は、そこにお袋(我が祖母)が居たからであり、子どもが生まれれば、孫の顔を見せ、成長すれば行楽の一環として里帰りしていたに違いない。勤めながらそれを迎える我がお袋は大変だったと思うけれど^^; 実に賑やかな日々でありましたなぁ…今では、ご先祖さまがきっと帰って来ているに違いないとは思うのだけれど、『あの世』とやらで、一体どんな暮らしをしているのかを語ったりもしない。日常と違うのは、提灯が飾られることくらいだろうか^^;
はて、「盂蘭盆会」の元となるサンスクリット語の「ウッランバナ」には「逆さ吊り」という意味があるという説がある。また、お釈迦さまの十大弟子の一人である「目連尊者」の伝説には、地獄に堕ちた尊者の母親が逆さ吊りの責めにあっていたというお話もあるようだ…我がご先祖さまが、そんな目に遭っていないと願うばかりではあるけれど、生きている『おやじぃ』の日頃の行状が、ご先祖さまにそんな責め苦を味合わせているといたら申し訳ない(笑)


「犬にも霊が見える?」…音でしょう^^;

さて、洋の東西を問わず、宗教には、言葉こそ違え『地獄』という概念が存在するようである。『罪深い人間の性』への戒めや、その宗派を拡大するためには、異を唱える者たちへの『権威(罰)』と徹底的な『弾圧』が必要だったのかも知れない。まぁ、心配しないでください。恐らくは、宗教の数だけ『天国』があり、同じ数だけ『地獄』があるだろうから、どこかに『救済』される場所はあるはずでありますから^^;
はてさて、『貪瞋痴(とんじんち)』…日頃から欲を貪り、感情をあらわにし、無知を恥じない生活をしておきながら、『最期』に救済を求めるのはご都合主義というものかぁ?しかし、お釈迦さまの「十大弟子」も入れ替わったという話も、我が曹洞宗の道元禅師、瑩山禅師も『〇✕大弟子』に加えられたというお話もとんと聞いたことが無い。「戒名」によって『位』が得られるならば、『あの世の世界も金次第』ということになりますまいか?『親ガチャ』ならぬ『子ガチャ』…子どもの稼ぎ次第で、あの世での扱いに違いがあったら堪らない。ならば、我が子には伝えよう…「親孝行は生きている内に、後(あの世)のことは諦めるから…。」なんてなぁ(笑)


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