未明には、まだ夜の雨の名残の雲がたくさん残っていて、月影すらみられなかったお月様。いつの間にか、朝の用事を済ませて気づくと空が晴れてきていて、義母のホームに行くのに見上げた空に綺麗な姿を見せてくれていました。
真っ青に空が晴れていたのですが、なぜかどこかに行くとなったら先を急ぐ夫に急かされ、家でまずゆっくり写真を撮って出ようと思っていたのに、鞄にカメラを入れて出発することに。「ホームにどうせ面会時間より早く着くから、そこでしっかり撮るから待っててね」
お月様にそうお願いしながら出発。案の定、30分近く早く着きました。でも、外が寒くて、ゆっくり写真を撮っていられず、空をみたら、30分くらいなら大丈夫そうなので、早めですがと施設に面会をお願いした。もう、コロナが流行して3年、義母との面会はこんな感じだ。面会室で近しい家族だけ、2人とか3人限定で30分(大変な時期は15分)だけの面会時間。
今日は少々眠そうだったので、歌を歌って目を覚ましてもらい、正月、クリスマスメドレー、坂元九の歌などなどを合唱。結局、もうじっくり話ができるというのと様子も変わってきてしまった。でも、元気でいてくれているだけで有り難い。
外にでると、ちゃんとお月様が空で待っていてくれました。
<2022年12月18日10:50>
今朝の天声人語。元自衛隊司令官の香田洋二さんも「身の丈を超えたものになっている」と、今回の防衛予算拡大に疑問を呈していることを伝えながら、私の尊敬する中村哲さんの言葉が引用していました。「平和には戦争以上の努力と忍耐が必要なんです」。
「『打つな』という方が勇気が要って、ぶっ放すことは本当に簡単だと思いました」と半藤一利さんとの対談でいった中村さん。
戦争をなくすには、「抑止力」は全く意味をなさない。人が互いに「良識」を身につけ、軍縮を進めていく先にしか、平和の道はない。
なぜなら、「抑止力」という名で兵器を装備する先には、「疑心暗鬼」と、さらなる安心をえるための装備の強化(軍拡)が起こるだけだからだ。 何も生まない兵器生産は、一部の軍需産業の人間を潤すかに見えるが、兵器の生産は不使用の場合も環境破壊しかもたらさず、使用された場合は、環境を破壊するどころか、人の命を奪い、「怨恨」と、「さらなる戦争の種」を育でるだけだ。そこには、「解決」も「平和」も何も生まれるはずがない。
「抑止力」の先に「平和」があると考えるのは、明らかに「幻想」だ! そこには、「平和の種」は全く生まれない。