峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

私たちは何を求めているのだろう

2008年02月20日 | 民生児童委員
救急搬送15病院拒否 容体急変、61歳女性死亡 小平(産経新聞) - goo ニュース

土曜日の朝、午前中は特別の予定もなく、この日くるみさんが楽しみにしていたケータイを求めることになっており、そのことで話が持切りだった。
そこへ、そんなのんびりとした空気を一変する報せが入った。顔馴染みのヘルパーさんがやって来られ、訪問先の93歳になられる吉田さん(仮名)が転倒され動けない状態なので救急車を頼んだというのである。
私は、まだパジャマを着たままだった。そこでズボンだけ着替え、パジャマの上からジャンバーを羽織ったままで、急いで吉田さん宅へ駆け付けた。

トイレに立たれた際、尻餅【しりもち】をつかれたとのこと、おしりから太ももの付け根にかけての部分が痛いと仰る。骨折が心配される。
間もなく救急車が到着、救急隊員が3名、担架を持って入って来られた。
椅子に座っておられる吉田さんを担架に移す。吉田さんは大柄だ。救急隊員3人に私も加勢をして慎重に進めた。

さて、搬送先だ。とりあえず佐世保市の労災病院に連絡を取ってみると救急隊員が言う。ヘルパーさんが付き添えないというので私が付き添うことにする。パジャマ姿に下駄履きという格好で来ていたので、いったん我が家に戻り支度を整えてくることにした。

家に帰り、女房どのに事情を話し、後で迎えに来てもらうことになるからと支度を整えて吉田さん宅に戻ると、労災病院が受け入れてくれることになったとの話、最近、冒頭の記事のような例をしばしば目にするのでホッとする。また、付き添いもヘルパーさんが行けるようになったと聞き、緊張が解けた。
救急隊員のみなさんによろしくお願いしますと頼み、救急車を見送った。

その後のヘルパーさんからの連絡で、吉田さんは骨折ではなかったとの連絡を受け喜ぶ。ただ、骨折ではなかったもの、吉田さんは歩けないどころか立つこともできない。しかし、骨折ではないというので労災病院では入院を断られたという。
仕方なく、付き添ったヘルパーさんはタクシーに吉田さんを乗せ、佐々まで戻ってきた。
幸い、吉田さんのかかりつけの町内の病院が受け入れてくれ、そのまま入院となった。

その後、ヘルパーさんから入院に必要な物を吉田さん宅から持ち出したいので立ち合ってくれとの依頼があり、再び吉田さん宅に赴いた。

介護保険、年金、1人暮らし、地域社会の崩壊、高齢者を狙う悪質な訪問販売、各種の詐欺事件、そして病院の受け入れ拒否と高齢者の悩み、苦しみは深い。

人間が年老いた後、安心して幸福に過ごすことができない私たちの社会、私たちは何を求めて生きているのだろう。
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こんな夜は きみのそばでなければ

2008年02月13日 | 民生児童委員
午後から町の民生児童委員協議会の定例会に出席した。
この日は、町内の小中学校長、及び教育長との懇談会が予定されていた。しかし、出席者は教育長ではなく次長、中学校長ではなく教頭、佐々小学校長ではなく教頭、かろうじて口石小学校だけ校長の出席があった。みなさん、出張だそうだ。急に決まった集まりではない。年に2回、毎年予定に組みこんである会合だ。この日都合が悪ければ、都合のつく日に改めればいい。そうするほどまでのことはないと考えるのであれば、止めてしまった方がよい。形だけ整えるのが最も悪い。
席上で発言しようと思ったが、どうせわかってもらえないだろうからとやめた。あ~ぁ、長いものに巻かれている私がいる。

少年の引き起こす重大な事件が私たちの社会に警鐘【けいしょう】を鳴らし始めて久しい。少年少女の自殺も深刻な問題だ。また、親が子を、子が親を殺害するという痛ましい事件も後を絶たない。それどころか、不登校・万引き・いじめ・低学力・給食費未納・教員による体罰・セクハラ・ネグレクト(養育放棄)などといった子供を取り巻く日常的な問題の解決の糸口さえも見つけられないままだ。しかし、私たちの危機感は恐ろしく鈍い。当事者なのに何故か他人事だ。

「学校と地域の連携が必要だ」という学者や評論家、そしてマスコミに関わる人々が、いったいどれほど地域との関わりの中で生きているのだろう。そんな彼らの無責任な声に、ただ何となく乗っかっただけの懇談会とか協議会とか連絡会などといったものから何が生まれてくるというのだろう。
このような会合に出席するたび、絶望感に打ちひしがれそうになる。
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ついていけない

2008年01月23日 | 民生児童委員
きょうは10:00~14:30まで北松浦郡民生児童委員協議会の研修会に参加した。
このような催し物には関係の行政機関のエライ方がお見えになられる。今日も開催場所、江迎町の町長が来ておられたが、会の冒頭に挨拶されただけでさっさとお帰りになられた。それでも主催者側は「町長様におかれましてはお忙しい中有難うございました」等とおもねる。
同じく来賓・助言者として県北福祉事務所所長がお見えだった。私は、言えば唇が寒いだけだからとこの日も何も発言しないつもりだった。しかし、福祉事務所・社会福祉協議会・民生児童委員がべんちゃらを言い合うようななぁなぁ主義には、どうにも付き合いきれない。
結局、この日も流れに逆らうような発言をしてしまった。

行政と○○委員、学校とPTA役員等など、美辞麗句を並べながら馴れ合い、おもねあうような人間関係には、どうにもついていけない。

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募金

2007年12月28日 | 民生児童委員
一昨日の新聞の社会面の片隅に小さく「北九州市が7人を処分」さらに小さく「生活保護問題で」という記事があった。
記事によると、北九州市で生活保護を受けられなかった3人が2005年から今年にかけて相次いで孤独死しているのが見つかった問題で、窓口で不適切な対応をしたとして関係者が処分されたというのだ。

12月になると全国各地で「歳末助け合い募金」が行われる。ちなみに佐々町では「歳末助け合い」のような募金等が年間10回ほど町内会を通して行われているが、それに私たちの町内会のほとんどの所帯が毎回応じている。
毎年、年度末にその集計をし回覧で報告しているが、昨年度の総額が237,720円だった。これを世帯数117で割ると1軒当たり年間2,031円の出費となる。これを多いとみるか少ないとみるか議論の分かれるところだろうが、それはさておき、集まった募金を社会福祉協議会に届けるたび、この国の庶民の義理堅さというか、律儀さというか、生真面目さというか、長いものには巻かれよ精神というか、事なかれ主義というか、お上の言う通りとするさもしい思いか、はたまた主体性の無さというか、思考停止というか、いや、私たちはそれらをすべて内包しているのだ。
一方、日常茶飯事の着服・背任・横領・収賄、さらには近年、ようやく明るみに出てくるようになった偽装、いったいこれらはどう前者と結びつくのか、いや、おそらくは表裏一体をなしているのだ等とぼんやり考えている。

さて、集められた浄財は該当者に配られる。その該当者を町内会単位であげるのが地区担当の民生委員の仕事だ。つまり、民生委員は町内会で暮らしておられるみなさんの暮らし向きをよく把握していなければならない。そうでなければ、せっかくの浄財が活かされない。
民生委員から上げられたものは、その調査書に基づき「歳末助け合い募金配分委員会」で審議決定される。私も、それに加わったことがあるが、集められた浄財がすべて配分されていないことに驚き、同時に憤りに近いものを覚えた。該当者が多く、それを絞り込むのが分配委員会だと思っていたが、先ず、上げられてきている件数そのものが少ないのだ。したがって、上がってきたものは基本的にすべて了承される。いわば、民生委員の顔が立つ仕組みになっているといえる。
それでは、余った浄財はどうするかというと、さまざまな品物に化けている。もちろん、それは公共物として役立つはずだが、その使い道は明らかに「歳末助け合い募金」の趣旨とは異なる。私はその席で、集まった浄財はすべてその趣旨に則【のっと】り使われるべきだと主張した。平成14年のことだったが、その後、私はその委員会に呼ばれていない。

分配委員会にあげるための「歳末助け合いお見舞い該当者調査書」というのが事前に民生委員に配られるのだが、そこには書き込むための欄が限定されている。分配委員会に出席してからというもの、私はその調査書を複写し、なるべく多くの所帯の苦しい状況を伝えるように心がけている。
今年、ご高齢者の所帯に加え、初めて2組の若い母子家庭所帯を挙げていた。当初、挙げていたみなさんにお見舞金が出ることとなった。しかし、若い所帯を挙げていたのが私だけだったということを聞いた。若い所帯に対し厳しい意見があったことも聞いた。西町だけ挙がってきている件数が多いという批判もあったと聞いた。
結局、一度お預かりした分配金の中から、一件だけ待ったがかけられた。応じるしかなかった。すべては分配委員会で決められることなのだから。

歳末助け合い募金の金額の目安は250円と明記されている。配分されてしかるべき方々も250円募金される。
そうやって集まった浄財は、一軒でも多くの所帯にすべて配分されなければならない。そうできないのであれば募金の金額の目安を下げるべきだ。

歳末助け合い募金以外、集められた浄財はどのように使われているのだろう。困っている人たち、苦しんでいる人たちが自ら命を絶たなければいけないような社会であってはならないはずだ。
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英気【えいき】を養う

2007年07月12日 | 民生児童委員
10・11日と佐々民生児童委員協議会の仲間と熊本方面に視察研修旅行に出かけていました。出発の朝、約束の場所に向かうまで、あれこれと懸案事項が頭の中を駆け巡り旅行気分でもなかったのですが、バスに乗り込むと同時に旅行の間、日常を忘れるようスイッチを切り替えました。
ただ、10日の夜、町内会のメンバーでナイターソフトボールの練習をする予定があり、降雨の場合の手はずを体育部長と副会長に頼んでおきましたが、やはり佐々の天気が気になり、体育部長とメールで連絡をとっていました。
熊本県も両日、雨模様でしたが、幸いなことに、私たちがバスを降りて歩くときは雨にたたられることもなく、いい視察をすることができ、また、温泉につかり、ご馳走をいただき、たっぷりと英気を養うことができました。

昨夕、佐々到着は予定通り5時50分でした。女房どのと到着場所の文化会館で待ち合わせ、お土産等の荷物を渡し、その文化会館で6時から開かれた保護司仲間の西尾さんの環境大臣表彰受賞の記念祝賀会に出席しました。西尾さんは洋服の名匠としても日本一の方です。
その西尾さんは30年もの長きに渡り、道路沿いの清掃・美化に努めておられます。ここ数年は公共のトイレ清掃も行っているとお聞きました。その奉仕の精神が称えられたものです。

この席でも、いい交流をはかることができました。
そんな中、あれ受け取りましたよと親しくさせていただいている町議にお声をかけていただきました。あれっていうと、と問うと、公民館前の広場に関する陳情書のことでした。
彼の所属する委員会で審議することになったそうです。今度ゆっくりということでこの夜、この話は、それ以上しませんでした。彼とは、いろんな場所で、いろんな話をしてきています。偶然、彼がその委員会の委員長ということです。きっと、分かっていただけるはずです。

再び、日常が始まっています。
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リレーゾーン

2007年06月22日 | 民生児童委員
きょうは、ご高齢者のみなさんに町内会の集会所に集まっていただき、町内会のボランティアのみなさんの手によるご馳走を召し上がっていただきました。
昼食後、社会福祉協議会のヘルパーさんの指導で、ミニ七夕作りに挑戦しましたが、みなさん、童心に帰り、短冊【たんざく】や吹流し作りに夢中になっておられました。

バス旅行の日は青空がのぞき、この日も、高齢者のみなさんにお出でいただく頃には朝からの強い雨も上がっていました。

これまで、多彩な趣味に興じてこられたあるご高齢者が、今はもう何もしないと笑ってお話されていました。
ご高齢者とお話していると、しばしば、返す言葉に窮することがあります。どんな言葉を選んでも白々しく思えるのです。それほど、ご高齢者の言葉には重いものがあります。

そのような人生の先輩に少しでも楽しいひと時を過ごしていただきたい、心からそう思うのです。
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寛容の精神を失った私たちの社会の不幸

2007年06月16日 | 民生児童委員
一昨日の長崎新聞の社会面、小さな見出しで「生活保護関係書類を改ざん」とありました。
記事によると、一人暮らしの男性=死亡当時(56)から生活保護の申請を相談された職員は、その男性から生活や資産の状況などを聞き、記録票に記入しました。
しかし、それが相談のみだったか、相談を受けて関係機関に紹介したかなど、対応を選択肢で記録する部分は空欄のままにし、課長や事務所長もそのまま決裁していました。

ところが、その後、男性が自宅で死亡しているのを近所の住民が発見、死後約4ヶ月と推定される孤独死だったことから市の生活保護行政が問題視されるようになり、職員は書類に不備があってはいけないと、空欄の部分を勝手に「相談のみ」と改めたというのです。

昨日の同紙の同じく社会面「生活保護の母子加算減額・145人が不服審査請求」とありました。
生活保護を受けている母子家庭に対し、16~18歳の子供を養育している家庭への支給が今年4月に廃止されたのに続き、15歳以下についても4月から段階的に減らされて2009年4月に廃止されることが決まっているようです。

一昨昨日は午後、佐々町民生児童委員協議会の定例会が開かれ、出席しました。会議の冒頭【ぼうとう】、北松浦郡を管轄【かんかつ】する社会福祉事務所職員のみなさんによる新年度の生活保護基準額票についての講義を受けましたが、本来、社会的弱者の立場にたって、彼らを支援していかなければならない民生児童委員までもが総じて彼らに対し、厳しい見方をしています。

社会的弱者を、よってたかって叩【たた】こうという風潮が強まっているのを危ぶみ恐れます。
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てんてこ舞い

2007年05月25日 | 民生児童委員
きょうは、町内会の高齢者のみなさんにお集まりいただき、楽しい1日を過ごしていただこうという、月に1度の「ふれあいサロン」の日でした。
いつもは、町内会の集会所で開くのですが、この日は町内にある菖蒲【しょうぶ】の名所・皿山【さらやま】公園行きを計画していました。ところが、朝からあいにくの雨です。急きょ予定を変更し、集会所に集うことにしました。

それにしても、天気予報は正確です。
「木曜日の夕方から曇り出し、夜中から降り始めた雨は金曜日のお昼頃まで続きますが、午後から夕方にかけ次第に天気は回復へと向かいます」
週の始めの予報がピタリでした。
私が子供の頃、天気予報は当てにならないものの代名詞でしたから隔世の感があります。やはり、気象衛星のおかげなのでしょうが、大局観というか、引いて見るというか何事も近視眼的にならないことが大切だということでしょうか。

今回の参加者は25名でした。普通に歩くのが困難な方が数名いらっしゃいます。その方々に配慮しながら、事前に車4台を手配し、乗車の割り振りをしていました。その他、弁当・果物の注文から、お茶に紙コップまで準備万端整えていましたから、予定変更の判断を下したとたん、関係する方々にその旨の連絡を入れ、次の準備に取りかからなければなりませんでした。

そんなこんなで、早朝6時過ぎから皿山公園の状況を見に出かけたのを皮切りに1日中バタバタしていました。
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主体的に関わることで楽しくやれる

2007年04月27日 | 民生児童委員
きょうは、ご高齢者のみなさんに町内会の集会所にお集まりいただきました。
昼食をおとりいただき、カラオケで歌われたり、ゲームをなさったりと、ようやく暖かくなってきた初夏の昼下がりでしたが、いくらか楽しく過ごしていただいたでしょうか。

午前8時半から準備に入り、後片付けが終わって、集会所の玄関の戸締りをして帰路についたのは夕方の3時過ぎでした。

昨夜は、19年度第1回目の町内会の定例班長会を開きました。
最初に、各班長さんは、すでに集金済みの町内会費を会計さんに、緑の羽根募金と社会福祉協議会費を副会長さんに納入します。
その後、この会のために朝から1日がかりで作成したレジメ・その他を基に、私が進行役を務めます。
先に行われた町内会長会の報告、新年度の町内会運営方針について私から、次に、体育部・婦人部・教養部・厚生部の各部長による新年度の活動・取り組みについての話と進み、さらにその後、さまざまな案件を処理しました。
今年度も、各種行事・活動が目白押しです。町内会員個々に、いかに主体的に関わってもらえるか私の密かな挑戦です。
主体的であれば、楽しくやれます。

一昨昨夜は、介護保険制度に係る「佐々町地域包括支援センター運営協議会」の集まりに出席しました。
当局から18年度の運営状況報告と19年度の新規事業報告があり、10名の委員との間で質疑応答が交わされました。
福祉関連の協議会等での私の立場は明確です。それは、利用者のことを一義的に置くという点です。

この会議の後、やはり介護保険制度に係る新たな運営委員会の委員の委嘱【いしょく】を受けました。
いくつの委嘱を受けているか、よく分からないほどです。

先週の金曜日の夜、町全体での子供会の集まりに出かけると、受付にいた教育長に、峰野さんもいろいろやっておられますね、と声をかけられました。
この夜は、くるみさんの親として町内会の中学部の役員という役割での出席でした。
順番だからということで、町内会の子供会の役員もさせていただいています。

みなさんが、そんなに「役」を引き受けなさるのが、お嫌でしたら、私が全部、お引き受けしましょうか。
しかし、それでは、いかにも不自然ですね。自然の摂理【せつり】に反します。
自然の摂理に反することは、決してよくありません。
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子供たちの前途に幸あれ

2007年03月20日 | 民生児童委員
昨日は、地域の小学校の卒業式でした。せっかくお招きいただいたので、子供たちの門出を祝いに出かけてきました。

毎年思うのですが、近年の子供たちは本当に大きくなりました。

今年の卒業生は97名でしたが、1人欠席でした。6年生になった最初の日に学校に来たきり、ずっと学校に来ていない子供がいると聞いていました。
やはり、その子のことが気になります。

卒業していく96名の子供たちは、式が終わるまで誰一人として涙を見せませんでした。なぜ、子供たちは泣けなかったのでしょう。

学校長は、学び舎を後にする子供たちに、夢を持ち努力することの尊さを訴えました。それは、教育委員会の告示とほとんど同じでした。

でも、私たち大人は、子供たちに向かい胸を張って「夢を持て」と言えるだけの地球の環境を、世界の平和を、日本の社会を築いてこられたでしょうか。
「努力しろ」と言えるだけの誠実な生き方をしてきたでしょうか。
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