峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

敵は己の中に

2009年05月14日 | 民生児童委員
昨日は町の民生児童委員の定例会に出席した。
担当区域内で住民の相談に応じたり、必要に応じて支援を行ったりするのが民生児童委員の主な仕事だ。基本的には個人の活動だ。

個人の日常的な活動とは別に、民生児童委員協議会という組織として行う活動がある。
私も他の委員と一緒に、いくつかの活動に参加してきたが、このところ、その活動に疑問を覚えている。

変えなければならないものがある。それが、とてつもなく巨大で分厚い壁だということをいやというほど知っている。
虚しさや、あきらめの気持ちが頭をもたげる。それらと必死に戦う。

いつだって、敵は自分自身の中にいる。
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定額給付金

2009年03月27日 | 民生児童委員
きょうは、月に1度の町内会のご高齢者のための地域デイサービスの日だった。
1ヶ月なんて、アッという間だ。

2日前「定額給付金申請案内 在中」という封書が送られてきた。
封を切ると、ひと目ややこしそうな書類が入っている。

案の定「定額給付金申請手続きの留意事項」という書類だけでA4の紙に4ページもある。
これじゃあ、ご高齢者は分からない。真っ先、そう思った。
役場の担当者は、すべてのご高齢者が理解できるとでも思っているのだろうか。

ご高齢者からのご相談があるだろうなと思っていたが、きょうの地域デイサービスでみなさんからご相談をいただいた。
結局、ご説明しても分からないという、お一人暮らしの数人の方が書類を持ってくるので書いてくださいということでご了解を得た。

お上は、後期高齢者医療制度の保険料のように、有無を言わさず、どんどん引き落とすくせに、出すものはややこしい手続きを踏んで申請しなければ出さない。

町内会のご高齢者は一様に怒っておられた。
厳しい社会を生き長らえてこられたご高齢者が、安心して老後を過ごせないような国に未来はない。
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生きる意味

2009年02月23日 | 民生児童委員
きょうは、地域デイサービスの案内で朝から町内会を回った。

地域デイサービスというのは、一般的には「ふれあい・いきいきサロン」と呼ばれている。地域に住む者たちの手で、地域住民のコミュニケーションの場を、主体的につくりだそうとする取り組みだ。
全国各地の社会福祉協議会民生・児童委員協議会が中心となって推し進めているものだが、人間関係の希薄化、地域社会の崩壊、それに加えて地方自治体の財政難といった今日的問題が深刻化する中、その果たす役割は益々重要になってくるだろう。

私たちの町の「地域デイサービス」は、町の社会福祉協議会の主催ということになっているが、実質的には民生・児童委員が、町内会の有志のみなさんの協力をいただき運営している。

私たちの町内会では、それを基本的に毎月1回実施している。開催日の1週間ほど前、ご案内と出欠をうかがうために1軒1軒、ご高齢者と有志のみなさんのお宅を訪問するのだが、実は、これがご高齢者と私との交流の貴重な機会となっている。
外出が不可能な方や体調を崩された方など、参加したくてもかなわぬ方がいらっしゃる。そんな気になるご高齢者のお宅を訪問させていただく、いい機会なのだ。

私の訪問を楽しみにしていてくださる一人暮らしのご高齢者も少なくない。
部屋の中に招かれ、お話させていただいたりする。病気のことを話される方、昔のことを話される方、政局や町政に多大な関心をお持ちの方など、さまざまだが、私の果たすべき役割が、そこにはっきりと見える。それは、私の生きる意味の1つなのかもしれない。
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手を携えて

2009年02月20日 | 民生児童委員
昨日までに先の書類を仕上げ、ホッとしたところで防犯灯の補助金申請のための書類提出を終えていないのに気付いた。
朝9時、会計さん宅へ伺い、防犯灯の領収証綴【つづ】りを受け取り、自宅へ戻って書類を仕上げ、役場へ出向いた。

書類は、1つを教育委員会へ、もう1つは福祉保健課へそれぞれ提出した。しばし、福祉保健課の課長と雑談。
会議の席も含め、彼とはよく話をする。彼は逃げないし、時間を惜しまない。

昨年、ある件で、保健福祉課の職員と一緒に、ことに当たったことがある。いろいろ難しい問題があったが、彼は骨身を惜しまず、ことに当たってくれた。頭が下がった。

そのことを、昨年末の町内会長会で取り上げた。
しばしば、役場の職員に対する批判を耳にする。しかし、有能で、他者を思いやることのできる職員がおられると、感銘を受けたことを率直に述べた。

その後の懇親会の席で、他の課の職員たちが、そのことに触れ、自分たちの課の人間ではなかったが、あのように言ってもらって嬉しかったと声をそろえた。
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介護保険制度

2008年10月03日 | 民生児童委員
一昨日、町からの配布物を各班長さん宅へ届けている途中、仕事帰りの浜田さん(仮名)と出会った。
浜田さんのお宅は、お父様が重度の障害をお持ちだが、お母様と浜田さんがお父様を支え、3人仲睦【むつ】まじくお暮らしだった。
ところが、先日お母様が体調を崩され入院なさった。そのことで浜田さんの負担が増えた。それまで朝食だけはお母様に作ってもらっていたのがご自分とお父様の食事の用意をすべて浜田さんがしなければならなくなったのだ。

しかし、浜田さんの不安はその先にある。
間もなく、お母様が退院されることになっているが、なにぶんご高齢のお身体、ずいぶんと体力が落ちておられるとのことだ。
そこで浜田さんは介護サービスを利用することを思い立ち介護認定を受けた。ところが、浜田さんの予想に反して要支援という判定が下された。要支援では浜田さんの望む日常生活の家事の援助の時間に大きな制約があるのだ。

浜田さんはこの認定に大きな不満を抱えておられる。実は、お母様は認知症の症状が出ておられるのだが、彼らはその大変さが分かっていない。このままでは自分がつぶれてしまうのではないかと恐れておられるのだ。
私も、民生意委員になって以来ずっとお母様とお付き合いさせていただいてきたが、その症状が進んできていることを感じていただけに浜田さんの不安・憤【いきどお】りがよく分かる。
一通り、お話を伺い、私の方からも包括支援センターの担当職員の方とよくお話をさせていただきますからと別れた。

早速、昨日の午前中、包括支援センターに電話をしたが、あいにく担当者が休みだった。電話口に出られた方に用向きを話し、翌日再び電話することにしていた。
そして、きょう今しがた電話を終えたばかりのところだ。

昨日の午前中、企画財政課の課長と2時間ほど意見交換をした。お互いに1度ゆっくり話しましょうと約束していたのだが、彼が飲まないものだから、なかなかその機会がなかった。
話し合いは、たいへん有意義なものだった。その最後に一つお願いしたことがあった。それは制度の運営に当たっては、個別に丁寧【ていねい】に柔軟に対応していただきたいということだ。ややもすると、役所の仕事は単に数値的なものだけで画一的に切り捨てる傾向がある。それは両者にとって極めて不幸なことだ。
同じことを浜田さんの担当者にもお願いした。

介護保険制度は、高齢化や核家族化が進む中で介護を必要とされる人を社会全体で支えていこうという崇高な理念の下に2004年に始まった。
しかし、私の知る限り浜田さんの例のようにその実態はお寒い。これは、決して現場の問題だけではない。

政治の責任は重い。
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草千里を走る

2008年07月09日 | 民生児童委員
昨日・今日と1泊2日の佐々町民生・児童委員協議会の研修旅行に参加してきた。
午前7時45分に佐々町を出発。9時半東彼杵【ひがしそのぎ】町に到着、10時半まで東彼杵町民生・児童委員協議会の委員のみなさん、及び行政の福祉担当者と、主に「子育て支援・児童福祉」「高齢者・在宅介護福祉」「障害者支援」この3つの部会の活動について情報・意見交換を行った。

その後、東彼杵インターから長崎自動車道に乗り、やがて九州の交通の要所である鳥栖ジャンクションから大分自動車道に入り、日田インターで降りたのが正午頃、日田市内で昼食をとる。

昼食後、一村一品運動で有名になった大山町から、我が家の子供たちが幼かった頃、毎夏、阿蘇を訪れる際、立ち寄った小国町を通り、午後3時、阿蘇郡産山【うぶやま】村に到着。5時までのおよそ2時間、産山村高齢者活動支援センターという所の畳敷きの部屋で座布団に座り、産山村の民生・児童委員協議会会長から「子供ヘルパー事業」についてのお話を伺い、それについての質疑応答、その他意見交換を行ったが、文字通りひざを交えた有意義な座談だった。

産山村は阿蘇山久住【くじゅう】山との間に位置する美しい大自然に恵まれた地域である。しかし、世帯数500戸、人口1,700人、65歳以上の高齢者数が総人口の35%を超えるほどの高齢化が進み、独居世帯や家業の後継者がいない世帯が増えているという極めて今日的な問題を抱える地域でもある。
そんな中、社会福祉協議会が提案し、福祉関係者と学校とで検討を重ね、平成12年から始まっているのが「子供ヘルパー活動」という産山村独自の画期的な取り組みだ。
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サルビアの花

2008年06月28日 | 民生児童委員
あ~、明日はもう日曜日ですね。この1週間もいろいろありました。記しきれないのが残念です。

きょう町内会の集会所で開催した地域デイサービスで、86歳になられるある男性に「会長さん、歳ば、あげましょう(歳を差し上げましょう)」と言われ、一瞬、返事に窮【きゅう】した。
「私も、あげたいくらいですよ」と気が利【き】かないセリフを吐【は】くのがが精一杯だった。

「あっという間に86ですよ」
お1人で歩くのがままならなくなられ、杖をつき、もう片方の腕を奥様に抱えられながら、ようやくデイサービスに来られたご高齢者の言葉は私の心に重く響いた。

お話の中で「もう1度、兵隊になりたい」とおっしゃった。
彼は戦時中、東南アジアを転戦した。幸い人を殺すことはなかったけれど、あるとき、犬を殺した。何故だったか、その理由は覚えてはいない。今、その犬に申し訳なかったと朝と晩、手を合わせるのだという。

顔の腫【は】れがひく間もないほど上官にびんたをたたかれたという。
南方で死ぬのは長男と一人っ子だったという。自分は8男の最後だったからと笑われた。
いやなことがいっぱいあったけれど、同じくらい楽しいこともあったと振り返られた。

もし、好きな時代に戻れるとしたら、いつの頃に戻りたいですかと改めて伺うと、やはり「もう1度、兵隊になりたい」と言われた。

午前中、石田九段対北浜八段戦を堪能【たんのう】した日曜日、午後から自宅裏の樹木の剪定の続きを行っているところへ、女房どのがやって来た。副会長が来て、国道沿いの花壇で作業をやっているとの伝言だったという。
前日、副会長と冬の花の株をいつ抜こうかという話をし、この日の天気次第としていた。

早速、有線放送でその旨【むね】案内し、クワを担【かつ】いで花壇に駆け付けた。
抜き取った古い株は大きな袋に6・7個にもなっただろうか。きれいになった花壇を見渡しながら「今年はサルビアを植えようか」と提案すると「いいね!」と虫にも花にも詳しい副会長の奥さまに賛同をいただいた。

翌月曜、役場の橋本さんに相談すると、難しいところもあるが挑戦してみようということになった。花壇の中央にサルビア100株、周囲にマリーゴールド100株とポーチュラカ80株、真っ赤なサルビアの花が道行く人たちの心をときめかせる日を楽しみにしていよう。

写真は、きょうの地域デイサービスでご高齢者のみなさんが力を合わせて作った七夕飾りです。
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花に囲まれての披露宴

2008年04月26日 | 民生児童委員
昨日は毎月1度、第4金曜日に行っているご高齢者のための地域デイサービスの日だった。
いつもは町内会の集会所で開くのだが、毎年4月か5月の花の美しい時期には近くの花の名所に出かけることにしている。この日は近くの「佐世保花園」へ花見に出かけた。
参加者は16名、私の車と、いつもお手伝いいただいている女性の方2人の車、合わせて3台の車に分乗してちょうどだった。参加者が多いときは私が2往復することもある。
私の車は7人乗りだが、この日私の車に乗り込まれた6人のうち5人の方が杖をついておられた。私の車の乗降口の位置が高いということもあり、乗り降りされるだけでも大変だ。おひとりお一人、ゆっくりと乗降していただく。
そんな中、乗り降りの手伝いをさせていただく私と手をつなぐことができたと、しばらくその手を離さずに喜んでくださるお茶目な方もいらっしゃる。

先週、下見に訪れた際にはボタンとツツジが満開だった。みなさんにそうお伝えしていたが、前々日の激しい雨でその花びらは散り始めていた。それでも、青空の下、花を愛でながら、お仲間でいただく昼食にみなさんご満足の様子だった。

昼食時、22日に結婚式を挙げたばかりの絵理子さんの花嫁姿の写真ををみなさんにご覧いただいた。
ほとんどの方が、絵理子さんの子供の頃をご存知だ。みなさんに絵理子さんの子供の頃を語っていただき、美しい花嫁姿を語っていただいた。ありがたくも、いい披露宴をさせていただくことができた。
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誰のための社会保険事業か

2008年03月17日 | 民生児童委員
約束していた午前9時に町内会のお1人暮らしのあるご高齢者のお宅を訪ねた。
年金の問題で社会保険事務所まで付き添ってほしいと先週末に要請を受けていた。詳しいことは書けないが、余分に支払っていた加給年金100万円を返却するよう社会保険庁から言われているというのだ。ご本人の話を聞く限り、とても納得のいくものではなかった。
配偶者を亡くし、子供もいず、近くに親戚もいない。その上、普通に歩くのが難しくなっておられる。私のようなものにでも頼らざるを得ないのだ。

佐世保市にある社会保険事務所まで車で30分、午前9時半に着いたときには狭い駐車場はすでに満車だった。
善良な庶民が懸命に納めてきた尊いお金を社会保険庁の長官から窓口の職員までがデタラメに扱ってきた。彼らにとって年金を納める者の気持ちなど知ったことではなかった。彼らは自分たちの私腹を肥やすか、給与と賞与と退職金を手にすることしか関心はなかったのだ。それが、来訪者のための駐車場の狭さによく表れている。

高齢の相談者と共に入った窓口、隣との仕切り版に張り紙があり、そこにはこう書かれてあった。
「社会保険庁は変わります」
・窓口接遇マナー3箇条
1、明るい挨拶でお迎えします。
2、お客様の気持ちに立って対応します。
3、積極的に一声かけさせていただきます。
・電話接遇マナー3箇条
1、呼び出し音が鳴ったら、すぐに電話に出ます。
(以下省略)
「変わります」とあるからには、こうでなかったということだ。
相談者は、かつてここを訪れたとき、窓口の職員の横柄【おうへい】な態度になぜか卑屈になっている自分がたまらなくいやだったと吐き捨てるように語った。
果たして社会保険庁は変わったのか。私たちに応接した40代と思える女性職員は1時間ほどの間、1度たりとも笑顔を見せることはなかった。それどころか終始無愛想だった。

結局、問題について詳しく話を聞いてみると相談者の方に落ち度があったようで納得された。

その後、遺族年金の説明があった。ところが相談者は受け取りを放棄する旨、職員に告げた。それを聞いた職員は、あっさりそうですかと言って、その書類を引っ込めようとする。
職員の様子から、それを受け取れば相談者本人の年金額が減るのだろうと思ったが、念のため、それを受け取ることで相談者にどんなメリット・デメリットがあるのか尋ねた。すると職員は「何もないですよ」とあっけらかんとしている。
相談者も先の加給年金のことがあり、遺族年金を受け取ることでかえって不利益が生じると思っていた。

受給する側にとってメリットのある話をなぜあっさり引き下げたのか尋ねると、いらないって言われたものをお勧めする必要はないと思ったと言う。この不親切さはいったいどこからくるのだろう。

苦い思いをかみしめながら表に出ると、社会保険事務所を取り囲むように駐車場が空くのを待つ車の列が長く伸びていた。
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日々を噛み締めて

2008年02月22日 | 民生児童委員
午前8時半から町内会のご高齢者のための「地域デイサービス」の準備に入った。
正午にはご高齢者をお迎えしての会食だ。この日の昼食の献立の中心は豚汁、町内会の有志10人に朝から楽しく作っていただいた。4月の花見はどこに行こうかとか、今年の日帰り温泉バス旅行をどこにしようかなどと話は広がる。

紅色のボケの花を中心にいつもながらの見事な生花も場を和【なご】ましてくれる。食卓には小瓶に分けられた愛らしいスイセンが笑顔を誘う。甘い香りにうっとりする。
おしゃべりしながら、ゆっくり1時間かけて食事を楽しんだ。

食事が終わる頃、有紀さんから「福大の受験番号知ってる!?」とメールが入った。福岡大学の合格発表が今日だった。受験の際、メールで有紀さんに聞いていたので受信ボックスから見つけ知らせた。すると、午後1時1分「福大のホムペで発表されてるよ。合格しましたとメールがあった。間もなく女房どのからも「有紀ちゃんから合格の知らせ入ったよとメールが届いた。

有紀さん、合格おめでとう


食後、4月から75歳以上の方の医療保険が変わるが、その後期高齢者医療制度について福祉保健課職員の説明をみなさんにお聞きいただいた。

その後は歌を歌ったり、絵を描いたり、おしゃべりを楽しんだりと午後2時半過ぎまでみなさんと過ごした。有志のみなさんは、洗い物が済むとお帰りになっている。全員お帰りになった後、テーブルを片付け、敷物を片付け、掃除機をかけ、ゴミを仕分け整理し、生ゴミを保管する。
最後に雨戸を閉め、電気、ガス、石油ストーブをチェックし、集会所の玄関のカギをかけ帰途に着いたのは午後3時10分だった。

あ~ぁ、しんどでも、もちろんこれでこの日がおしまいではない。むしろ、これからだ。家に着くとすぐに洗濯に掃除、やがて4時半になり、小学生がやって来た。

しっかりと味わっていないと、楽しい日々は矢のように過ぎていく。
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