高速道・古賀インターを降り、国道3号線を北上し福教大を目指した。
最近、ナビ搭載の車をしばしば見かけるが、デリカにはない。遠出する際は地図帳持参だ。だが、今回は有紀さんがケータイのGPSナビを利用して道案内してくれた。ケータイはどこまで進化するのだろう。
有紀さんのマンションを発ち、7時前に宿泊先のリーガロイヤルホテル小倉に着く。今回、絵理子さんが私たち家族4人のために2部屋用意してくれた。絵理子さんが一人前の社会人として自立しているのを思う。
間もなく研二くんのご両親が到着され、仕事を終えた研二くんも到着。絵理子さんは職場の同僚の送別会があり、少し遅くなるという。大学職員にも、大学間での移籍、あるいは文科省への出向というような移動があるようだ。
ロビーで落ち合うと、すぐに前もって約束していたとおり男3人だけで酒席へ向かった。明日は大事な日だからほどほどにしておきましょうと言いながら、きっちり12時まで飲んだ。
一夜明け、結納当日を迎えた。前日に続き晴天だ。ホテル25階の部屋の大きな窓から朝日が射し込む。
シャワーを浴び、髭【ひげ】を剃【そ】るため鏡をのぞくと眼が充血していた。昨夜もけっこう飲んだ。後にくるみさんから「お父さん、ろれつが回っていなかったよ」と言われた。
隣の部屋の有紀さん・くるみさんに声をかけ朝食をとりに2階のレストランへ向かう。有紀さんが入学式のために揃【そろ】えたスーツを着て現れた。カッコいい。
ここで、朝食をとるのは2度目だ。あの朝、森下九段と同席していろいろ話したのが想い出された。
朝食後、部屋に戻りゆっくりしているところへ絵理子さんと研二くんがやって来た。いろいろ話しながら着替え、荷物を整え、11時にチェックアウトを済ませ、打ち合わせの時刻・正午前に結納式場であるホテル1階にある『日本料理・なにわ』に入った。
名前を告げ、係りの方の案内に従い奥の座敷に向かう。座敷に上がると、先方のご両親と仲人さんご夫妻が着座されてお待ちだ。床の間には結納の品々が飾られてある。係りの方の案内に従い私たち5人も着座した。
やがて、司会進行役の方の合図をきっかけに仲人さんの口上で結納式が始まった。仲人さんが私の前に来られ「梅田様からのご結納の品々でございます。目録をお改めの後、幾久しくお受けいただきますよう、よろしくお願いいたします」と広蓋を差し出された。
そこで「ありがとうございます。幾久しくお受けいたします」と述べ、目録を確認し、女房どの、絵理子さんに順次渡すという手はずだったのだが、仲人さんが「よろしくお願いします」と述べられた後、さっと立たれご自分の席に戻られたため、こちらの口上のタイミングを失ってしまった。瞬間、困ったなと思ったが、目録を確認した後、口上を述べてもおかしくはないかと気を取り直し、目録を取り出しにかかった。
目録の収められた大きな熨斗袋【のしぶくろ】には、これまた大きな立派な水引【みずひき】がついている。この水引に手をかけて抜こうとすると、隣の女房どのが小声で「上からよ」とささやく。目録の取り出し方を女房どのに聞いていたのだが、すっかり忘れていた。
今回の結納にあたり、その受け方について、女房どのは彼女がよく利用しているデパート・玉屋のその担当の方の助言をいただき「受書」などをそろえた。
私としては、そう形式的にならずともと考えていたが、先方の結納、それに続く結婚式、さらに披露宴にかける並々ならぬ強い思い入れに触れるにつれ、女房どのは入念な準備を進めていたのだ。
女房どのの助言を得て、なんとか目録を取り出し広げてみると、そこには立派な草書体で何やら記してある。無学な私に読めるはずもない。ただただ、有り難くお受けするだけであった。
まぁ、こんな調子でおたおたしながらも何とか無事に儀式を終わらせることができた。
儀式の後は席順を改めて会食となった。私の前に仲人さんご夫妻が座られることになった。仲人さんは、研二くんの会社の直属の上司にあたる方で三谷さんとおっしゃる。中学2年生と小学5年生の2人のお子さんがいらっしゃるという。ご夫妻共々、いかにも温厚なお人柄のように見受けられた。すでに絵理子さんは、奥様にご自宅にお招きをいただいたりとお世話になっているようだ。
三谷さんのお話によると、最近では結婚する100組のうち1組しか仲人を立てないとか、ここにも私たちの手間隙かけることを惜しむ、あるいは他者と関ることを敬遠する傾向が見てとれる。
三谷さんは、自分が仲人を頼まれるなどとは思っても見なかったことだし、おそらく最初で最後のことだろうと思うが、とても良い経験をさせていただいていると言ってくださった。仲人を引き受けられたことで三谷さん研二くんとの仲は、単に上司と部下という間柄ではなくなった。また、奥様と絵理子さん、絵理子さんとお子さんたちというように新たな人間関係が生まれた。それは喜びであり、豊かさに通ずる。
そんなことを含め、三谷さんご夫妻といろんなお話をすることができた。特に、私と女房どのの世代が今、輝かしさの絶頂にあり、やがて終焉【しゅうえん】を迎えようとしているのを自覚しながら日々の喜びをかみしめ過ごしているというようなことをお話したとき、奥様が、良いお話が伺えたと涙してくださった。
次から次へと、おめでたい料理が運ばれ、不思議なご縁で結ばれた者たちの慶びの語らいは続いた。
最近、ナビ搭載の車をしばしば見かけるが、デリカにはない。遠出する際は地図帳持参だ。だが、今回は有紀さんがケータイのGPSナビを利用して道案内してくれた。ケータイはどこまで進化するのだろう。
有紀さんのマンションを発ち、7時前に宿泊先のリーガロイヤルホテル小倉に着く。今回、絵理子さんが私たち家族4人のために2部屋用意してくれた。絵理子さんが一人前の社会人として自立しているのを思う。
間もなく研二くんのご両親が到着され、仕事を終えた研二くんも到着。絵理子さんは職場の同僚の送別会があり、少し遅くなるという。大学職員にも、大学間での移籍、あるいは文科省への出向というような移動があるようだ。
ロビーで落ち合うと、すぐに前もって約束していたとおり男3人だけで酒席へ向かった。明日は大事な日だからほどほどにしておきましょうと言いながら、きっちり12時まで飲んだ。
一夜明け、結納当日を迎えた。前日に続き晴天だ。ホテル25階の部屋の大きな窓から朝日が射し込む。
シャワーを浴び、髭【ひげ】を剃【そ】るため鏡をのぞくと眼が充血していた。昨夜もけっこう飲んだ。後にくるみさんから「お父さん、ろれつが回っていなかったよ」と言われた。
隣の部屋の有紀さん・くるみさんに声をかけ朝食をとりに2階のレストランへ向かう。有紀さんが入学式のために揃【そろ】えたスーツを着て現れた。カッコいい。
ここで、朝食をとるのは2度目だ。あの朝、森下九段と同席していろいろ話したのが想い出された。
朝食後、部屋に戻りゆっくりしているところへ絵理子さんと研二くんがやって来た。いろいろ話しながら着替え、荷物を整え、11時にチェックアウトを済ませ、打ち合わせの時刻・正午前に結納式場であるホテル1階にある『日本料理・なにわ』に入った。
名前を告げ、係りの方の案内に従い奥の座敷に向かう。座敷に上がると、先方のご両親と仲人さんご夫妻が着座されてお待ちだ。床の間には結納の品々が飾られてある。係りの方の案内に従い私たち5人も着座した。
やがて、司会進行役の方の合図をきっかけに仲人さんの口上で結納式が始まった。仲人さんが私の前に来られ「梅田様からのご結納の品々でございます。目録をお改めの後、幾久しくお受けいただきますよう、よろしくお願いいたします」と広蓋を差し出された。
そこで「ありがとうございます。幾久しくお受けいたします」と述べ、目録を確認し、女房どの、絵理子さんに順次渡すという手はずだったのだが、仲人さんが「よろしくお願いします」と述べられた後、さっと立たれご自分の席に戻られたため、こちらの口上のタイミングを失ってしまった。瞬間、困ったなと思ったが、目録を確認した後、口上を述べてもおかしくはないかと気を取り直し、目録を取り出しにかかった。
目録の収められた大きな熨斗袋【のしぶくろ】には、これまた大きな立派な水引【みずひき】がついている。この水引に手をかけて抜こうとすると、隣の女房どのが小声で「上からよ」とささやく。目録の取り出し方を女房どのに聞いていたのだが、すっかり忘れていた。
今回の結納にあたり、その受け方について、女房どのは彼女がよく利用しているデパート・玉屋のその担当の方の助言をいただき「受書」などをそろえた。
私としては、そう形式的にならずともと考えていたが、先方の結納、それに続く結婚式、さらに披露宴にかける並々ならぬ強い思い入れに触れるにつれ、女房どのは入念な準備を進めていたのだ。
女房どのの助言を得て、なんとか目録を取り出し広げてみると、そこには立派な草書体で何やら記してある。無学な私に読めるはずもない。ただただ、有り難くお受けするだけであった。
まぁ、こんな調子でおたおたしながらも何とか無事に儀式を終わらせることができた。
儀式の後は席順を改めて会食となった。私の前に仲人さんご夫妻が座られることになった。仲人さんは、研二くんの会社の直属の上司にあたる方で三谷さんとおっしゃる。中学2年生と小学5年生の2人のお子さんがいらっしゃるという。ご夫妻共々、いかにも温厚なお人柄のように見受けられた。すでに絵理子さんは、奥様にご自宅にお招きをいただいたりとお世話になっているようだ。
三谷さんのお話によると、最近では結婚する100組のうち1組しか仲人を立てないとか、ここにも私たちの手間隙かけることを惜しむ、あるいは他者と関ることを敬遠する傾向が見てとれる。
三谷さんは、自分が仲人を頼まれるなどとは思っても見なかったことだし、おそらく最初で最後のことだろうと思うが、とても良い経験をさせていただいていると言ってくださった。仲人を引き受けられたことで三谷さん研二くんとの仲は、単に上司と部下という間柄ではなくなった。また、奥様と絵理子さん、絵理子さんとお子さんたちというように新たな人間関係が生まれた。それは喜びであり、豊かさに通ずる。
そんなことを含め、三谷さんご夫妻といろんなお話をすることができた。特に、私と女房どのの世代が今、輝かしさの絶頂にあり、やがて終焉【しゅうえん】を迎えようとしているのを自覚しながら日々の喜びをかみしめ過ごしているというようなことをお話したとき、奥様が、良いお話が伺えたと涙してくださった。
次から次へと、おめでたい料理が運ばれ、不思議なご縁で結ばれた者たちの慶びの語らいは続いた。